順吉は眉目《びもく》が秀麗で、動作が敏捷《びんしょう》でしたから、誰にも愛されました。養老館に入って学びましたが、十四歳になった時には、藩の子弟にも及ぶ者がないと推奨されたのです。養老館は天明《てんめい》年間に建てられた藩の学校で、孟子《もうし》の養老の語を取って名附けたのです。後年母が話されたのに、「医者の家で人の出入も多く、子供に何か持って来てくれるのに、誰も私にという人がなくて、順さあに上げてとばかりいうので、祖母は変な顔をなすったよ。私はよほど無愛想な子だったと見えるね」とのことでした。
順吉はそれほど受けがよかったのですが、祖父の気に入りませんでした。心に誠実がなくて、時には虚偽にも類した行為も交ったので、弱い少女と妻の行末《ゆくすえ》とを頼むのに不安だったらしく、ついに離別せられることになりました。それを聞いた知人で、訝《いぶ》かしがらぬ者はありません。祖父があまりに頑固《がんこ》だと誹謗《ひぼう》する人さえあったのです。いよいよ話が極った時、祖母は五年間の親しみを思って涙を流されたそうですが、当の順吉は平気だったといいます。
しかし俊秀な少年として知られていたのです
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