とかいわれる方々は、人に面《おもて》を見られるのを厭って、糸で手首を結わえて、簾《すだれ》の間から出されるのを、膝行頓首《しっこうとんしゅ》して拝診したというのです。これを糸脈《いとみゃく》というのですが、恐らくは形式だけのものでしょう。傷ついて両手を包んだ人の脈をどうして見るかという説が出て、誰も頭を傾けた時、祖父は脈は心《しん》の響を伝えるものだから、顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》、頸《くび》、股《また》、脛《すね》、どこでも脈の通う所を押えれば知ることが出来る。手首は触れやすいために習《ならい》となったのに過ぎぬと論ぜられたので、列座の人々は驚き呆《あき》れ、首肯する者、否定する者、暫く騒然としたそうです。
森の家を嗣いでから祖母を迎えましたが、最初に出来た長子が夭折《ようせつ》し、次に生れた長女はひ弱くて心細かったのでしょう、その頃|石見国美濃郡《いわみのくにみのごおり》に高橋|魯庵《ろあん》という人があって、その子の順吉というのが夙慧《しゅくけい》として聞えていましたので、貰受《もらいう》けて養子にしました。津和野に来たのはその子が九歳の時でした。
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