なが》しが常なのに、好んで小袴《こばかま》をはかれました。頭こそ円けれ、黒羽二重の羽織を長めに著て、小刀を腰にした反身《そりみ》の立姿が立派で、医者坊主などといわれた円頂《えんちょう》の徒とは違うのでした。
 その円頂のことですが、森の親戚に西《にし》という家があります。やはり代々の医者でした。森からそこへ縁附いた人の後に、小字経太郎《こあざなみちたろう》、寿専というのがあって、幼い時から学問を好んで、就《つ》いて学ぶ師が皆驚くほどでした。家蔵の書を残りなく諳《そらん》じたのです。嘉永《かえい》元年その二十歳の時に有為の才を認められ、当職が召出して藩主の命を伝えました。それは、「一代|還俗《げんぞく》仰付けらるゝに依り、儒学を修業すべし」というのでした。還俗は医者を罷《や》めることなのです。つまり僧と同じ扱いなのでしょう。後に男爵西|周《あまね》となったのはこの人でした。
 祖父には人に譲らぬ気概があったので、時の典医だった堀、平田、加藤の諸氏と、脈について大いに論じた書類がありました。その頃の医者の診察は第一に脈を取り、舌を望むのです。手首を支えて動脈に触れるのですから、奥方とか姫君
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