集めてあり、奉行の伝記に関しては、雑書の類まで広く漁《あさ》った上に、その墓所をも一々踏査したのでした。京都府立図書館在職中に筆を執り始めてから、完成までに二十年の歳月を経、その間に稿を改めることが五回に及びました。自分が図書館に勤めていましたし、お兄様も図書頭《ずしょのかみ》をなすったりしたので、自然そうした方面に興味を持ったのでしょう。
 外に『多紀氏の事蹟』という著述もあります。多紀氏は江戸時代の漢方医学の牛耳《ぎゅうじ》を握って、あるいは医学校を創立して諸生を教え、あるいは書物を校刊して学者の研鑽《けんさん》の資に供した官医で、その登門録と題した門人帳に九百五十人もの名が見えるのでもその盛業が忍ばれます。多紀氏の墳墓は滝野川城官寺《たきのがわじょうかんじ》にありますので、そこへ調べに行く時には、いつも麺麭《パン》を持参で、私の家へ寄っては、お茶を下さいといったものでした。この出版は日本医史学会からの補助を受けました。
『多紀氏の事蹟』もまた昭和八年に出版せられましたが、その年の暮にはまた於菟《おと》さんと共に、『鴎外遺珠と思ひ出』という書物を公にしました。最初の『鴎外全集』十八
前へ 次へ
全292ページ中228ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小金井 喜美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング