巻は、いろいろの事情のために、大正十二年一月から始まって、五年目の昭和二年十月にやっと終りましたが、その十五、六巻までの校正は、大抵一度は潤三郎が見ているのです。その間には帝国図書館その他へ行き、関係資料の蒐集《しゅうしゅう》に努めたのです。ついで昭和四年に『鴎外全集』の普及版が計画せられて、潤三郎は編輯《へんしゅう》校正に当りましたが、その後も遺文は続々発見せられますので、それに遺族の思い出をも加えて一冊にしたのが『鴎外遺珠と思ひ出』です。
その後新しい『鴎外全集』が岩波書店から出た時も、潤三郎は相談に与《あずか》って、校正に力を尽しました。岩波版の全集には、「校勘記」というものを添えました。お兄様も晩年は病体で、その伝記物には調査の不十分な点などもあったので、潤三郎は気の附くかぎりその訂正補充に努めて、それらを「校勘記」に記載したのです。
潤三郎がお兄様のことを書いたのは『明星《みょうじょう》』の紀念号からですが、その時はまだ病気が癒《なお》り切らず、鈴木|春浦《しゅんぼ》さんが来て筆記せられたのでした。それから後、お兄様に関することどもは細大|洩《もら》さず書抜いたり、切抜い
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