気に書き物をしたり、調べ物をしたりしておりました。いつも紙と鉛筆とを懐《ふところ》に持っていて、それを出しては人に書かせ、自分は口で返事をするのでした。
妻の静子さんは、森の親戚《しんせき》の米原《よねはら》家の人なのですが、その生れた時に、私どものお父様の名の一字を取って、静子と名づけられたのです。子供は一人ありましたが、早く亡くなりました。静子さんは生田流《いくたりゅう》の琴が上手なので、近所のお嬢さんたちに、楽しみに教えていられました。潤三郎が耳が聞えないものですから、琴の音をうるさがらないで都合がいいといっていられました。
潤三郎が『朝鮮年表』という本を作ったのは、よほど前のことです。朝鮮に行きたい希望でしたが、生来虚弱なので、お兄様からお許しが出ませんでした。朝鮮の歴史にも興味を持っていましたが、早くから江戸時代の文化史を専攷《せんこう》にして、『紅葉山文庫《もみじやまぶんこ》と御書物奉行《ごしょもつぶぎょう》』の著書があります。これは東照宮三百年祭紀念会の補助に成ったので、昭和八年に出版せられたのですが、約八百頁もあって、幕府の紅葉山の変遷から、御書物奉行九十人の伝記が
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