名「乳母の文」にも、「庭の草はけづれども絶えぬものにて候ぞかし」といってあります。そんなことを口にして、「昔から草は伸びるものとなっているのですね」などと、母と語合うのでした。
 草取りをしてくたびれると、母は隣り境にある臥牛《ねうし》のような大石に腰を下して休まれます。それは観潮楼が出来上った時、千樹園という植木屋が勧めて入れたもので、子供たちはその背の上を面白がって歩くのでした。その石は今もきっとそこらにあるでしょう。気の利いた女中が掃除の済んだ跡で、飛石に雑巾《ぞうきん》をかけましたら大層喜ばれましたので、それから何か母の機嫌を損《そこな》うと、すぐ飛石洗いをすると笑われました。
 兄も庭の綺麗なのがお好きでした。縁の隅に麻裏草履《あさうらぞうり》が置いてあって、食後などには折々庭へ出て見られるのですが、上る時には必ず元のように裏返しにして置かれます。心ない客が燐寸《マッチ》の軸などを庭に投げたりするのをひどく嫌って、客が帰るとすぐに拾わせるのでした。
 庭には大盃という楓樹《ふうじゅ》があって、根元につくばいが据えてあり、いつも綺麗な水が溢《あふ》れるようにしてありました。苔《
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