も七月でしたし、当時お父様も工合が悪かったのでしょう。学士院云々もその頃のことでした。
後の一通は、わざわざお使で私に下すったのです。半襟は新宿御苑《しんじゅくぎょえん》の蘭の花を染めた珍しいもので、幾十年を経てすっかり色はあせながら、今も手筥《てばこ》の中にあります。なお粗大な冬瓜とありますのは、全く珍しく見事な物で、親類中に分配していただきました。御養嗣逸人氏は園芸の研究家で、今世にもてはやされる福羽|苺《いちご》というのは同氏の創《はじ》められたものと聞きました。
唯今私は二番町の親戚の家におりますが、昔伺った二番町の福羽氏の邸宅はどの辺かと尋ねても、知っている人がありません。何しろ半世紀どころか、七十年も前のことですから。
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電話
電話は文明の利器ですけれど、私どものように、いつも世に後れた家庭では、それほど利用もしないのでした。主人は、専門が解剖というためもありましょうが、諢名《あだな》を仙人と呼ばれ、新しいものは真先にという気風ではありませんでしたが、大学教授でしたので、電話は願出れば無償で引いてもらわれたのです。その電話の出来た始めの頃でした
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