ゅうけんけいとうか》」とあります。
飛んで二十年三月二十五日の条に、「応渠翁|中風《ちゅうぶう》の事、山海万里を隔てゝ徒《いたずら》に心を傷ましむるのみ」とありますが、もうその頃は千住にお住いではなかったでしょう。終りの御様子は存じません。その頃私は毎日遠路を学校通いで、学校以外のことは何も知りませんかった。
学校入学前に貰った、別の人の次のような手紙があります。
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弥《いよいよ》御機嫌よく、御悦申上候。相かはらず来月十九日納会相催し候まゝ、何とぞ/\御ばゝ様御同道にて御出《おいで》願ひ上候。遠方|故《ゆえ》御出なくば、御詠にてもいたゞき度、此段申上候。過《すぐ》る比《ころ》福羽君に一寸《ちょっと》御目にかゝり、御咄《おはなし》きゝ候間、ちと/\三八在宿に候まゝ、御とまりがけにても御出待上候。万々拝顔のうへ申入候。めでたくかしく。
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きみ子君に[#地から3字上げ]三艸子《みさこ》
これは松《まつ》の門《と》三艸子といって、大野定子と並んで歌よみといわれていた人でした。人あたりのよい方で、福羽氏ともお知合だったと見えます。色白の顔
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