七年十二月二十八日の日記に、「佐藤元萇師の書到る。郵筒に一封書寄数行啼《いちふうしょすうぎょうをよせてなく》と題したり。披《ひら》けば紅葉《もみじ》いくひらか机上に翻《ひるがえ》りぬ。葉の上に題したる詩に、只知君報国満腔気《ただしるきみがほうこくまんこうのき》、泣対神州一片秋《ないてしんしゅうにたいすいっぺんのあき》の句ありき」としてあり、十八年九月十三日の条にも、「朝家書又至る。応渠翁の書に曰《いわ》く。参商一隔、いかにおはすらんと筆はとれど書やるすべもなく、こゝろ迷ひぬるは、綣恋之情《けんれんのじょう》かたみに同じかるべし。まづ尊堂も弊盧《へいろ》も無事なるはうれし。扨《さて》本月一日大洪水、堅固なる千住橋|並《ならびに》吾妻橋押流し、外諸州の水災|抔《など》惨状、こは追々新聞等にて御聞《ごぶん》に触《ふれ》候はん。略之《これをりゃくす》。五月雨《さみだれ》にこゝろ乱るゝふる里をよそに涼しきつきや見るらむ、など口にまかせ候。政之。御令妹このほど御歌は上達、感入《かんじいり》候也。書余|譲後信《こうしんにゆずる》。努力|加餐《かさん》。不宣。七月十一日。応渠再拝。牽舟賢契榻下《けんし
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