ちと御ひまになり候はゞ御認め下され度、是《こ》れ又希上候。匆々不備。九月十二日、鶴所。
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賀古氏と兄とは、大学生時代から五十余年にわたって、公私共に変らぬ親友なので、その官人生活の裏面には、いつも多大の配慮を得て、山県公その他へも推薦せられたものでした。その兄が逝《ゆ》いてからの賀古氏は、どれだけお寂しかったでしょう。晩年に主人や私へよくお便《たより》を下さいましたのも、以前にはないことでした。『冬柏《とうはく》』所載の消息なども、そうしたものを書いて自ら慰藉《いしゃ》していられたのではあるまいかと思いますと、お気の毒にもなって来ます。
昭和六年一月一日、朝から元気で病院の医員たちの年賀を受けられましたが、午後書斎へはいられて、突然発病されたらしく、誰も臨終には間に合わなかったそうです。「己《おれ》は脳溢血《のういっけつ》で逝くのだ」と、いつもいっていられましたので、お望通りだったとはいえ、あまりにはかない終り方でした。兄が逝いてから八年、七十六歳だったのです。
お墓は駒込|吉祥寺《きっしょうじ》で、山門を入って右側です。本郷にいます頃は近いものですから、
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