、やっと御雛様らしくなりました。
庭の菖蒲畑の花が綻《ほころ》ぶ頃でした。私は新しい単衣《ひとえ》を造って下すったのを著《き》て見ました。そのままじっとしてないで、縁先の下駄を突《つっ》かけて、飛石づたいに菖蒲畑の傍まで来ましたら、生垣《いけがき》を潜《くぐ》って大きい犬が近寄って来ました。その時つぶてが、いきなり縁先から飛んで来て、私に当ったと思ったら、赤インキの壺《つぼ》でした。蓋《ふた》が取れて、インキは私の上前《うわまえ》一ぱいにかかったのです。「あ」という声が三個所から起りました。一番には私、次は縁に立ってこっちを見ていられた母、次は縁で机に向っていられたお兄様でした。私は呆《あき》れて泣きもしませんでした。お兄様は立上って、
「わるかったね。よくそこらを荒す犬が来たから、机の上の物を手当り次第に投げたら、運わるく赤インキだった。新しい著物だと喜んでいたのに可哀《かわい》そうに。」
「なに粗末の品だからいいよ。」
母は何気なくいわれました。粗末でもなかなか衣類など新調するのではありませんから、さぞ困ったと思われたでしょうが、何があるのとも仰しゃいません。兄上には遠慮してい
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