ていたと聞きました。後に和装の立派な歌集なども出たようでした。椿山荘《ちんざんそう》の七勝の歌などもあります。
選者の二人の点があると次点、三人なら当選です。四人は稀《まれ》で、五人はまずないようでした。兄も当選などはあまりありません。私などはもとよりです。山県公は音羽大助《おとわだいすけ》の名で加っていられました。後には古稀庵主《こきあんしゅ》としてあります。その侍女の吉田貞子という方もお詠みになるので、「今度はお前のはよかった」など、楽しそうにお話になるよしを兄が申しておりました。いつでしたか獣という題で、私の当選した歌に、
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恐しき獣なれども檻《おり》の内に
餌《え》をまつ見ればあはれなりけり
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「こんな歌を詠む人も選ぶ人もどうかと思うね」と兄からいわれました。
観潮楼歌会は一、二年で止み、常磐会は十幾年も続きましたが、『たづ園』を送ってもらいましたのは大正八年まででした。
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本郷界隈
大学鉄門前の下宿|上条《かみじょう》にいた頃は兄も若かったし、そこへ折々遊びに行くのを楽しみにしていた私もまだ小
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