出していられました。井上通泰《いのうえみちやす》氏のお弟子《でし》で、井上氏が岡山へ赴任せられた頃からの熟知なのでしょう。それは井上氏の機関雑誌ともいうべきもので、同氏の「金葉集《きんようしゅう》講義」「南天荘歌話」「南天荘歌訓」「無名会選歌」、同氏選の「競点」などと、賑かなことで、それに常磐会選歌、次選歌、五人の選者の歌も出るのでした。
曙町の宅のお向いに箕作元八《みつくりげんぱち》氏がいられましたが、夫人の光子様は小出氏のお弟子で、常磐会ではよく当選なさるのでした。
「今月はいかがでした」などと、門口《かどぐち》でお目にかかるとお話をしました。兄から、「お前も小出さんへ伺って御覧」などといわれて、一、二度お訪ねしたことがありました。曙町の様子などを聞かれましたので、二本杉のお話をしましたら、「それは天狗《てんぐ》の寄合《よりあい》によい処ですね」といわれました。光子様も、「いつもその通りお口が悪いのです」とおっしゃいましたが、間もなくなくなっておしまいになりました。もと英照皇太后《えいしょうこうたいこう》宮にお仕えした方で、山県公の眷顧《けんこ》を受けられ、その詠み口がお気に入っ
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