重しと夢さめて
なほ夢の間の安さをぞ思ふ
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と書いて見せましたら、ただ笑っていらっしゃいました。それきり詠めともおっしゃらず、詠みもしませんでした。それでも、「歌会の日には手不足だから手伝いに来ておくれ」とおっしゃるので、下座敷に行っておりました。レクラム本から選んで、西洋料理めいたものをあれこれと作るのでしたが、母はバタ臭い物はお嫌いなので、お塩梅《あんばい》もなさいません。
「少しサラダでも召上って御覧になったら」と申しますと、笑って手を振っていらっしゃいます。お人数だけ冷えていい物は附並べて、私はお暇《いとま》をします。夕食の時におりませんと、老母や主人子供の食事が女中任せになって困るので、会の様子は後に行った時に伺うのでした。
観潮楼歌会のあったのは明治四十年頃でしたが、ちょうどその頃|常磐会《ときわかい》というのも出来ました。それは前年の夏、兄や賀古《かこ》氏が、小出《こいで》、大口《おおぐち》、佐佐木氏等を浜町《はまちょう》の常磐にお招きして、時代に相応した歌学を研究するために一会を起そうという相談をしたのでした。このことを賀古氏から山県《
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