はという前日、四月十三日の夜の大空襲で、白山《はくさん》から巣鴨《すがも》まで、残らず焼野原となってしまいました。長年心懸けて貯えた書物や、貴重品などが皆灰になりましたが、ただ幸《さいわい》だったのは、主人が遺した沢山な蔵書を、この不安な世の中でも、ここで焼いては済まぬからと、全部大学に寄附することにしてありましたのを、やはり車が思うようにならず、幾度かに分けてようよう運び終ったことでした。それも焼ければそれまでとあきらめていましたが、大学は幸に無事でした。
私たちがこの曙町に住むようになったのは、兄が団子坂上に移ってからなのです。兄は洋行から帰った当座は、池《いけ》の端《はた》の花園町におりました。そこで「舞姫」や『国民之友』の夏期附録となった『於母影《おもかげ》』などが出来たのです。ちょうど動物園の裏門前の邸で、奥まっていましたから、裏二階から不忍池は見えませんでした。夜が更けると猛獣の声が気味悪く聞えます。電車のない頃ですから、遅くなった時など、宅から迎いの車が来たことなどもあります。徹夜などは一向平気でいられました。まだ若かった私は、兄と知名の方たちとのお話を、いつも片隅で耳
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