何ならぬ品も静かな夜の語り草となったので、お土産に持って来た私はにこにこ笑っておりました。
 お兄様は早く大学を卒業なすったのですが、まだ若いから何か今一科勉強したいとお思いになっても、経済上の都合もあってそうもならず、陸軍へ出たらと勧める人もありますが、同級生が貸費生《たいひせい》としてはや幾人か出ているのに、階級のやかましい処へ今更どうかともお思いになるので、お気の毒にも思案に余っていらしったのでした。ここに書いたのはその頃の或半日の事でした。
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   赤インキ

 森の家が向島小梅村に住んでいたのは、明治十二、三年頃ですから、兄は十七、八、私は十ほど年下で七つ八つ位でしょう。その頃兄は頻《しきり》に水墨画に親しんでいられました。私の学校通いに被《かぶ》ったあじろ笠《がさ》に、何か画《か》かれたのもその頃でしょう。どうも先生に就《つ》かれたようには思われませんから、何かお手本を見て習われたのだと察します。お画きになるのは休日の静かな午前などで、その絵は重《おも》に四君子《しくんし》などでした。とりわけ蘭《らん》が多く、紙一ぱいに蘭の葉の画いてあるのもありました。種々
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