高い古本屋ですから、小さい子供などに用はないのですが、教科書の取次などもしていましたかしら。店の三方は天井まで棚を造って、和本がぎっしり積上げてあるのを、尊い物のように仰いだ覚えがあります。そこらには人力車が客を待っているので、「乗って行くかい」とおっしゃいますが、「まだ歩けます」といって、吾妻橋を渡ります。その真中に立って見渡しますと、さっき乗った渡舟が上流をゆるゆる漕《こ》いで通ります。鴎が幾つか、せわし気に舞っていたりしました。
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薬師様の縁日
私たちが向島から千住《せんじゅ》へ引移ったのは明治十三年でした。移った家には区医出張所という招牌《かんばん》が出してありましたが、それが郡医出張所と変り、ついでまた橘井堂医院となりました。最初はどこからかお医者が出張するのでしたろう。お父様も週に二回ずつ向島から通っていられましたが、あの長い土手をうねうねと、鐘《かね》が淵《ふち》から綾瀬《あやせ》を越して千住まで通うのは、人力車でもかなり時間がかかる上に、雨や風の日には道も案じられるので、やがてお邸の諒解《りょうかい》を得て、引移ることになったのです。いつか向島
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