界隈

 向島《むこうじま》も明治九年頃は、寂しいもので、木母寺《もくぼじ》から水戸邸まで、土手が長く続いていましても、花の頃に掛茶屋《かけぢゃや》の数の多く出来て賑《にぎわ》うのは、言問《こととい》から竹屋《たけや》の渡《わたし》の辺に過ぎませんでした。その近く石の常夜灯の高く立つあたりのだらだら坂を下りた処が牛《うし》の御前《ごぜん》でした。そこからあまり広くもない道を二、三町行った突当りに溝川《どぶがわ》があって、道が三つに分れます。左は秋葉《あきば》神社への道で割合に広く、右は亀井邸への道で、曲るとすぐに黒板塀《くろいたべい》の表門があります。邸に添って暫く行った処に裏門があり、そこからは道も狭くなって、片側は田圃《たんぼ》になります。川の石橋を渡って、真直といっても、じきにうねうねする道を行くと小梅村で、私どもが後に引移った処でした。石橋に近い小さな家に、早くお国から出て来られたお父様とお兄様(長兄)とが住んでお出《いで》のところへ、お祖母様《ばあさま》、お母様に連れられて、お兄さん(次兄)と私とが来たのでした。お父様はお手医者として、殿様のお供で上京したのですから、ほんとは
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