ちと、どんなでしたろうと思います。
十日が岩佐氏の葬送で、その日には大臣は帰京されたのですが、その後はだんだんと御様子が悪く、熱があるとか、舌根が腫《は》れたとか聞きましたが、四月二日についに薨《こう》ぜられました。大臣就任後八カ月ばかりでしたでしょう。
午後一時に逝かれ、三時には聖上から西郷吉義《さいごうよしみち》氏を見舞として遣されました。大臣長男、軍医橋本監次郎の二人とともに、お兄様は接見なすったのです。その日の来診者は、青山胤通《あおやまたねみち》(東大教授)、本堂恒次郎(陸軍軍医)、岡田和一郎(東大教授)、平井|政遒《せいゆう》(陸軍軍医)の四人でした。四日には石本邸へ通夜に行き、式場接待掛をせられました。大臣の後任は上原《うえはら》中将です。
月日はただ過ぎゆきます。夫人は御丈夫そうに見受けられ、お子さんも大勢お持ちのようでしたが、暫く立った後に人伝《ひとづ》てに聞きましたら、夫人も御主人と同じ病気でお亡くなりになったそうでした。人の命ほどわからないものはありません。わからないといえば、この四十五年は明治大帝|崩御《ほうぎょ》の年でした。
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向島
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