せんたん》と槍の如き柄《え》とより成る物なるが魚の力|強《つよ》き時は假令《たとへ》骨に刺《さ》さりたるも其儘《そのまま》にて水中深く入る事も有るべく、又漁夫が誤《あやま》つて此道具を流《なが》す事も有るべし。コロボックルは如何《いか》にして之を防《ふせ》ぎしか。余は彼等はエスキモーが爲す如く、銛《もり》に長き紐《ひも》を付け其|端《はし》に獸類《ぢうるい》の膀胱抔《ばうくわうなど》にて作りたる浮《う》き袋《ふくろ》を括《くく》り付《つ》け置きしならんと考ふるなり。エスキモーは斯かる浮き袋に息《いき》を吹き込み、且つ其氣の漏《も》るるを防《ふせ》ぐ爲に栓を爲るの便を謀《はか》りて、角製の管《くだ》を是に付け置く事なるが是と等しき物武藏西ヶ原貝塚及び下總柏井貝塚より出でたり。余はコロボックルの遺物《いぶつ》たる是等の角噐は實《じつ》に浮《う》き袋《ぶくろ》の口として用ゐられしならんと信《しん》ずるなり。圖に示《しめ》す物は余が西ヶ原に於て發見《はつけん》せし所なり。網形の押紋有る土噐片、骨器の刺《さ》さりたる大鯛《おほだい》の頭骨、浮き袋の口と思《おも》はるる角製の管、皆《みな》人類學教室《じんるゐがくけうしつ》の藏品《ざうひん》なり。
コロボックルが漁業《ぎよげふ》に巧《たく》みなりしとの事はアイヌ間の口碑《こうひ》にも存せり。既《すで》に漁業に巧《たく》みなりと云へば舟の類の存《そん》せし事|推知《すいち》すべき事なるが、アイヌは又此事に付きても言ひ傳へを有せり(後回に細説《さいせつ》すべし)[#地から2字上げ](未完)
[#改段]
●コロボックル風俗考 第九回(挿圖參看)
[#地から1字上げ]理學士 坪井正五郎
○鳥獸捕獲
貝塚の貝殼層中には鳥骨《てうこつ》有り獸骨《じうこつ》有り、コロボックルが鳥獸の肉《にく》を食《しよく》とせし事は明かなるが、如何なる方法を以て是等を捕獲《ほくわく》せしならんか。或は棒《ぼう》を以て打ち、或は石《いし》を投《な》げ付《つ》けし事も有るべけれど、弓矢《ゆみや》の力を藉《か》りし事蓋し多かりしならん。石鏃の事は既に云へり、其山中にて單獨《だんどく》に發見《はつけん》さるる事有るは射損《いそん》じたるものの遺《のこ》れるに由るならんとの事も既に云へり。新に述ぶべきは弓矢の用《もち》ゐ方なり。弓柄を左手に握《にぎ》り、矢の一端を弦の中程《なかほど》に當《あ》てて右手の指にて摘《つま》まむと云ふは何所も同じ事なれど、摘《つま》み方に於ては諸地方住民種々異同有り。未開人民に普通なるは、握《にぎ》り拳《こぶし》を作《つく》り、人差し指第二關節の角の側面と拇指の腹面との間《あひだ》に矢《や》の一端と弓弦とを挾《はさ》む方法《はう/\》なり。コロボックルも恐くは此方を採《と》りしならん。鳥類ならば一發の石鏃の爲に斃《たほ》るることも有るべけれど、鹿《しか》猪《しし》の如き獸類《じうるゐ》は中々彼樣の法にて死すべきにあらず。思ふにコロボックルは數人連合し互に相《あひ》助《たす》けて獸獵に從事し、此所彼所《ここかしこ》より多くの矢を射掛《ゐか》け、鹿なり猪なり勢|衰《おとろ》へて充分《じうぶん》に走《はし》る事能はざるに至るを見濟《みす》まし、各自棍棒石斧抔を手にして獸に近寄《ちかよ》り之を捕獲《ほくわく》せしならん。
鳥類の捕獲には一端に石或は角の小片を結《むす》び付《つ》けたる紐《ひも》の、長さ二三尺位のもの數本を作り之を他の端に於て一束《ひとつか》ねに括《くく》りたるものを用ゐし事も有りしならん。そはエスキモーが斯かる事を爲す時に用ゐる錘《おも》りと好《よ》く似《に》たる石片角片の遺跡《ゐせき》より發見さるるに由りて推考《すいかう》せらるるなり。此|捕鳥器《ほてうき》の用ゐ方は先づ束《つか》ね有る方を握《にぎ》り、錘《おも》りの方を下に垂《た》れ、手を中心として錘りを振り廻らすなり。斯くする事數回に及《およ》べば、各の紐夫々に延びて、全体の形、恰《あたか》も車輪《しやりん》の如くに成《な》りて勢好く廻轉す。斯く爲しつつ空中の鳥を目掛けて投《な》げる時は、網《あみ》を以て之を覆《おほ》ふと同樣、翼を抑《おさ》へ体を締《し》め付《つ》け鳥をして飛揚《ひやう》する事を得ざらしむ。斯くて鳥の地に落ちたる時は、捕鳥者は直ちに其塲に駈《か》け付《つ》け獲物を抑《おさ》へ紐《ひも》を解《と》くなり。石鏃と違《ちが》ひて此道具は幾度にても用ゐる事を得。
○他の食料採集
貝類は磯《いそ》にて集むる事も有り、干潟《ひかた》にて拾《ひろ》ふ事も有り、時としては深く水を潜《くぐ》りて取《と》る事《こと》も有りしならん。あはびを岩より離すには骨製の篦《へら》或は角製の細棒《ほそぼう》抔を使ひし事も有るべけれど、他の貝類を採集《さいしう》するには、袋或は籠《かご》の如き入れ物さへ有れば事足りしならん。袋には粗布《そふ》を縫《ぬ》ひ合《あ》はせ作りしも有るべく、目を細《ほそ》くせし網も有るべし。コロボックルが粗布をも作り網をも作《つく》りし事は、前にも述《の》べ置《お》きし通り慥《たしか》なる證有る事なり。籠の事も既に記せし故此所には再説せず。
植物性食物採集の爲には諸種《しよしゆ》の石器及び入れ物を要せしなるべけれど、何物《なにもの》の如何なる部分が食料《しよくれう》に撰まれしや詳ならざるを以て、精細《せいさい》には記し難し。
○製造
コロボックルの知《し》り居りし製造業《せいぞうげう》を列擧《れつきよ》すれは左の如し。
石器製造。(第六回、打製《うちせい》類及び磨《みかき》製類|考説《こうせつ》の末文等を見よ。)
骨器製造。(第七回、角器《かくき》牙器考説の終りを見よ。)
角器製造。(同前。)
牙器製造。(同前。)
土器製造。(第七回、容器考説《ようきかうせつ》の中程《なかほど》を見よ。)
貝器製造。(第七回、貝殼器《かいがらき》考説の末を見よ。)
籠類製造。(第七回、植物《ちよくぶつ》質器具考説を見よ。)
網代類製造。(同前。)
席類製造。(同前。)
糸紐製造。(同前。又同回、糸掛《いとか》け石《いし》の條を見よ。)
布類製造。(同前。又第二回、衣服原料《いふくげんれう》の條を見よ。)
此他|漆液《しつえき》の類、繪の具の類を造《つく》りし證跡《せうせき》有り。(第六回、打製類の條《くだり》及び第八回、貝殼器の條を見よ。)繪具の原料と思《おも》はるる赤色《あかいろ》物質の塊《かたま》り、及び之を打ち碎《くだ》くに用ゐしならんと考へらるる扁平石《へんぺいせき》(縁《ゑん》部に赤色料付着す)は遺跡《いせき》より發見《はつけん》されし事有るなり。コロボックルは又|丸木舟《まるきふね》を始として種々《しゆ/\》の木具をも製作《せいさく》せしならん。
○美術
磨製石斧《ませいいしおの》の中には石材の撰擇《せんたく》、形状の意匠《いせう》、明かに美術思想《びじゆつしそう》の發達《はつたつ》を示すもの有り、石鏃《せきぞく》中にも亦實用のみを目的《もくてき》とせずして色《いろ》と云《い》[#ルビの「い」は底本では「いヽ」]ひ形《かたち》と云ひ實《じつ》に美を極めたるもの少からず。土噐《どき》の形状|紋樣《もんよう》に至つては多言《たげん》を要せず、實物《じつぶつ》を見たる人は更《さら》なり、第七回の挿圖《さしづ》のみを見たる人も、未開《みかい》の人民が如何にして斯《か》く迄に美事《みごと》なるものを作り出せしかと意外《いぐわい》の感を抱《いだ》くならん。今回の挿圖中右の上の隅《すみ》の三個と右の下の隅の一|個《こ》との他、周圍《しうゐ》に寫したるものは總て土器の把手《とつて》なり。其|形《かたち》其|紋《もん》實に名状《めふでう》すべからず。コロボックル美術《びじゆつ》の標本《ひようほん》たるの價値《かちよく》[#「價値《かちよく》」はママ]充分なりと云ふべし。右の下の隅に圖《づ》したるは土瓶形《どびんかた》土器の横口《よこくち》にして。模樣《もよう》は赤色の繪《ゑ》の具《ぐ》を以て畫《ゑが》きたり。右の上の三個は、土器|表面《ひやうめん》に在る押紋を其|原《もと》に還したるものにして、取《と》りも直さず紐《ひも》細工の裝飾なり。土偶《どぐう》に由りて想像《そう/″\》さるる衣服《いふく》の紋樣も此の如くにして縫《ぬ》ひ付けられしものなるべし。(第二回の挿圖を見よ。)此他土版と云ひ諸種《しよしゆ》の裝飾品《そうしよくひん》と云ひ美術思想發動《びじゆつしそうはつどう》の結果《けつくわ》を見るべきもの少しとせざるなり
○分業
石器は何石を以ても隨意《ずゐゐ》に造《つく》るを得と云ふものに非ず。土器も亦|何《いづ》れの土《つち》にても造《つく》るを得と云ふものに非《あら》ず。且つ石器を造るには夫々の道具《どうぐ》有るべく、土器《どき》を作《つく》るに於ては之を燒《や》く塲所《ばしよ》を要《やう》す。去れば適當《てきとう》の原料と製造所《せいぞうしよ》及び製造器具を手近に有する者は必要《ひつやう》の品を造《つく》るの序、余分の品をも造り置《お》く事《こと》有《あ》る可く、是《これ》に反《はん》して以上の便宜無き者は、必要の品《しな》さへも造る事《こと》能《あた》はざる事有らん。或る者は漁業に巧にして或る者は鳥獸捕獲に巧に、或る者は織《お》り物《もの》に妙《めう》を得、或る者は籠細工《かごさいく》を得意《とくゐ》とすと云ふが如き事はコロボックル社會《しやくわい》に有《あ》りし事《こと》なるべし。斯かる塲合《ばあひ》に於ては、石器製造を好《この》む者《もの》は多くの石器を造《つく》り、土器製造《どきせいぞう》を好《この》む者《もの》は多くの土器《どき》を造《つく》り互に余分の品を交換《こうかん》すると云ふか如き事《こと》も有《あ》りさうなる事《こと》ならずや。余《よ》は固よりコロボックル中に斯く斯くの職業《しよくげふ》有《あ》り、何々の專門《せんもん》有《あ》り抔との事は主張《しゆちやう》せざれど、上來述べ來《きた》りし程の知識《ちしき》有る人民中《じんみんちう》には多少の分業は存せざるを得ずと思考《しこう》するなり。
○貿易
アイヌの口碑に由ればコロボックルはアイヌと物品交換《ぶつぴんこうくわん》をせしなり。コロボックルの方より持《も》ち來《きた》りし品《しな》は何かと云ふに、或る所《ところ》にては魚類《ぎよるい》なりと云ひ或《あ》る所《ところ》にては土器《どき》なりと云ふ。恐《おそ》らく兩方《りやうほう》ならん。交換《こうくわん》の方法コロボックル先づ何品かを携《たづさ》へ來《きた》りアイヌの小家の入《い》り口又は窓《まど》の前《まへ》に進み此所にてアイヌの方より出す相當《そうとう》の品《しな》と引き換《か》へにせしものなりとぞ。斯く入り口又は窓《まど》を隔《へだ》てて品物の遣《や》り取《と》りを爲《な》せしは同類《どうるい》の間ならざるが故《ゆえ》ならん。コロボックル同志《どうし》ならば親《した》しく相對して事《こと》を辨《べん》ぜしなるべし。余は不足《ふそく》の品《しな》と余分の品《しな》との直接交換《ちよくせつこうくわん》のみならず、必要以外の品と雖も後日《ごじつ》の用《よう》を考へて取り換へ置く事も有りしならんと思惟するなり、斯かる塲合《ばあい》に於ては美麗《びれい》なる石斧石鏃類は幾分か交換の媒《なかだち》の用を爲せしならん。[#地から1字上げ](未完)
[#改段]
●コロボックル風俗考 第十回(挿圖參看)
[#地から1字上げ]理學士 坪井正五郎
○交通
石器時代遺跡は琉球より千島に至るまで日本諸地方に散在《さんざい》する事挿圖中に示《しめ》すが如くなるが、是等は恐《おそ》らく同一人民の手に成りしものなる可し。各遺跡を一々|檢査《けんさ》し相互に比較《ひかく》したりとは斷言《だんげん》し難けれど、日本諸地方の石器時代遺跡中には互に異《ことな》
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