れる人民の手に成りしもの有りとの反証《はんせう》出《い》でざる間は斯く考ふる方道理有りと云ふべし。同一人民とは即ちコロボックルなり。彼等の住居せし跡《あと》が斯《か》く諸地方に散在《さんざい》するは、移住《いぢう》に原因するか、又は同一時に於ても此所彼所に部落の在りしに原因するか、如何と云ふに、こは何れか一つと限るべきに非ず、移住にも因る可く部落《ぶらく》の散在《さんざい》にも因る可きなり。移住と云へば固よりの事、部落散在《ぶらくさんざい》と云ふも異地方交通の途開け居りし事推知すべきなり。同一時に於て此所彼所に同一人民の部落存在せりとは、取りも直《なほ》さず、其前の時代に於て移住行はれたりと云ふ事なり。既に交通《こうつう》の途《みち》開《ひら》け居たりとすれば、異部落相互の間にも往來《わうらい》有《あ》りしと考ふるを得べし。此事の確証《かくせう》は遺物中《ゐぶつちう》より發見さるるなり。一例を擧げんか。東京にも其近傍にも天然に黒曜石を産する地は有らざるに、此地方の石器時代遺跡よりは黒曜石製の石鏃|出《い》づる事多し。原料の儘にもせよ、又は製造品《せいぞうひん》としてにもせよ、是等の黒曜石は他地方、恐《おそ》らくは信濃地方より此地方に運《はこ》ばれしものたる事明かなり。他の地方に於ける他の石質《せきしつ》に付いても同樣の事を云ふを得べし。異地方發見の土器《どき》を比較《ひかく》して、其土質、製法、形状、紋樣等を對照《たいせう》するも亦|類似《るいじ》の度《ど》強《つよ》くして一地方の物の他地方に移りし事、即ち異地方相互の間に交通ありし事を證明《せうめい》する事實《じじつ》少しとせざるなり。
    ○道路
釧路國釧路郡役所裏の丘上にはコロボックルの住居跡たる竪穴|數多《あまた》存在する事なるが、其並び方《かた》は一列に非すして、恰も道路を挾《はさ》みて兩側に一二列宛在るが如く成り居《を》るなり。(第五回參照)尚ほ精しく云へは、中央《ちうわう》に一線の往來《わうらい》有りて、其兩側に或は一戸宛|向《むか》ひ合ひ、或は向ひ合ひたる住居の後方にも亦一二戸の住居存在せしか如き有樣に、竪穴散在す。此塲合に於ては此邊|道路《だうろ》なりしならん、此所より此所の間には當さに道路有りしなるべきなり抔《など》と云ふを得れど、斯《かく》なる塲合は决して多からさるなり。一遺跡と他の遺跡との間には甞て道路存在せしなるへけれど、此所と云ひて指示《しぢ》するを得る所は未だ發見せす。今交通の事を述へたる後に熟考《じゆくかう》するに、一部落と他部落との間には、人々の多く徃來《わうらい》する所、即ち多くの人に蹈《ふ》まれて自《おのづか》[#ルビの「おのづか」は底本では「お」]ら定まりたる道路の形を成せる所有りしならんとは推知せらるるなり。コロボックルの住居《すまゐ》には直徑五六間のもの徃々有り。是彼等が長大なる木材を用ゐし事有るを間接《かんせつ》に示すものなり。(第五回參照)コロボックルにして長大なる木材を用ゐたりとせんか、既に衣服有つて其水に潤ふを厭ふべき彼等《かれら》が、細流《さいりう》の上に丸木橋を架して徃來に便にする事を思ひ付かざる理有らんや。余は未だ[#「未だ」は底本では「未ば」]確證を得ざれども、推理及び現存未開人民の例に由りて、コロボックルは恐らく橋を有せしならんと考ふるなり。
    ○運搬
コロボックルが舟を用ゐしとの事はアイヌの[#「アイヌの」は底本では「アイヌノ」]口碑に存す。但し其舟は丸木舟《まるきふね》のみならずして、草《くさ》を編《あ》みて作れる輕き物も有りと云へり。前にも述《の》べし如く、コロボックルは銛《もり》の類にて魚《うを》を捕《と》りし事も有り、網《あみ》を以て魚を捕りし事も有りしは明《あきら》かなれば、或る種類《しゆるゐ》の舟も存在せしならんとは推知さるる事ながら、そは丸木舟《まるきふね》の如き物なりしなるべく、草を編みたる物抔《ものなど》とは思ひも由《よ》らざる事なり。然《しか》らば此|輕《かる》き舟とは何を指《さ》すかと云ふに、口碑に隨へば、こは陸上にて荷《にな》ひ易《やす》く、水上にては人を乘するに足《た》る物なりとの事なり。エスキモ其他|北地《ほくち》現住民の用ゐる獸皮舟は是に似《に》たり。陸上にては使用者《しようしや》之を荷ひ、水上にては使用者是に乘る、誠に輕便《けいべん》なる物と云ふへきなり。所謂草とは如何なる物か詳ならされと、丸木舟とは構造《こうざう》を異にする一種の舟、恐らくは木の皮抔にて造りたる舟、も存在せしなるべし。(第三回挿圖參照)是等二種の舟は、人の往來、諸物の運送《うんそう》に際して等しく用ゐられしならんと考へらる。
    ○人事
出産、保育、結婚《けつこん》等の人事に關しては未だ探究《たんきう》の端緒を得ず。疾病の種類《しゆるゐ》にして存在の証跡を今日に留むるは黴毒と虫齒なり是等の事は遺跡より出つる骨《ほね》と齒《は》とに由りて知るを得る事なれど、風俗考には縁故遠き事故|細説《さいせつ》は爲さざるべし。治療の事は知るに由無しと雖とも鋭利なる石器骨器の存在を以て推せば外科的|施術《しゆじゆつ》は多少行はれしならんと考へらる。死亡者は如何《ゐか》に取扱《とりあつか》ひしか、普通《ふつう》の塲合は反つて知り難けれど、死者中の或る者を食ふ風習《ふうしふ》の有りし事は、貝殼《かいがら》、獸骨、等に混じて破碎せる人骨《じんこつ》の遺れるに由りて知るを得るなり。(第四回參照)    ○結論
余は本篇の初めに於て身体《しんたい》裝飾の事を云ひ、次で衣服、冠《かむ》り物|覆面《ふくめん》、遮光器、の事を述べ、飮食、より住居、器具《きぐ》に移り、夫より日常|生活《せいくわつ》、鳥獸魚介の採集、製造、美術、分業、貿易、交通、運搬、人事に付いてコロボックル風俗の大概《たいがい》を記し終れり今是等の諸事《しよじ》を通じ考ふるに、此|石器《せきき》時代人民の我々日本人の祖先《そせん》たらざりしは勿論、又アイヌの祖先たらざりし事も明かなり。一事を擧《あ》げて之を日本人及びアイヌの所業《しよげふ》に照らし、一物を採《と》つて之を日本人及びアイヌの製品《せいひん》に比《ひ》し、論斷を下すが如きは、畫報《ぐわはう》の記事《きじ》として不適當なるの感無きに非ざれば、夫等の事は一切省畧して、只|肝要《かんえう》なる一事のみを記すべし。之は他に非ず、石器時代の遺跡より發見《はつけん》する所の人骨は日本人の骨とも異り、又アイヌの骨とも等《ひと》しからずとの一事なり。日本諸地方に石器時代の跡《あと》を遺したる人民にして、體格《たいかく》風俗《ふうぞく》、日本人とも同じからずアイヌとも同じからずとせば、此《この》人民は何者なりしか、其|行衛《ゆくゑ》は如何との二疑問次いで生ずべし。余は本篇の諸所に於て現存《げんぞん》のエスキモが好く此《この》石器時代人民に似たりとの事を記《しる》し置しが、古物、遺跡、口碑を總括して判斷《はんだん》するに、アイヌの所謂《いわゆる》[#ルビの「いわゆる」は底本では「ゆわいる」]コロボックルはエスキモ其他の北地|現住民《げんぢうみん》に縁故近き者にして、元來《ぐわんらい》は日本諸地方に廣がり居りしが、後《のち》にはアイヌ或は日本人の爲に北海道の地に追ひ込まれ、最後《さいご》にアイヌの爲に北海道の地より更《さら》に北方に追ひ遣られたるならんと考へらるアイヌとはコロボックルと曾《かつ》て平和の交際《かうえき》をも[#「交際《かうえき》をも」はママ]爲したりしと云ふに如何《いか》にして、不和《ふわ》を生じて相別かるるに至りしか。固より詳知し難《かた》しと雖とも、口碑に隨へば、或時コロボックルの女子貿易の爲アイヌの小屋の傍に行《ゆ》きしに、アイヌ共此女を捕《とら》へて内に引き入れ、其の手の入れ墨《ずみ》を見んとて、強《し》ゐて抑留せし事有るに原因すとの事なり。(第一回參照)此事は今の十勝《とかち》の地に於て起《お》こりし事なりと云ふ。
終りに臨《のぞ》んで讀者諸君に一言す。余は以上の風俗考を以て自ら滿足《まんぞく》する者に非ず、尚ほ多くの事實を蒐集總括して更に精しき風俗考を著《あらは》さんとは余《よ》の平常の望《のぞ》みなり。日本石器時代の研究は啻《ただ》に日本の地に於《お》ける古事を明かにする力を有するのみならず人類學《じんるゐがく》に益を與ふる事も亦極めて大なり。是等に關する古物《こぶつ》遺跡に付いて見聞《けんぶん》を有せらるる諸君《しよくん》希くは報告の勞《らう》を悋まるる事勿れ。[#地から2字上げ](完)
[#地付き]東京本郷理科大學人類學教室に於て 坪井正五郎記す



底本:「日本考古学選集 2 坪井正五郎集―上巻」築地書館
   1971(昭和46)年7月20日発行
初出:「風俗画報 第九十一號〜第百八號」
   1895(明治28)年4月〜1896(明治29)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※変体仮名と仮名の合字、仮名の繰り返し記号は、通常の仮名に書き換えました。
※複数行にかかる波括弧には、けい線素片をあてました。
※コロボックルとコロボツクル、エスキモーとエスキモ、器と噐、体と體、往と徃、※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]と挿の混用は底本どおりにしました。
※「石塚空翠」署名の挿絵は、没年の確認に至れなかったの、収録しませんでした。
入力:Nana ohbe
校正:しだひろし
2009年6月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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