コロボックル風俗考
坪井正五郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)貝塚《かひづか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)男子中|果《はた》して

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)だい/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     コロボックル風俗考(第一回)
[#地から1字上げ]理學士 坪井正五郎
       緒言
此風俗考を讀むに先だちて知らざるべからざる事數件有り。此所に列記して緒言とす。
コロボックルとは何ぞ[#「コロボックルとは何ぞ」に白丸傍点]。コロボックルとは元來北海道現住のアイヌ、所謂舊土人が己れ[#「己れ」は底本では「巳れ」]等よりも更に舊く彼の地に棲息せし人民に負はせたる名稱の一なり。然れども此人民の遺物なりとアイヌの言ひ傳へたる物を見るに本邦諸地方の石器時代遺跡に於て發見さるる古器物と同性質にして彼も此も正しく同一人民の手に成りしと考へらるるが故に、余は北海道以外に生存せし者をも人種を等しうする限りは、總てコロボックルなるアイヌ語を以て呼ぶ事となせり。
コロボックルの意義[#「コロボックルの意義」に白丸傍点] コロボックルとはコロコニ即ち蕗、ボック即ち下、グル即ち人と云ふ三つの言葉より成れる名稱にして、蕗の下の人の義なり。アイヌに先だちて北海道の地に住せし人民は蕗の葉を以て其家の屋根を覆ひたる故アイヌは彼等に此名を與へたりと云ふ 此名は决して何れの地のアイヌも一樣に知れるものにはあらず。或地方にてはトイチセクルと云ふ名行はれ、或地方にてはトイチクルと云ふ名傳はれり。此他に異名多し。余が殊にコロボックルなる名稱を撰びたるは其口調好くして呼び易きと、多少世人に知られたるとに由るのみ。余は此人民の家は何地に於ても蕗の葉にて葺かれたりと信ずるにはあらす。讀者諸君コロボックルなる名を以て單に石器時代の跡を遺したる人民を呼ぶ假り名なりと考へらるれば可なり。
石器時代遺跡[#「石器時代遺跡」に白丸傍点]。これ右記述中にて殊に肝要なる言葉なり。念の爲手短に説明せん。我々日本人は現に鐵製の刃物を用ゐ居れども、世界中の人類が古今を通じて悉く然るにはあらず。曾て金屬の用を知らざりし人民も有れば、亦今尚ほ石を以て矢の根、槍先、斧の類を造る人民もあり。事の過去に屬すると現在に屬するとを問はず、人類が主として石の刃物を製造使用する時期をば人類學者は稱して石器時代と云ふなり。アウストラリヤ土人の如きは現在の石器時代人民の一例にして本邦諸地方に石の矢の根、石の斧等を遺したる者は過去の石器時代人民の一例なり。現在の例は一に止まるに非ず、過去の例亦甚多し。隨つて石器時代遺跡の種類も性質も諸所必しも一致するには非ざるなり。他國の事は姑く措き余は先づ我が日本の地に存在する石器時代遺跡の種類をば左に列擧すべし。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、貝塚《かひづか》。多量の貝殼積み重なりて廣大なる物捨て塲の体を成せるもの。好例東京王子西ヶ原に在り。
二、遺物包含地《ゐぶつはうがんち》。地下に石器及び他の石器時代遺物を包含する所。好例埼玉大宮公園内に在り。
三、竪穴《たてあな》。直徑二三間或は四五間の摺り鉢形の大穴。好例釧路國釧路郡役所近傍に在り。
[#ここで字下げ終わり]
是等は正當に石器時代の遺跡と稱すべきものなれど尚ほ他にも石器時代遺物の發見さるる所あり。これ以上の三種破壞攪亂されたる結果たるに過ぎざるなり。
石器時代遺物[#「石器時代遺物」に白丸傍点]。石器時代の遺跡は石器時代の遺物存在に由つて始めて確めらるるものなり。今此遺物中にて主要なる人造物を撰み出し其名目を掲ぐれば左の如し。
一、石器《せきき》―[#ここから割り注]石の矢の根、欠き造りの石の斧、磨き造りの石の斧[#ここで割り注終わり] 二、土器《どき》―瓶、鉢、壺、椀、人形。三、骨器《こき》          四、角器《かくき》
石器時代人民に關する口碑傳説[#「石器時代人民に關する口碑傳説」に白丸傍点]。石器時代の古物遺跡に關しては日本人中に傳ふる所の説誠に區々にて或は石器を以て神、天狗、雷の造る所となし、或は石器時代の土器を以て源義家酒宴の盃、又は鎌倉繁榮時代の鮹壺となし、或は貝塚を以て巨大なる人の住ひ跡となす。アイヌの口碑は是に反して何れの地に於けるも一樣なり。其大要を云へば次の如し。
アイヌは元來日本本州の方に居りし者なるが日本人の爲に追はれて北海道の地に移り來りしなり。其頃此地にアイヌと異りたる人類住ひ居れり。此人民は石にて刃物を造り、土にて鍋鉢を造り、竪穴を堀つて住居とせり。最初はアイヌと物品交易抔爲せしが後に至つてアイヌと不和を生じ追々と何れへか去り徃きて今日は誰も其所在を知らず。
本邦石器時代の年歴[#「本邦石器時代の年歴」に白丸傍点]。北海道に石器時代人民の居りしは今より數百年前の事なるべけれど、日本本州に在る同人民の遺跡は更に古くして東京邊に於けるものは恐らく三千年を經過し居るならん。此人民もアイヌと等しく、本州より北海道の地に移りしものと考へらるるなり。
コロボックル風俗[#「コロボックル風俗」に白丸傍点]。北海道其他本邦諸地方に石器時代の跡を遺したる人民の風俗は如何なりしや。幾分かはアイヌの云ひ傳へたるコロボックルの昔話しのみに徴して知るを得べく、幾分かは古物遺跡の研究のみに由つて知るを得べけれど、兩者を對照して考ふる時には、一方を以て他方の不足を補ふことも有るべく、相方一に歸して想像を慥にすることも有るべく、互に相俟つて一事を證することも有るべく、石器を遺し、コロボックルの名を得たる此古代人民の風俗は一層明瞭と成るべきなり。以上指し示したる二つの根據は共に過ぎ去りたる事柄なるが、是等の他にも亦現在の事實にして參考に供すべきものあるなり。
未開人民の現状[#「未開人民の現状」に白丸傍点]。未開人民の現状は實にコロボックルの風俗を探るに當つて大に參考とすべきものなり。石器時代の境界に在る人民今尚ほ存すとは既に云ひし所なるが本邦にて發見する石器の使ひ方造り方の如きは是等人民の所業を調査して始めて精く知るを得べきなり。土器の製造法も使用法も、竪穴の住ひ方も、貝塚の出來方も同じく皆現存未開人民の行爲に就て正しく推考することを得。此他の風俗に關する諸事に於ても亦然り。
コロボックル風俗考の主意[#「コロボックル風俗考の主意」に白丸傍点]。コロボックル風俗は第一、アイヌの傳へたる口碑、第二、本邦石器時代の古物遺跡、第三、未開人民の現状の三種の事柄に基いて考定すべきものなるが、之を爲すの主意たるや、啻に本邦古代住民コロボックルの生活の有樣を明にするのみならず、此人民と他の人民との關係、此人民の行衛迄も明にせんとするに在るなり。
コロボックルの体質[#「コロボックルの体質」に白丸傍点]。コロボックルは丈低き人民なりしとは諸地方アイヌの一樣に云ふ所なり。中には一尺計りと云ふ者もあり、八寸計りと云ふ者もあれど、こは日本語にて丈低き者をば一寸法師と呼ぶが如く形容たるに過ぎざるべし。容貌は男女見別け難かりしと云へば男子には髯無かりしならん。石器時代の土偶中には男子を摸せしと思はるる者も有れど髯の形を作り設けしものは未だ見ず。男子に髯無くして容貌女と等しき人民は他に例無きにあらず。アメリカの北端に住むエスキモとアジヤの東北端に住むチクチとの如きは殊に然りとす。コロボックルの顏の形は如何なりしか固より確知する能はずと雖とも土偶の面部の或は圓く或は平たきを以て考ふれば恐らく圓形なりしならんと思はるるなり。
     ●身体裝飾
頭髮[#「頭髮」に白丸傍点] コロボックルは頭髮を如何に斷ちしや如何に束ねしや、余は或るアイヌよりコロボックルの女はアイヌの女と同樣に頭髮を切り下げに爲し居りし由との事を聞きしのみにて他には口碑に就て得る所無し。土偶に據つて考ふれば、男子は頭髮を頂上にて一つに束ね稍冠下の如くにし、女子は或は頭後に渦卷きを作り或は頭上に五つの小髷を載せ或は髮を左右に等分して全体を、への字形に爲せしと思はる。※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]圖第一の周圍に在るは土偶頭部の實例にして中央に畫きたるは此等及ひ他の標本を基として作りたる想像圖なり。
實例圖中、上の中央に在るものは理科大學人類學教室所藏、其右のものは佐藤蔀氏藏、其下は岡田毅三郎氏藏、上の左は帝國博物舘藏、其下は理科大學人類學教室藏、下の中央は田口惣右衛門氏藏、其右は唐澤貞次郎氏藏、下の左は唐澤辨二氏藏。
入れ墨[#「入れ墨」に白丸傍点] コロボックルの女の入れ墨せし事は諸地方のアイヌの等しく傳ふる所なり。此の裝飾を施す額分は或は手先より臂迄と云ひ或は口の周圍及び手先より臂迄と云ふ。土偶には頬の邊に入れ墨を示せし如き線を畫きしが有り。アイヌの女が入れ墨するはコロボックルの風を學びしものなりとの云ひ傳へも諸所に存す。女子の入れ墨を以て身体を飾る事類例甚多し。エスキモの如き其一なり。※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]圖第二の中央に畫きたる土偶は信州松本某氏の藏、鷹野秀雄氏の報に係る。其右に畫きたるは面部入れ墨の想像圖なり。
耳飾[#「耳飾」に白丸傍点] 耳飾の事は口碑に存せず。然れども諸地方發見の土偶中には耳の部分に前後に通ずる孔を穿ちたるもの往々存在するを以て見れば、耳飾の行はれたる事は疑ふべからず。凡諸人種間に行はるる耳飾には二種の別有り。第一種は耳に穿ちたる孔に緩く下ぐる輪形の物。第二種は耳に穿ちたる孔に固く挾む[#「挾む」は底本では「狹む」]棒形或はリウゴ形の物なり。土偶の耳の部には元來動き易き摸造の耳輪着け有りしものの如く、實際に於ても恐くは獸の皮、植物の線緯等にて作れる輪形の耳飾用ゐらしれ[#「用ゐらしれ」はママ]ならん。第二種の耳飾も存在せしやに考へらるれど未だ確言するを得ず。想像圖中には輪形の耳飾のみを畫きたり。
唇飾[#「唇飾」に白丸傍点] 土偶中には口の兩端に三角形のものを畫きたる有り。又口の周圍に環點を付けしもの有り。或る者は入れ墨なるも知るべからず、或る者は覆面の模樣なるも知るべからずと雖も、余は是等の中には唇飾も有るならんと考ふ。唇飾とは口の周邊に孔を穿ちて是に固く挾む所の棒形或はリウゴ形の裝飾なり。耳飾も唇飾も身体を傷くるに於ては同等なる弊風なり。されど甲は其分布甚だ廣くして、自ら開化人なりと稱する人々の中にさへ盛に行はれ、乙は其分布割り合に狹くして、發達したる社會に於ては跟跡だに見ざるが故に、古代の石器時代人民が耳輪を用ゐたりとの事を信ずる人も或は唇飾の事を疑はん。實に唇飾は耳輪よりも不便にして着け惡き物たるに相違無し。然れども習慣と成れば彼の支那婦人の小足の如き事も有るものにて、口の兩端或は周圍に孔を穿ちて唇飾を着くる風は現にエスキモ、チクチ、其他アメリカ、アフリカの諸土人中に行はれ居るなり。高橋鑛吉氏が宇都宮近傍に於て獲られたる土製の小さきリウゴ形の物は其形其大さ誠に好く現行の唇飾に似たり。物質は異れど此物の用は恐く唇飾ならん。右の下に畫きたる男子が唇飾を着けたる想像圖なり。
※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]圖第二の中にて、口の兩端に二重の三角の畫き有る土偶は水戸徳川家の藏、簡單なる三角の畫き有るは羽後某氏の藏、口の四方に點を打ちたるは岡田毅三郎氏藏、口の周圍に點を打ち廻らしたるは理科大學人類學教室藏。
頸飾[#「頸飾」に白丸傍点] 土偶中には頸の周圍に紐を纒ひしが如きもの有り。恐らくは頸飾ならん。石器時代遺跡發見物中に在る曲玉及び其類品は裝飾と
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