ける石棒《いしばう》と等《ひと》しく、石製の臺上《だいじやう》に横たへ轉《ころ》ばして餅《もち》の類を延すに用ゐられしなるべく、精製石棒中《せい/\いしばうちう》の或る者はニウジーランドに於ける精巧《せいこう》なる石噐の如く、酋長抔の位階の標《しる》しとして用ゐられしなるべしと思惟《しゐ》するのみ。彼《かの》石棒を以《もつ》て古史に所謂《いはゆる》イシツツイなりと爲すが如《ごと》きは遺物|發見《はつけん》の状况に重みを置《お》かざる人の説《せつ》にして、苟も石器時代遺跡《せききじだいゐせき》の何たるを知る者は决して同意《どうい》せざる所ならん。圖中《づちう》粗製《そせい》石棒の例として掲げたるものは遠江|豊田郡《とよだごほり》大栗安村にて發見《はつけん》せしもの、精製石棒の例として掲げたるものは羽後|飽海《あくみ》郡上郷村にて發見《はつけん》せしもの、共《とも》に理科大學人類學教室《りくわだいがくじんるゐがくきやうしつ》の藏品なり。扨是等の石器は如何《いか》にして造《つく》られしやと云ふに、石斧石鏃の塲合《ばあひ》とは事變はりて、半成品《はんせいひん》も見當《みあ》たらず、細工屑も見當《みあ》たらざれば、明かに知る由|無《な》しと雖も製法の大畧《たいりやく》は先づ板《いた》の如《ごと》く扁平なる石片《せきへん》を採《と》りて之を適宜の幅《はば》に引《ひ》き截《き》るか、又は自然《しぜん》に細長き石を周圍《しうゐ》より缺き※[#「冫+咸」、82−上−12]らし磨り※[#「冫+咸」、82−上−13]らしして適宜《てきぎ》の太《ふと》さにするかして、後徐々に手持砥石《てもちといし》の類《るゐ》にて磨き上げしものなるべし。石《いし》を引《ひ》き截り石を缺き※[#「冫+咸」、82−上−14]らす爲には石斧製造の條下《ぜうか》に述《のぶ》べしが如き方法行はれしならん。
糸掛《いとか》け石とは圖中|精製石棒《せい/\いしばう》の右の端の下に畫《ゑが》き有るが如きものなり。此所《ここ》に例として擧げたるものの出所《しゆつしよ》は遠江周智郡入野村なるが此地《このち》よりは尚ほ類品《るゐひん》數個出でたり。他|地方《ちはう》より出でたる糸掛け石も形状《けいじやう》大さとも概ね此例《このれい》の如し。此|石器《せきき》の用は未だ詳ならざれども切り目の樣子《やうす》を見れば糸を以て括《くく》りたるものなる事疑ひ無し。案《あん》ずるに此類《このるい》の石噐《せきき》は或は釣糸《つりいと》を埀るる時に錘りとして用ゐられし事も有るべく、或は鳥を捕《とら》ふるに際《さい》し束《つか》ね糸の端に括《くく》り付けられし事も有るべく、(此|捕鳥器《ほてうき》の事は別に詳記《しやうき》すべし)或は打《う》ち紐《ひも》を作るに當つて糸の錘《おも》りとして用ゐられし事も有るべし。製法《せいはう》は自然の扁平石《へんへいせき》の小さきものを採《と》り、又は石を打ち缺《か》き摩《す》り※[#「冫+咸」、82−上−26]らして斯かる形と爲し、其上に燧石抔《ひうちいしなぞ》の尖りたる角にて切り目を付けしものならん
●錘り石
圖中[#圖中」は底本では「國中」]|精製石棒《せい/\いしばう》中央の下に畫《ゑが》きたるは自然《しぜん》の扁平石にして、周縁相對する部に人爲《じんゐ》の缺損《けつそん》有り。此者の用も未た詳ならされと、前項《ぜんこう》に記したる糸掛《いとか》け石に於けるよりは更に太《ふと》き紐《ひも》を以て括《くく》りし者たる事殆と疑《うたが》ひ無く、從つて何物《なにもの》かの錘《おも》りに用ゐられしならんと考へらるるなり。此所《ここ》に畫きたるものは伊豆君澤郡|久連《くづら》村より出でしものなるが、類品《るゐひん》は諸地方《しよちはう》より出でたり。恐らくは網の錘《おも》りならん。(網の存在《ぞんざい》に付きては慥《たしか》なる證據《しやうこ》あり。此事に關しては再び記す所あるべし。)
●凹み石
錘《おも》り石の左方《さはう》に畫きたる火山石を人工《じんこう》にて橢圓体状《だゑんたいじやう》に爲したる者にして、上下|兩面《りやうめん》の中央には人工にて穿《うが》ち凹《くぼ》めたる穴有り出所は甲斐西八代郡大塚村なり。諸地方《しよちはう》より出でたる類品《るゐひん》甚多し。用法《やうはう》未だ詳ならず。之を造《つく》るには先づ適宜《てきぎ》の大さの火山石を拾《ひろ》ひ自然《しぜん》面の利用《りやう》すべき部は之を利用し、他の不規則《ふきそく》に高低|有《あ》る部《ぶ》は或は缺《か》き或は摩《す》りて全体《ぜんたい》を大なる牡丹餅《ぼたもち》の如き形とし兩面《れうめん》の中央部《ちうわうぶ》には尖端《せんたん》の鋭き石片《せきへん》又は鹿《しか》の角抔《つのなど》を當《あ》て、他の小石を槌として之を打《う》ち徐々に凹《くぼ》みを設《まう》けしならん。
●石皿
圖中凹み石の下《した》に畫《ゑが》きたるは石皿の例にして其發見地《そのはつけんち》は武藏青梅近傍日向和田なり。一|方《はう》には深《ふか》き凹み有り、一方には物《もの》を掻《か》き出《だ》すに都合好《つがふよ》き構造《かうぞう》有《あ》り。單に形状《けいじよう》のみを見るも穀類抔《こくるゐなど》を粉《こ》にする時《とき》の臺《だい》の如くに思《おも》はるれど、アフリカの内地《ないち》の土人は現に同形《どうけい》の石器を同樣《どうやう》の目的《もくてき》に用ゐ居るなり。此類《このるゐ》の石器にして果《はた》して粉製《こつく》りの臺たらば、是《これ》に對《たい》する粉潰《こつぶ》しの道具《どうぐ》も有る可き筈《はづ》なり。事實《じじつ》如何《いかん》と云ふに日向和田に於《おい》ては實際《じつさい》石皿と伴ふて是《これ》に適合《てきがふ》する橢圓石《だゑんせき》發見《はつけん》されしなり。思ふにコロボツクルは是等の石器《せきき》を用ゐて草木《さうもく》の實《み》を壓《を》し潰《つぶ》し食用《しよくえう》の粉《こ》を製《つく》りしならん。石皿の名《な》は决《けつ》して適切《てきせつ》には非ざれど、他《た》に好《よ》き名を思《おも》ひ付かざれば姑《しばら》く通稱《つうしやう》に從ふのみ。類品《るゐひん》諸所《しよ/\》より出でたり。之《これ》を作るには火山石の適宜《てきぎ》の大さのものを撰《えら》び凹み石を作ると同樣《どうやう》の順序《じゆんじよ》を經《へ》て、一|面《めん》に大なる凹みを設《まふ》け、此凹みの内部《ないぶ》をば他《た》の石を以て摩《す》り※[#「冫+咸」、83−上−6]《へ》らしたるものなるべし
●骨器
石器時代《せききじだい》の器具《きぐ》とて何者《なにもの》も總《すべ》て石を材料《ざいれう》とせしには非ず。獸類の骨《ほね》にて作《つく》りたる物、魚類《ぎよるゐ》の骨《ほね》にて作りたる物等《ものら》も正《まさ》しく石器時代の遺跡《ゐせき》より發見《はつけん》さるるなり。圖中石皿の右に在るは獸骨器の尖端《せんたん》なり。此《かく》の如《ごと》き骨噐はエスキモーの現用漁業具中《げんやうぎよげうぐちう》に在り。此所《ここ》に畫《ゑが》きたるものの出所《しゆつしよ》は岩磐新地貝塚なるが、其用《そのえう》は恐《おそ》らくエスキモーの所用《しよやう》の者と等《ひと》しく銛《もり》の先に着《つ》けて海獸《かいじゆう》大魚《たいぎよ》を打ち留《と》むるに在りしならん。類品《るゐひん》は北海道《ほくかゐだう》レブン島よりも出でたり。獸骨器の右《みぎ》に畫《ゑが》きたるは魚骨器なり。上端《じやうたん》の孔は糸を貫くに適《てき》したり。思《おも》ふに此骨器は粗《あら》き物を縫《ぬ》ひ合はする時に針《はり》として用ゐられしならん。類品《るゐひん》は他《た》より出《い》でたれど此所《ここ》に掲《か》げたるものは武藏荏原郡大森貝塚より出でたるなり。骨器の類は此他種々|有《あ》れど煩《はん》を厭《いと》ひて記《しる》さず
●角器牙器
石器時代|遺跡《ゐせき》よりは又《また》鹿《しか》の角《つの》にて作りたる噐具《きぐ》も出づ。魚骨器の右《せき》に畫きたるは其一例《そのいちれい》にして、發見地《はつけんち》は相模[#「相模」は底本では「相摸」]三浦郡|久比利《くびり》貝塚なり。用《やう》は大魚《たいぎよ》を釣《つ》るに在りし事《こと》何《なん》の疑《うたがひ》か有らん
角器の上《うへ》に畫きたるは猪の牙を摩り※[#「冫+咸」、83−上−24]らして作《つく》りたる矢《や》の根形《ねかた》の利噐《りき》なり。此品《このしな》は常陸河内郡椎塚より出でたるものなるが是《これ》と同樣《どうやう》の品《しな》は大森貝塚よりも發見《はつけん》されたり。思《おも》ふに此利噐《このりき》は前に掲《かか》げたる獸骨器と等《ひと》しく、銛《もり》の尖端《せんたん》として用ゐられしものなるべし。
以上の骨器角器牙器は燧石の角にて疵付《きづつ》くる事と、砥石の類に摩《す》り付《つ》くる事とに由りて作《つく》り上げしならん。圖中に畫《ゑが》きたる石器骨器角噐牙噐は皆理科大學人類學教室の藏品なり。
●土器
石器時代遺跡より發見《はつけん》さるる土器《どき》は四部に大別するを得。
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(第一)飮食物其他の諸品《しよひん》を容《い》るるに適したる噐。(之を容噐と呼ぶ)
(第二)裝飾《そうしよく》として身に帶《お》びしが如きもの。(之を裝飾品と呼ぶ)
(第三)人の形《かたち》に造《つく》られたるもの。(之を土偶と呼ぶ)
(第四)はがき位の大さにて札形のもの。(之を土版と呼ぶ)
此他、用法も詳《つまびらか》ならず、分類も爲し難きもの數品有り。
製法は何れも手づくね素燒《すや》きなり。土質中には多少《たせう》の雲母《きらら》を含《ふく》むを常とす。
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●容器
容器には種々の形有り。一々《いち/\》名状《めいじやう》すべからず。大は口徑一尺餘。小は口徑一寸許り。高《たか》さ厚《あつ》さ亦區々なり。圖版中右の上に畫く所は形状《けいじやう》を主《しゆ》とす、大小の比例は必しも眞の如くならず。色は黒色栗色鳶色カハラケ色等種々有りて表面の精粗《せいそ》も一定《いつてい》せず、製法は圖版中左の下に畫きたるが如し。先づ底面を作り其上に紐形にしたる土を乘せ、周圍《しうゐ》に添《そ》ふて之を段々に螺旋状に積《つ》み上げ、内外兩面を滑《なめら》かに擦《す》りて全形を仕上げ、後種々の裝飾を施《ほどこ》して火《ひ》に掛《か》けたるならん。此順序は遺跡發見物中に存在する造《つく》り掛《か》けの土噐を比較《ひかう》して明かに知るを得るなり。土噐の底面には網代の痕又は木の葉の痕を存するものあり。是製造の始|敷《し》き物《もの》として用ゐたる編み物或は木の葉が偶然此所に印せられしに他ならず。裝飾《そうしよく》には摸樣《もやう》と彩色《さいしき》との二種有り。摸樣は燒く前に施し、彩色は燒きたる後《のち》に施《ほどこ》せしなり。摸樣は種類甚多しと雖も大別して沈紋《ちんもん》浮紋《ふもん》の二とするを得、沈紋《ちんもん》とは土器の面より凹《くぼ》みて付《つ》きたる摸樣《もやう》にして、浮紋とは土器の面上に他の土塊を添へて作りたるものの謂なり。沈紋の中に又|押紋《をうもん》畫紋《ぐわもん》の別有り。布《ぬの》、席《むしろ》、編み物、紐細き棒の小口、貝殼《かひがら》等を押《お》し付《つ》けて印したる紋を押紋と云ひ、細き棒或は篦《へら》を以て畫《ゑが》きたる摸樣を畫紋と云ふ。是等諸種の摸樣は通例《つうれい》彼此《ひが》[#「彼此《ひが》」はママ]相《あい》混《こん》じて施され居るなり。彩色には總塗《そうぬ》り有《あ》り、畫紋有り、兩種を合算するも其數甚少し。色は何れも赤なれど其内に四五種の別有り。(繪具の事に付きては別に記す所あるべし)
容器の用は必しも飮食品《いんしよくひん》を貯《
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