やうけん》を充たす地には大部落《だいぶらく》存《そん》せしならん。住居《ぢうきよ》の大小は家族《かぞく》の多少に因る事|勿論《もちろん》なれど塲合《ばあひ》に由つては一個《いつこ》の大部屋を設《もう》くる代りに數個《すうこ》の小部屋を作る事も有りしと思はる。瓢形《ひやうかた》の竪穴《たてあな》の如き即ち其例なり。穴《あな》を作《つく》るに當つては、或は長さ幾歩《いくほ》、幅《はば》幾歩と歩《あゆ》み試み、或は繩《なわ》を採《と》り尋數《ひろすう》を測《はか》りて地上に張《は》り廻《めぐ》らし、堀る可き塲所《ばしよ》の大さを定め、尖《とが》りたる棒《ぼう》を以て地を穿《うが》ち、籠《かご》、席《むしろ》の類に土を受け、且つ堀《ほ》り且つ運《はこ》び多くの勞力《ろうりよく》を費して仕上《しあ》げたるものならん。アフリカ某|地方《ちはう》の土人は土堀《つちほ》り用の尖《とが》りたる棒《ぼう》に石製《せきせい》の輪《わ》をば鍔《つば》の如くに篏《は》めて重《をも》りとし、此|道具《どうぐ》の功力《こうりよく》を増す事有り。本邦石器時代遺跡《ほんぱうせききじだいいせき》より出づる石輪中《せきりんちう》にも或は同種《だうしゆ》のもの有らんか繩《なわ》、籠《かご》席《むしろ》の存在は土器《どき》の押紋《おしもん》及び形状《けいじやう》裝飾《そうしよく》等に由つて充分に證明《しやうめい》するを得べし。建築用《けんちくよう》の木材は火にて燒《や》き切り又は打製|石斧《いしおの》にて扣《たた》き切《き》りしなるべし、是等を括《くく》り合するには諸種の繩《なわ》及び蔦蔓《つたづる》の類を用ゐしなるべし
     ●室内の有樣
室内《しつない》の有樣に付きては口碑《こうひ》存せず。火を焚《た》きし跡《あと》の他、實地《じつち》に就いての調査《てうさ》も何の證をも引き出さず。余は茲に想像《そうぞう》を述べて此點に關する事實《じじつ》の缺乏《けつばう》を補《おぎな》はんとす。
昇降口《しようこうぐち》の高さは少くとも三尺位は有るべし。恐《おそ》らくは木製《もくせい》の梯子《はしご》或は蹈《ふ》み臺《だい》の設《もう》け有りしならん。入り口と周壁《しうへき》の或る部分《ぶぶん》には席《むしろ》を下げ置きしなるべく、地上《ちじやう》には木材を並《なら》べ、其上に席、編《あ》み物《もの》、獸皮《じうひ》、木皮抔《もくひなど》敷《し》き列《つら》ねて座臥の塲所とせしなるべし。室内《しつない》一部分には土間《どま》有りて此所《ここ》は火を焚《た》き、水瓶《みづがめ》を置く爲に用ゐられたるならん。土器《どき》石器《せきき》の中には小さき物あり、美《うつく》しき物あり。是等《これら》が床《とこ》の上に直に置《お》かれたりとは考ふる能はず。余は室内《しつない》には大小種々の棚《たな》の有りし事を信《しん》ずる者なり。入り口の他にも數個《すうこ》の窓《まど》有りしなるべければ、室内《しつない》は充分《じうぶん》に明《あかる》かりしならん。[#地から2字上げ](續出)
[#改段]

     ○コロボックル風俗考 第六回(挿圖參看)
[#地から1字上げ]理學士 坪井正五郎
    ●器具
衣食住の事は述《の》べ終《おは》りたるを以て是より器具《きぐ》の方に移るべし。コロボックルは如何なる器具を用ゐしやと云ふ事を考ふるには三つの據有り。其一はアイヌの傳ふる口碑《こうひ》、其二は遺跡《いせき》に存する實物、其三は土器形状模樣《どきけいじやうもやう》よりの推測《すいそく》是なり。
先づ噐具製造の原料を調査《てうさ》せん。
今日迄の實見と推測《すいそく》とに從ひ噐具を原料に由つて分類《ぶんるゐ》すれば左の如し。
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               ┌土器
  ┌無機…………………………┤
原料┤            └石器
  │  ┌植物……………………植物質噐具
  └有機│  ┌無脊動物………貝殼器
     └動物┤      ┌骨器
        └有脊動物……┤角器
               └牙器
[#ここで字下げ終わり]
尚ほ製法(打製、磨製等)功用(利器、容器等)用途(日用器具、漁獵具等)に由つても分類《ぶんるゐ》するを得れど、餘りに精密《せいみつ》に亘《わた》りて專門的に傾くは、畫報の記事として不適當《ふてきたう》なるの感無きに非ざれば、記載は見合はせ、一般讀者の便宜《べんぎ》を計り、直ちに各種の器具に就き説明《せつめい》を試む事とすべし。
    ●石製の利噐
既に緒言中にも記し置きたる通り、石器時代《せききじだい》とは、人類が主として石の刄物《はもの》を製造《せいぞう》使用《しよう》する時期の謂ひなれば、此時代の遺物中最も強く人の意を惹《ひ》くものは石器殊に石製の利器たる事勿論なり。コロボックルが石製の利噐を用ゐたりとの事はアイヌも口碑として云ひ傳へ居る事なるが、日本全國諸地方の石器時代遺跡より出づる石器中《せききちう》には、左に列擧《れつきよ》する如き種々の利器有り。
(第一)石を打ち欠きて作れる斧形《おのがた》の者。(之を打製石斧《だせいせきふ》と呼ぶ)。
(第二)石を研ぎ磨きて作れる斧形の者。(之を磨製石斧《ませいせきふ》と呼ぶ)。
(第三)石を打ち欠きて作れる槍形《やりがた》の者。(之を石槍《いしやり》と呼ぶ)。
(第四)石を打ち欠きて作れる鏃形《やじりがた》の者。(之を石鏃《せきぞく》と呼ぶ)。
(第五)石を打ち欠きて作れる錐形《きりがた》の者。(之を石錐《いしきり》と呼ぶ)。
(第六)石を打ち欠きて作れる匕形《さじがた》の者。(之を石匕《いしさじ》と呼ぶ)。
以上を主要《しゆえう》なるものとす。
    ●打製類
總説[#「總説」に白丸傍点] 石製の利器《りき》を見るに、刄の部分|打《う》ち欠《か》きて作られたるものと、研ぎ磨きて作られたるものと、の二類有り。第一類に屬するものを、打製石斧、石槍、石鏃、石錐、石匕、等とす。是等石器の製法用法は現存《げんぞん》未開人民《みかいじんみん》の所爲《しよゐ》に由つても充分に推考《すゐこう》するを得るなり。
打製石斧[#「打製石斧」に白丸傍点] 打製石斧《だせいせきふ》は通例《つうれい》長《なが》さ三寸計りにして、其形状《そのけいぜう》は長方形、橢圓形、分銅形等なり。刄《は》は一端に在る事有り、兩端《れうたん》に在る事有り。或る物は手にて直《ただち》に握《にぎ》りしなるべく、或る物には柄《つか》を括《くく》り付けしならん。使用《しよう》の目的は樹木《じゆもく》を扣《たた》き切《き》り、木材を扣き割り、木質《ぼくしつ》を刳《けづ》り取り、獸《じう》を斃《たふ》し、敵《てき》を傷《きづつ》くる等に在りしと思はる。未開社會《みかいしやくわい》に於ては器具《きぐ》の上にも分業《ぶんげう》起《おこ》らざるを常とす。一個の打製石斧《だせいせきふ》もコロボックルの爲には建築、造船、獸獵、爭鬪に際して、極《きわ》めて肝要《かんえう》なる役目を勤めしなるべし。是等の事はアウストラリヤ、クインスランド土人の現状《げんぜう》に徴して推考《すゐこう》するを得るなり。
石槍[#「石槍」に白丸傍点] 此石器は長さ二三寸より五六寸に至り、扁平《へんぺい》にして紡錘形[#「紡錘形」は底本では「紡錐形」]或は菱形《ひしがた》をなすものなり。現存石器時代人民中には、此の如き物に短《みぢか》き柄《え》を添《そ》[#ルビの「そ」は底本では「お」]へて短刀《たんとう》の如くに用ゐ、或は長き柄を添へて槍《やり》とする者有り。中央《ちうわう》アメリカ發見《はつけん》の古器物中には此類の石器に短《みぢか》き柄を付け寄《よ》せ石細工を以て之を飾《かざ》れる物在り、又一手に首級《しゆきう》を抱《かか》へ他手に石槍形の匕首を携《たづさ》へたる人物の石面彫刻物《せきめんてうこくぶつ》有り。然れば形状に由りて等《ひと》しく石槍と稱する物の中には、其用より云へば、槍も有るべく、短刀《たんたう》も有るべきなり。フランス、ベリゴードの洞穴《どうけつ》よりは馴鹿の脊椎に石槍の立ちたる物を發見せし事有り。思《おも》ふにコロボックルも石槍をば兩樣に用ゐ、時としては其働《そのはたら》きを食用動物《しよくようどうぶつ》の上に施《ほどこ》し、時としては之を人類の上に施せしならん。石槍を柄《え》に固着する爲には木詣《やに》の類と植物の皮又は獸類《じゆうるい》の皮を細くしたるものを併せ用ゐしなるべし。
石鏃[#「石鏃」に白丸傍点] 石鏃《せきぞく》は通例《つうれい》長さ六七分にして其形状一定せざれど、何れも一端|鋭《するど》く尖《とが》り、左右常に均整《きんせい》なり。此種の石器|夥多《あまた》の中には石質美麗《せきしつびれい》、製作緻密《せいさくちみつ》、實用に供するは惜ししと思はるる物無きに非ず。小に過《す》ぎて用を爲さざる物有り、赤色《あかいろ》の色料《しよくれう》を塗《ぬ》りて明かに裝飾《かざり》を加へし物有り。是等は玩弄品《ぐわんろうひん》か裝飾品か將《は》た貨幣《くわへい》の如き用を爲せし物《もの》か容易《ようゐ》に考定《かうてい》する事能はずと雖も、石鏃《せきぞく》本來の用及ひ主要《しゆゑう》の用は、此所に掲《かか》げたる名稱《めいせう》の意味《いみ》する通り、矢《や》の先《さき》に着けて目的物《もくてきぶつ》を傷くるに在るや必せり。アメリカ土人中には現《げん》に石鏃を使用する者有り。ニウジヤアシイにては人類の前頭骨に石鏃の立ちたる儘《まま》の物を發見し、チリのコピアポにては人類の第二の脊椎に石鏃《せきぞく》の立ちたる儘《まま》の物を發見《はつけん》し、フランスのフヲンリヤルにては人類の脛骨《けいこつ》に石鏃の立ちたる儘《まま》の物を發見したる事有り。本邦《ほんほう》に於ては未だ斯《か》かる發見物無しと雖も石鏃の根底部《こんていぶ》或は把柄《ひしやく》に木脂《やに》を付けたる痕を留むる物往々有りて能く※[#「竹かんむり/可」、78−下−10]《やがら》を固着せし状を示せり。矢有れは弓有り、弓有れば絃《げん》有り。コロボックル遺跡《ゐせき》に石鏃の現存するは、間接《かんせつ》に彼等が※[#「竹かんむり/可」、78−下−12]《やがら》、弓及び絃を有せし事を證《しよう》するものと云ふべし。矢には羽根《はね》を付くる事有りしや否《いな》や考《かんが》ふるに由無し。※[#「竹かんむり/可」、78−下−13]は細き竹或は葭《よし》を以て作り、弓は木或は太《ふと》き竹を以て作りしならん。絃《げん》の原料は植物の皮或は獸類《じゆうるゐ》の皮を細く截《き》りしものなりし事|勿論《もつろん》なれど、余は此絃には好《よ》く撚《よ》りを掛《か》け有りしならんと考ふ。そは土器表面|押《お》し付け模樣《もよう》の中に撚りを掛けたる紐《ひも》の跟《あと》有るを以て推察《すゐさつ》せらる。撚りの有無と絃《つる》の強弱《きよじやく》との關係は僅少の經驗《けいけん》に由つても悟《さと》るを得べき事なり。弓矢は鳥獸獵《てうじゆうれう》に於ても用ゐられしなるべく、人類|同志《どうし》の爭鬪《さうとう》に於ても用ゐられしならん。或は海獸大魚を捕獲《ほくわく》するに際《さい》しても用ゐられし事有る可きか。水中に矢を射込む事其|例《れい》無《な》きに非ず。石鏃は石器時代|遺跡《ゐせき》に於て他の遺物《ゐぶつ》と共《とも》に存在《ぞんざい》する[#「共《とも》に存在《ぞんざい》する」は底本では「共《ともぞ》に存在《んざい》する」]を常とすれど、左の諸所にては山中に於て單獨《たんどく》に發見されし事有るなり。
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(一)山城國比叡山頂     (山崎直方氏報)
(二)信濃國大門峠      (若林勝邦氏報)
(三)飛彈國神岡鑛山     (西邑孝太郎氏報)
(四)同國大西峠頂上     (田中正太郎氏報)
(五)同國高城山絶頂     (同氏報)
(六)羽
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