土器の事を言ふ折《お》りに細説《さいせつ》すべけれど、大概《たいがい》を述ぶれば其|全体《ぜんたい》は大なる算盤玉《そろばんだま》の如くにして横《よこ》に卷煙草《まきたばこ》のパイプを短《みぢか》くせし如き形の注《つ》ぎ出し口付きたり。此噐の用は未《いま》だ詳ならざれど[#「ならざれど」は底本では「ならざれと」]之《これ》を手に取りて持ち加減《かげん》より考ふるに、兩方《りやうはう》の掌を平らに並《なら》べ其上に此噐を受け、掌を凹《ひく》くして噐の底《そこ》に當て、左右の拇指《おやゆび》を噐の上部に掛《か》けて噐を押《お》さへ、注《つ》ぎ出し口を我か身の方に向け之に唇を觸《ふ》れて器を傾《かたむ》け飮料を口中に灌《そそ》ぎ込《こ》みしものの如く思はる。
又小形の御神酒|徳利《とくり》に似《に》たる土噐にて最も膨《ふく》れたる部分に圓《まろ》き孔《あな》を穿《うが》ちたるもの有り。是《これ》も用法|不詳《ふしやう》なれど、煙管《きせる》のラウの如き管《くだ》をば上より下へ傾《かたむ》け差《さ》し込《こ》み、全体《ぜんたい》をば大なる西洋煙管の如くにし、噐中に飮《の》み物《もの》を盛《も》りて管より之を吸《す》ひしやに考へらる。
以上の二種の土器《どき》は或る飮料《ゐんれう》をば飮み手の口に移《うつ》す時に用ゐし品の如くなれど、土瓶《どびん》或は急須《きうす》と等《ひと》しく飮料を貯《たくわ》へ置き且つ他の器に灌《そそ》ぎ込《こ》む時に用ゐし品と思《おも》はるる土噐も數種《すうしゆ》有《あ》り。
是等種々の土器の存在《そんざい》に由つて考《かんが》ふるにコロボツクルの飮み物は湯水《ゆみづ》のみには非《あら》さりしが如し。灌《そそ》ぎ出すに用ゐたりと見ゆる土噐唇に觸《ふ》れたりと見ゆる土噐の容量《ようりやう》、比較的《ひかくてき》に小なるは中に盛りたる飮料《ゐんれう》の直打《ねう》ち湯水よりは貴《たふと》きに由りしならん。余は普通《ふつう》の水、普通の湯をば斯《か》かる器より灌《そそ》ぎ、斯かる器より飮みしとは信《しん》ずる事|能《あた》はざるなり。
湯水の他の飮料《ゐんれう》とは如何なるものなりしや。鳥獸魚介《てうぢうぎよかい》の※[#「睹のつくり/火」、第3水準1−87−52]汁も其一ならん。草根木實《そうこんもくじつ》より採《と》りたる澱粉《でんふん》を※[#「睹のつくり/火」、第3水準1−87−52]《に》たるものも其一ならん。或は酒《さけ》に似《に》たる嗜好品《しこうひん》有りしやも知る可からず。
●食ひ物
口碑《こうひ》に從へばコロボツクルは漁業《ぎよげふ》に巧《たくみ》にして屡ばアイヌに魚類を贈《おく》れりと云へり。今諸地方貝塚よりの發見物《はつけんぶつ》を檢《けん》するに、實に魚骨魚鱗等有り。然《しか》れども彼等の食物《しよくもつ》は决《けつ》して魚類に限《かぎ》りしには非ず。そは發見物《はつけんぶつ》に由つて充分《じうぶん》に證《しやう》する事を得るなり。
貝塚は如何にして作《つく》られたるか。總《すべ》てに通じて斯く斯くなりと斷言《だんげん》する事は出來ざれど、主として物捨て塲なりと思へば誤《あやま》り無し。貝塚の中よりは用に堪えざる土噐の破片出で、又折れ碎けたる石噐出づ。獸類《じうるい》の遺骨《いこつ》四肢《しし》所《ところ》を異《こと》にし二枚貝は百中の九十九迄|離《はな》れたり。遺跡《ゐせき》を實踐《じつせん》して考ふるも、之を現存《げんそん》未開《みかい》人民の所業に徴するも、貝塚に於ける穿鑿《せんさく》が食物原料調査《しよくもつげんれうてうさ》に益有る事、實に明々白々なり。我々は牛肉《ぎうにく》を食《くら》へども我々の邸内《ていない》に在る物捨て塲に於て牛骨を見る事は期《き》し難《がた》し。是自家|庖廚《はうちう》の他に牛肉|販賣店《はんばいてん》有るに由る。未開社會《みかいしやくわい》に於いては事情《じじやう》大に異《こと》なり、食物の不要部は總《すべ》て自家の物捨て塲、或は共同の物捨て塲に捨てらるるなり。此故にコロボツクルの食物は如何なる物なりしかとの事を知らんと欲《ほつ》せば宜く貝塚を發掘《はつくつ》して諸種の遺物《いぶつ》に注意すべきなり。貝塚より出でたる動物的遺物《どうぶつてきゐぶつ》にして其軟部は食用《しよくよう》に供されしならんと考へらるる物を列擧《れつきよ》すれば大畧左の如し
貝の類[#「貝の類」に白丸傍点] あはび つめたがひ きしやご うづらがひ あかにし かじめくひ さざえ たにし ばい ながにし いはやがひ ほたてがひ ししがひ さるぼう あかがひ まて ささらがひ いせしろがひ ささめがひ とりがひ あさり うばがひ みるくひ おほのがひ しじみ しほふき ばか はまぐり ゐがひ たひらぎ めんがひ いたぼ かき(名稱は丘淺次郎氏に從ふ)
他の軟体動物[#「他の軟体動物」に白丸傍点] いか
魚の類[#「魚の類」に白丸傍点] たひ あかえい(此他種々の骨及ひ鱗有れど何に屬するや未だ詳ならず)
龜の類[#「龜の類」に白丸傍点] うみがめ
鳥の類[#「鳥の類」に白丸傍点] 種々有れど明記し難し。
哺乳動物[#「哺乳動物」に白丸傍点] くじら いのしし しか ひと(此所に「ひと」と云ふ事を記《しる》したるに付ては異樣《ゐよう》に感《かん》ずる讀者も有らん。順次《じゆんじ》記す所を見て疑《うたが》ひを解《と》かれよ。)
●調理法
余は貝塚に於ける遺物《ゐぶつ》に就《つい》て動物性食物の原料《げんれう》を調査《てうさ》したり。コロボツクルは植物性食物をも有《ゆう》せしに相違《そうゐ》無けれど、如何なる種類《しゆるい》の如何なる部が常食として撰《えら》ばれしや嗜好品として撰ばれしや、考定《かうてい》の材料不足《ざいりやうふそく》にして明言《めいげん》する能はず。口碑更に傳《つた》ふる所無く、遺跡《ゐせき》亦之を示すべき望み少《すくな》し。調理法を述《の》ぶるに當つても確證《かくしやう》は唯動物性食物に取るのみ。
コロボツクルは食物を生《なま》にても食《くら》ひ又火食をもせしならん。
遺跡には灰有り、燒け木有り。コロボツクルは如何にして火を發《はつ》したるか。余は先《ま》づ此事《このこと》を述べて後に煮燒の事に説き及ぼすべし。
未開人の發火法《はつくわはう》に二大別有り。一は摩擦《まさつ》の利用《りよう》にして、一は急激《きうげき》なる衝突《しやうとつ》の利用《りよう》なり。木と木の摩擦《まさつ》も火を生じ、石と石或は石と金の衝突《しやうとつ》も火を生ず。最《もつと》も廣《ひろ》く行はるるは摩擦發火法《まさつはつくわはう》なるが是に又一|片《へん》の木切れに他の木切れを當《あ》てて鋸《のこぎり》の如くに運動《うんどう》さする仕方《しかた》も有り、同樣にして鉋《かんな》の如くに運動《うんどう》さする仕方も有り一片の木切れに細《ほそ》き棒《ぼう》の先を當てて錐《きり》の如くに揉《も》む仕方《しかた》も有るなり。コロボツクルは何《いづ》れの仕方に從《したが》つて火を得たるか。直接《ちよくせつ》の手段《しゆだん》にては到底《たうてい》考ふ可からず。コロボツクルの遺物中《ゐぶつちう》には石製の錐有り。土器の中には此|石錐《いしきり》にて揉《も》み開《あ》けたるに相違無き圓錐形の孔《あな》有る物有り。既《すで》に錐の用を知る、焉ぞ錐揉《きりも》みの如き運動《うんどう》の熱《ねつ》を用ゆる事を知《し》らざらん。余はコロボツクルは一片の木切れに細《ほそ》き棒《ぼう》の先を押《お》し當て、恰《あたか》も石錐を以て土器に孔《あな》を穿《うが》つが如き運動を與《あた》へ、引き續《つづ》きたる摩擦の結果《けつくわ》として熱を得煙を得、終に火を得たるならんと考ふ。木と木の摩擦は木質より細粉《さいふん》を生じ、此細粉は熱《ねつ》の爲に焦《こ》げてホクチの用を爲す。是|實驗《じつけん》に因りて知るを得べし。現《げん》に斯かる法の行はるる所にては火の付きたるホクチ樣のものを枯《か》れ草《くさ》に裹《つつ》み空中《くうちう》に於て激《はげ》しく振《ふ》り動《うご》かすなり。コロボツクルも此仕方《このしかた》を以て燃《も》え草に火焔《くわえん》を移《うつ》し、此火焔をば再び薪《たきぎ》に轉《てん》ぜしならん。
貝塚に於て發見《はつけん》さるる獸骨貝殼の中には往々《わう/\》黒焦《くろこ》げに焦げたるもの有り。是等は恐《おそ》らく獸肉《ぢうにく》なり貝肉なり燒きて食はれたる殘餘ならん。物に由りて或は串《くし》に差《さ》されて燒かれしも有るべく或は草木《くさき》の葉に包《つつ》まれて熱灰に埋《うづ》められしも有るべし。
鉢形鍋形の土噐に外面の燻《くすぶ》りたる物有る事は前にも云ひしが、貝塚|發見《はつけん》の哺乳動物の長骨中《ちやうこつちう》には中間より二つに折《お》り壞《くだ》きたる物少からず[#「少からず」は底本では「少からす」]。是等《これら》は肉の大部分を取《と》りたる後、尚ほ殘《のこ》りて付着《ふちやく》し居る部分をば骨と共に前述の土器に入れて煮たる事を示すものの如し。鹿猪等の骨を見るに筋肉《きんにく》の固着《こちやく》し居りし局部には鋭《するど》き刄物にて※[#「やまいだれ+比」、83−下−1]《きづ》を付けし痕《あと》有り。此は石にて作《つく》れる刄物《はもの》を用ゐて肉を切り離《はな》したる爲に生《しやう》ぜしものたる事疑ふ可からず。
魚の中にて鱗の粗きものは調理《てうり》する前に之を取り除《のぞ》きたりと見えて、貝塚中に於て魚鱗《ぎよりん》の散布《さんふ》せるを認《みと》むる事屡※[#二の字点、1−2−22]有り。コロボツクルは如何にして魚鱗《ぎよりん》を魚体《ぎよたい》より取り離《はな》したるか。今詳に之を知るに由《よし》なしと雖も、蛤貝の殼の内に魚鱗の充實《じうじつ》したるを發見《はつけん》する事有れば貝殼を以て魚鱗を掻《か》き除《のぞ》く事の有りしは慥《たしか》なるべし。
卷き貝の中には上部の破《やぶ》れたるもの有り。是は肉《にく》を突《つ》き出したる跡《あと》と思はる。
余は人類をも食物中に加《くわ》へしが此事に付《つ》き左に少《すこ》しく述ぶる所有らん。
食物の好《す》き嫌《きら》ひと云ふ事は一家族の中にさへ有る事故、異りたる國民、異りたる人種《じんしゆ》の間に於ては猶更《なほさら》甚しき懸隔《けんかく》を見るものなり。或る人民の好《この》んで食《くら》ふ物を他の人民は捨《す》てて顧《かへり》みず、或る人民の食ふ可からずとする物《もの》を他の人民は喜《よろこ》んで賞玩《せうくわん》するの類其|例《れい》决《けつ》して少からす。人肉《じんにく》を食とするか如きも我々の習慣《しふくわん》より言へは厭《いと》ふ可き事、寧恐る可き事には有れど、野蠻未開國《やばんみかいこく》の中には現《げん》に此風の行はるる所有り。彼のアウストラリヤのクヰンスランド土人の如きは實《じつ》に食人人種の好標本《こうへうほん》なり。人肉は固《もと》より常食とすべき[#「すべき」は底本では「すへき」]物には非《あら》ず。敵を殺《ころ》したる時|復讐《ふくしう》の意を以て其肉を食ふとか、親戚《しんせき》の死したる時|敬慕《けいぼ》の情《じやう》を表す爲其肉を食ふとか、幾分《いくぶん》かの制限《せいげん》は何れの塲合にも存在《そんざい》するものなり。大森貝塚の發見者《はつけんしや》たるモールス氏は此貝塚より出でたる人骨を※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]して食人の証を列擧《れつきよ》せり。一に曰く人骨は他動物《たどうぶつ》の遺骨《ゐこつ》と共に食餘の貝殼に混《こん》して散在す。二に曰く人骨の外面《ぐわいめん》殊《こと》に筋肉の付着點に刄物《はもの》の疵《きづ》有り。三に曰く人骨は他動物の遺骨《ゐこつ》と同樣に人工を以て折《を》り碎《くだ》かれたり。余は是等の事實は、モールス氏の説の如く、貝塚を遺
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