き、語気強く)あなた達は一体誰なの!
文麻呂 あなたの心からの味方です。
清原 ぼ、僕、清原ノ秀臣って云います。
文麻呂 僕はその友人、石ノ上ノ文麻呂。
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小鳥達は囀っている。木洩日は輝いている。
なよたけは泣き止んだ。彼女の眼はじっと文麻呂の姿に惹《ひ》きよせられている。
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文麻呂 なよたけ。……僕達はあなたを大納言の手になぞ決して渡しはしません。
清原 決して渡しはしません。……
文麻呂 大納言にはれっきとした奥の方がいるのです。
清原 いるのです。……
文麻呂 あなたが大納言のところへなぞ嫁《ゆ》かれたら、それこそ大変な不幸ですよ。
清原 大変な不幸です。……
文麻呂 あなたは汚れ多い都になぞ出るひとではありません。あなたは自然と共に生きるべきひとだ。あなたは、いわば竹の精だ。若竹の精霊だ。あなたは自然の子だ。自然そのものだ。
清原 そうです。そのものです。……
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雨彦が戻って来た。もの珍しそうに傍に立って、二人の話を聞いている。
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文麻呂 なよたけ。……僕達を信じて下さい。
清原 僕達を信じて下さい。
文麻呂 なよたけ。……あなたには危険が迫《せま》っている。……僕達に信頼して、僕達の云う通りになさって下さい。
清原 大納言様は、あなたを都へ連れて行こうとなさるのです。……大変です。
文麻呂 葵祭の日です。もう半月もありません。葵祭の日には、大納言のお迎えの車が来て、あなたを都へ連れて行ってしまうのです。……なよたけ。もし、そのまま連れて行かれてしまったら、……あなたの一生は滅茶滅茶《めちゃめちゃ》です。
清原 そうです。滅茶滅茶です。………
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けらおとみのりが戻って来た。傍に立って二人の話を聞いている。
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文麻呂 あなたは御存知ないのだ。……都の人間《ひと》達がどんなに汚れ切っているか。表面《うわべ》ばかり華かな文化に飾られ、優雅《ゆうが》な装いに塗りかくされてはいるけれど、人間達はみな我利私慾《がりしよく》に惑《まよ》っている。……「素朴《そぼく》な」人間の心を喪失《そうしつ》している。都の人達はみんな利己主義です。享楽《きょうらく》主義です。自分の利慾しか考えない。自分の享楽しか考えない。みんな自己本位の狭隘《きょうあい》なる世界に立籠《たてこも》っています。都は虚偽にみちみちています。真の道徳は地を払ってしまった。……自己の栄達のためには、どんな不道徳なことでもしかねません。他人の幸福のことなど、微塵《みじん》も考えてくれやしません。あなたが都へ連れて行かれたら、それこそ不幸のどん底につき落されるのですよ。あなたは一生涯泣いて暮らさねばならなくなるのです。
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こがねまるが戻って来た。二人の話を聞いている。
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文麻呂 なよたけ。大納言は……絶対にまごころを持っているひとではありません。決して、あなたの美しいこころねの分るひとではありません。ただ、あなたのかおかたちの美しさに幻惑《げんわく》されて、あなたを騙《だま》そうとしているのです。あなたのこころが分るひとは自然のこころの分るひとだけです。自然のこころとは愛です。恵みです。あなたの心を知り得るひとは、この自然のこころを愛し得るひとだけです。自然のこころを愛し得るひととは詩人です。詩人だけは本当に美しい自然のこころを読むことが出来るのです。そして、なよたけ、……あなたの美しいこころも読むことが出来るのです。
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胡蝶《こちょう》と蝗麻呂《いなごまろ》も戻って来た。わらべ達はみんな二人の青年となよたけを囲むようにして、並んで聞いている。………
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文麻呂 なよたけ。僕達を誤解してはいけません。僕達はあなたのこころの友達なのです。僕達にはあなたの美しいこころが分るのです。あなたの呼吸使《いきづか》いの中に汚れのない自然を感ずることが出来るのです。……なよたけ、……僕達二人は詩人なのです。
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何やら急にまた小鳥達の声が騒がしいほど、遠近《おちこち》にその数を増して行く。竹の葉を通す陽光は再び鮮《あざや》かな緑にきらめき始めた。
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清原 (最大の勇気を振《ふる》って)なよたけ。……ほ、ほら! 聞いてごらんなさい! 小鳥達までが僕達のめぐり逢いを祝福してくれるではありませんか?……自然が僕達の友情を謳歌《おうか》してくれるのです! なよたけ!……あの美しい小鳥の唄を聞いてごらんなさい!
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とたんに小鳥の囀《さえず》る声、聞えなくなってしまう。清原ノ秀臣、とりつくしまがなくなる。…………
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文麻呂 なよたけ。……御覧《ごらん》なさい! 鮮かな緑の竹の葉を通して、輝かしい僕達の太陽が恵みの光を投げかけているではありませんか!……あれこそは偽りのない神の祝福の啓示《しるし》です。僕達は祝福されているのです。……なよたけ! 御覧なさい! あの輝かしい太陽の恵みを!
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とたんに、輝く日射は薄暗く翳《かげ》ってしまう。同時にまた小鳥達が賑《にぎや》かに囀り始める。
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清原 なよたけ! ほ、ほら!……小鳥達だけは本当に僕達の味方です! あの小鳥達の囀りと共に、僕達の永遠の友情は生れるのです!……(聞く)あのひときわ高い声でちゝちゝゝと鳴いている鳥は、あ、あれは、ほ、ほおじろなのでしょうか?
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とたんに小鳥の囀り止む。
同時に再び木洩日《こもれび》が輝き始める。………
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文麻呂 御覧なさい! 輝く光の扉は僕達にこそひらかれるのです! なよたけ! 聞いて下さい! 僕は即興の詩をあなたの美しい魂に捧げます。聞いて下さい。………(大げさな身振りで朗詠《ろうえい》する)
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見よ、さやけくも世界はひらけ………
天《あま》つ日は、今ふり注ぎ
この郷《さと》は、いずこの国か
草も木も、恵みに溢れ………
とたんに再び日は翳ってしまう。小鳥が囀り始める。
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清原 なよたけ。ぼ、僕もあなたに詩を捧げます。小鳥の詩です。聞いて下さい。(どもりどもり朗詠する)
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あしびきの 山辺に居れば
竹の葉の 茂み 飛びくく 春の鳥
とこしえに 囀り鳴けよ 君がため………
とたんに小鳥の囀り止む。陽が輝き始める。また陽が翳り、小鳥が鳴き出す。また小鳥の鳴声止み、陽が輝き始める。………
これが次第に烈《はげ》しく繰返される。二人、狼狽《ろうばい》して、為《な》すことを知らず。
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文麻呂 (不安そうに空を見上げ)なんだか妙な天候になって来ましたね。……
なよたけ (突然わらべ達に)みんな! 教えて頂戴! あたしには分らなくなってしまった。……この人達は一体誰なの!
雨彦 (空を見上げ)なよたけ! あんなあな[#「あんなあな」に傍点]だ!
わらべ達 あんなあな[#「あんなあな」に傍点]だ! あんなあな[#「あんなあな」に傍点]だ!
文麻呂 (訝《いぶか》しげに)どう云う意味なのです。……そのあんなあな[#「あんなあな」に傍点]って云うのは?
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[#地から1字上げ]――幕――

  第三幕

     第一場

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都大路《みやこおおじ》の一廓《いっかく》。……とある辻広場。
葵祭《あおいまつり》の日の午後。うららかな五月の祭日和《まつりびより》である。
舞台の両端には美しい花の咲き乱れた葵の茂みと小柴垣《こしばがき》がある。
そぞろ歩きの平安人達が、あるいは左から右へ、あるいは右から左へと、会話をしながら往来する。その他、無言の通行人、行商人等も多勢往来する。
誰《だれ》も彼もが華《はな》やかに着飾《きかざ》り、それぞれ美しい花のついた葵の鬘《かずら》をかけて、衣裳《いしょう》には葵の蘰《かずら》をつけている。……
遠くで、神楽《かぐら》の笛がひびいている。街は人々のさざめきに充《み》ち溢《あふ》れている。
[#ここで字下げ終わり]

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男1 (右より)ええ、そこを偶然この私が通りかかったと云うわけなのですよ。
男2 ほう。……それはまたこの上もなく運がよろしゅうございましたねえ。
男1 ええ。もう、何と云いますか、あたりは夕靄《ゆうもや》に大変かすんで、花が風情《ふぜい》あり気《げ》に散り乱れている。……云うに云われぬ華やかな夕方でした。……私も実はなぜかしらず心が浮き浮きしていましたもんで、……あの女《ひと》がすーっと簾《すだれ》を巻き上げて、こちらの方をちらっと見られた時の、そのかおかたちの美しさと云ったら、……それこそもう……(二人左へ退場)
[#ここから2字下げ]
頭の上に花籠をのせた花売の乙女《おとめ》二人、左より右へ。
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乙女1 花はいらんしょか? 花はいらんしょか?
乙女2 葵《あおい》の花はいらんしょか?
乙女1 葵の鬘《かずら》はいらんしょか? (右へ退場)
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入れ代りに右より登場した若い男。中央辺にてふと立止り、右手花売の乙女達の方をふり向いて、思案する。突然、衝動的に、頭の葵の鬘をむしり取り、ぽいと投げ棄《す》てるや、足早にもと来た右方へ逆戻り。
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女1 (右より、憂鬱《ゆううつ》顔で)ただ、妙《みょう》に頭が痛《いた》むのです。
男3 御修法《みずほう》をやっておもらいなさい。……北山の何とか云うお寺にとてもかしこい行者《ぎょうじゃ》さんがいるそうです。……ただ、この人は評判は非常にいいけど、(指で輪を作り)こっちの方をだいぶ高くとるらしいのでね。……それだけがどうも。
女1 でも、そりゃ、病気には代えられませんわ。
男3 とにかく、それは死んだ行平《ゆきひら》の物《もの》の怪《け》ですよ。確かにそうです。……全く執拗《しつこ》いったらありゃしない……(左へ退場)

女2 (左より)大体、男って横暴すぎると思うわ。そんなことって本当にあるでしょうか?
女3 でも、私達女は昔からそう云う運命なんですもの。仕方がないと思うわ。「宿世《すくせ》と云うこと、ひく方|遁《のが》れわびぬることなり」って、どなただったか忘れたけど、おっしゃってるじゃありませんか? どれもこれもみんな「さるべき契《ちぎ》り」なのだと思って諦《あきら》めてしまえば別に悲しいこともないわ。
女2 まあ、そう云うことを云ってるから、男達がつけ上るんだわ。駄目よ、そんなこと云ってちゃ。あたしは断然反対だわ。あんたのようにそう物事を消極的にばかり考えてたら、いつまで経《た》っても私達女は浮ぶ瀬がないじゃないの。(右へ退場)

男4 (左より)「何をこの新発意奴《しんぼちめ》が!」といきなりこう来るんです。お話になりゃしません。……怒る気にもなれませんよ。
男5 まあまあ、そこんところをじっと我慢して、黙って待っておりさえすれば、……そりゃ……あなた、なでしこの君にしたってやがてはあなたの心が分
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