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下人《しもびと》の憧《あこが》れる、華かな詩歌管絃《しいかかんげん》の宴《うたげ》も、彼にとっては何でしたろう? 移ろい易《やす》い栄華《えいが》の世界が彼にとっては何でしたろう? 花をかざして練り歩く大宮人《おおみやびと》の中に、ただ彼のみは空しくもまことのこころを求め続けていたのです。美しい夢を追い続けていたのです。
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琴の音。
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(夢みるように)……遠い、遥かな夢の野に、あてどもなく、涯《はて》しもなく、ただ彷徨《さまよ》いあるく彼でした。………
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うつせみの世は
   花まごうみやびとに
まことのこころ
   いかでもとめむ……………
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苦しい旅路でした。耐え難くもすさぶ心を抑《おさ》えながら、昨日は西、今日は東とさすらい求めていたのです。本当に苦しい、それは忍従そのものでした。
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琴の音。
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(次第に激して行く)それが、どうでしょう。ねえ、お爺さん、とうとう報いられたのです。今こそ、まことのこころを持った女《ひと》にようやく廻《めぐ》り逢うことが出来たのです。本当に永い苦労の仕甲斐《しがい》があったと云うものです。その女《ひと》こそ、彼が永い間、探し求めて止まなかった理想の妻だったのです。……それは、まるで白菊《しらぎく》のように清らかな女《ひと》でした。輝やかしい姫君《ひめぎみ》でした。彼は夢中になりました。我と我が心を失ってしまいました。……ねえ、何の不思議がありましょうか? その女《ひと》を得られなかったら、それこそその男は生きて行くことすら出来なかったのですよ? その男は命を賭けて愛を求めたのですよ?
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琴の音。
造麻呂にはどうも話がぴんと来ぬらしい。
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御行 (極度に勿体《もったい》をつけて)ねえ、お爺さん、………その男が一体誰であったか御存知ですか?
造麻呂 いんえ。
御行 (きわめて厳然と)大納言、大伴《おおとも》ノ宿禰御行《すくねみゆき》。………
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琴の音一段と高らかに。
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造麻呂 は?
御行 大納言、大伴ノ宿禰御行……私です。
造麻呂 (はっとしたように、その忍びのいでたちをした御行の姿を打ち眺める)
御行 (なにやら勝ち誇ったように)……私なのです。……
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琴の音。
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造麻呂 (次第次第に平伏《へいふく》して行く)……それは、それは……ちっとも存じ上げませんでした。……何と云う勿体ないことでござりましょう。大納言様でいらっしゃいましたか?………このような人里離れた下人《しもびと》の賤《しず》が家《や》にしげしげとお通いなさる御方が、よもや大納言様でいらっしゃろうとは、この爺《じい》め、夢にも考えてはおりませなんだ。……どうぞ、これまでの失礼の数々は、平《ひら》に御容赦《ごようしゃ》下されませ。……御容赦下されませ。
御行 いや、何もそんなにかしこまらなくったっていいんですよ、お爺さん。……大納言だからって、何もとって食べるわけじゃあるまいし、……ただ、私のなよたけに対する誠意がお爺さんにも通じてくれれば、こんな嬉《うれ》しいことはありません。
造麻呂 なよたけはしあわせものでございます。さような思いをかけて下さいますだけでもなよたけにとりましては、身に余る光栄でございます。大納言様と聞いて、なよたけもどんなに喜びますることでございましょう。………
御行 お爺さん! なよたけを私に下さりますか?
造麻呂 (信じられぬかのように)……なよたけを?……あんなふつつかな田舎娘《いなかむすめ》を本当にもらって下さるとおっしゃるのですか?
御行 どうして、またそう私の云うことを信じないのです?
造麻呂 (やや躊躇《ちゅうちょ》しつつ)……大納言様……なよたけがどんなに賤《いや》しい娘でも、きっと可愛がってやって下されますか?
御行 お爺さん、私を信じて下さい!
造麻呂 (思いきって)……実を申し上げますれば、……大納言様。……なよたけめは手前の子供ではござりませぬ。実は棄《す》て子《ご》だったのでござります。……
御行 なに? 棄て子?
造麻呂 へえ。……実は、この裏の竹林の中に棄てられて、おぎゃあ、おぎゃあと泣いておりましたのを、手前、亡くなった婆《ばあ》さんと一緒に拾って参ったのが、あれまでに大きくなったのでござります。生憎《あいにく》、手前どもには子供がひとりも恵まれませんでしたので、大喜びで養女に致し、雨が降ってはなよたけ、風が吹いてはなよたけ、やれなよたけ、これなよたけと、もう心配ばかりして育てとりましたが、……いけましねえ、大納言様。物心がつきだすと、あれの気持は儂等《わしら》からどんどん離れて行ってしまいました。……これまで手前共の方からはあれの素性《すじょう》については、ただの一度だって、一切|※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]気《おくび》にも出したことがござりましねえのに、……「お父さん、あたしはあなたの子供ではないのね」などといつの間にやら感づいてしまいましてな。全く親の仕事の手伝いも致しませぬし、天気さえよけりゃ、一日中、この辺の子供達と一緒になって竹山の中を駆けずり廻っておりますようなわけで。……やれ「わたしはお天道様の子だ」と云ってみたり、やれ「あたしはお月様の子だ」と云ってみたりして、この親を困らせますのでござります。……そうかと思いますると、生物《いきもの》なれば、鳥けものや虫けらに至るまで無性《むしょう》にこう可愛がる癖《くせ》がござりましてな、ある時なぞは、蝶々になるまで可愛がってやるのだと申して、自分の部屋に毛虫をたくさん集めて飼ってみたり、黄金虫やかまきり位ならまだしも、蛙《かえる》やとかげなんぞまで平気で部屋の中に匐《は》い廻らせて喜んでおりますのでございますから、いやもうとんだ変りもので、躾《しつけ》も何もあったもんではござりませぬ。……手前の方から恥をさらすようではございますが、大納言様、……手前でさえも時々、あれはもしかすると何かの生れ変りではないかと疑ってみることがござりますのです。……
御行 (少々変な気持になって来る)……いや、それは自然を愛しているのですよ。なよたけは自然の子なのですよ。………
造麻呂 さようでござりましょうか?……それにしても、まあ、大納言様のような立派なお方にもらって頂いて、厳《きび》しく仕付けて頂ければ、……なよたけにとりましても、この手前にとりましても、こんな嬉しいことはござりませぬ。この上もないしあわせでござります。……さあ、さあ、まあどうぞ。むさ苦しい所ではございますが、……どうかひとつお掛け下されまして。……なよたけはただ今連れて参りますでござりますから。(居間に上って、粗末な脇息《きょうそく》をすすめる)さあ、さあ、どうぞひとつ。……(右手のなよたけの部屋の方へひっこみがてら)まあ、まあ、あのなよたけの奴め、田舎娘のくせして、暇《ひま》さえあれば、まあ、簾《すだれ》のかげで古琴なんぞ弾いて、あれで気取った積りなのでござります。
御行 (居間の端に腰を掛けながら)あ、それから、お爺さん。……これはなんですが、なよたけの素性も私の素性も、露顕《ところあらわし》の式でも済むまでは絶対に秘密にして、誰にも知らさぬようにお願いしますぞ。
造麻呂 (怪訝《けげん》そうに)……へえ、ま、……
御行 いや、別にこれはどうと云うわけもないのですが、ただあのようにうるわしいなよたけをしばらくは皆のものに秘密にしておいて、三日の餅《もち》でも祝って、立派な奥《おく》の方《かた》になってから、公然と皆のものを羨《うらやま》しがらせようと云う気持なのです。……葵祭《あおいまつり》の日あたりにでも、お迎えの車をこちらに寄越せたら、……と思っています。
造麻呂 へえ、……何分と宜《よろ》しくお願い致しますでござります。……どうも手前、田舎者でございまして、さようなことはとんと勝手が分らぬもので、……(大仰《おおぎょう》に右手を指し)では、なよたけを呼んで参りまする。……(右に退場)
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なよたけの琴の音、ぴたりと止む。……
同時に土間の敷居《しきい》の所に、石ノ上ノ文麻呂と、清原ノ秀臣が凜然《りんぜん》として立っている。
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文麻呂 大納言殿! 忍びの恋路のお邪魔立てして申訳ありませぬ!
御行 (愕然《がくぜん》として立上る)誰だ!
文麻呂 石ノ上ノ綾麻呂の息、石ノ上ノ文麻呂!
清原 (少々震え声で)……大学寮学生、清原ノ秀臣!
御行 (狼狽《ろうばい》して)何しに来た!
文麻呂 (凜然と)道ならぬ不義の恋路に身をやつしておられる大納言殿を、お諫《いさ》め申しに参りました!
御行 (興奮して、大喝《だいかつ》する)生意気《なまいき》を云うなッ!
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とたんに、右手なよたけの部屋の方から、彼女のヒステリックな叫び声が聞えて来る。……
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なよたけ (声のみ)嫌《いや》です! 嫌です! そんなこと、あたし嫌です!……
御行 (狼狽の極。しばらくは全く惑乱《わくらん》状態。……ややあって、大声で右手に叫ぶ)爺!……葵祭の日にまた参るぞ!……葵祭の日に迎えを寄越すぞ!
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大伴ノ御行、土間の外に立っている二人を突き飛ばさんばかりの勢いで、倉皇《そうこう》として、左方へ逃げ去る。
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造麻呂 (右手奥からよろめくように出て来る)大納言様! 大納言様!……おや! あんた方は一体誰だい?
清原 大学寮学生、清原ノ………
文麻呂 お爺さん! 落着いて下さい! 何もそうあわてることはありません! 僕達はあなたの娘さんを助けにやって来たんです………
造麻呂 (上《うわ》の空で草履《ぞうり》をつっかけ、外に出る)おや! 大納言様がいらっしゃらぬ!……大納言様はどうなすったんです! 大納言様はどこへ行かれたのです! ああ、せっかくの娘の出世が台無しだ! (叫ぶ)大納言様! 大納言様! 大納言……
清原 (全く逆上して)あ、あっちの方です……あっちの方へ行かれました。
文麻呂 お爺さん!
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造麻呂、人の云うことなど全く耳にも入らず、大納言の後を追って、よろめくように左方へ退場。しばらくは「大納言様! 大納言様!」と呼ぶ声。
やがて、舞台は急に大風一過。不気味なほど、寂然《せきぜん》とする。
文麻呂も清原も、まるで空《うつ》けたように、呆然として、立ちつくしている。
舞台はしばらくそのまま。………
やがて、あたりには、再び次第次第に緑の木洩日《こもれび》がきらきらと輝き始める。それに従って、思い出したようにまた小鳥が遠近《おちこち》で囀《さえず》り始めた。
なよたけ、右手奥の部屋から、かすかにすすり泣きながら、静かに姿を現わす。草履をはいて、土間の外に出る。
二人の青年が立っているのに気付き、瞬間、身じろぎをするが、つと逃げ去るように小路の方へ行く。……二人に背を向けて、悲しげに泣きじゃくっている。文麻呂は初めて見るその美しい姿に恍惚《こうこつ》としてしまう。
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文麻呂 (静かに、背後からなよたけの方に近付き、優《やさ》しく慰《なぐさ》めるような声で)……なよたけ。……もうお泣きになることはありませんよ。
清原 (震《ふる》え声)なよたけ。……
なよたけ (くるっ[#「くるっ」に傍点]と振向
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