そうだろうが?
瓜生ノ衛門 そうでございましょうか?
文麻呂 なんだい、馬鹿に自信がなくなっちゃったんだね。そうだよ! 僕が保証する! そうだとも! 瓜生ノ衛門の帰りを、四十年間、ただひたすらに思いつめ待ちわびているのは美しい、ひとりの忠実な心の少女だ!
瓜生ノ衛門 (感動して)……有難うございます。……有難うございます。……瓜生ノ衛門、明日にでも早速婆さんに逢《あ》いに瓜生の山に帰ってみようと存じます。
文麻呂 それがいいよ、衛門。瓜生の山奥と云ったって、ここからは二里とは離れてやしないんだから、僕だって逢いたくなりゃいつだって逢いに行けるんだ。……ああ、何だか急に風が強くなって来たようじゃないか。
[#ここから2字下げ]
竹林のざわめきが、急に何やら騒がしくなって来る。……不穏《ふおん》な風の渡る音。山鴿《やまばと》の鳴く声さえも、途絶え勝ちだ。空模様もだんだんあやしくなって来る。燦然《さんぜん》と瞬《またた》いていた星々も、あっちにひとつこっちにひとつとだんだん消え失せて行く………
[#ここで字下げ終わり]
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瓜生ノ衛門 (不安そうに)何だか気味の悪い空模様になって参りましたな。嵐でも来そうな気配《けはい》でございますよ。……そろそろお家へお帰りになってはいかがです?
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強い風が不気味な音を立てて、吹きわたりはじめた。
[#ここで字下げ終わり]
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文麻呂 おう、竹の葉があんなに烈《はげ》しくざわめき始めた。星々がだんだんと消えて行く。………(独白)父上は大丈夫だろうな? 竹林の「恋」は健在かな?
瓜生ノ衛門 (何やらはた[#「はた」に傍点]と思いついて)文麻呂殿! 瓜生ノ衛門、すっかり失念致しておりました! 実は手前、大変な噂《うわさ》の証拠をつきとめたのでございます。大納言様のことでございます。大納言様の道ならぬ浮名《うきな》の恋でございます。しかも相手はとんだ賤《いや》しい田舎娘《いなかむすめ》。いや、これだけはっきり尻尾《しっぽ》を掴《つか》んだら、それこそ大納言様の名声もたちどころ、と云ったよりどころでござりますぞ。昨日の午後《ひるすぎ》でござりました。手前、何気なくこの先の竹林に筍《たけのこ》を探しに参ったのでございます。……どうでしょう! まあ、大納言様ともあろう御方が、忍ぶ恋路のなんとやら、………いやもう大変な忍びのいでたちで、ついこの先の竹林の奥に住んでいる竹籠《たけかご》作りの爺《じい》の娘におふみをつけようとなさっているのを、手前この目ではっきり見てしまいました。
文麻呂 (きっ[#「きっ」に傍点]となって)なにッ!
瓜生ノ衛門 (少々驚いて)おふみでございます。
文麻呂 いや、そんなことじゃない! 相手はどこの娘だと!
瓜生ノ衛門 竹籠作りの爺の娘でございます。この造麻呂《みやつこまろ》と云う爺は手前も少しは存じている男でござりまするで……
文麻呂 名前は何て云うんだって!
瓜生ノ衛門 讃岐《さぬき》ノ造麻呂でございます。
文麻呂 (苛立《いらだ》って)爺じゃないよ! 娘だ!
瓜生ノ衛門 娘の名は、たしか……さよう、……なよたけとやら申しました。
文麻呂 何ッ! なよたけ!
瓜生ノ衛門 (あまりに烈しい語気に呆気《あっけ》にとられる)
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丘の上にはいつの間にやら、清原ノ秀臣が悄然《しょうぜん》として佇立《ちょりつ》している………
その豊かにたれた直衣《のうし》の裾《すそ》は烈しくも風にはためいている。不穏な竹林のざわめき。………
[#ここで字下げ終わり]
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文麻呂 (丘の上の友の姿を認め)おい! 清原!……どうした!
清原 (泣かんばかりの悲痛な声で)石ノ上!………駄目だ、僕は。……僕はなよたけを怒らしてしまった。なよたけは怒って家の中に駆《か》け込んでしまった。………
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文麻呂は身も軽々と丘の上に駆け上り、清原ノ秀臣の手をしっかりと握りしめる。風にはためく二人の直衣の裾。……風の音。竹林の烈しいざわめき。
[#ここで字下げ終わり]
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文麻呂 元気を出せ! 清原! 元気を出すんだ! なよたけと貴様の恋は死んでもこの俺《おれ》が成就《じょうじゅ》させるぞ!……親父の名誉にかけて俺は誓う!
清原 石ノ上、有難う。……だけど、僕はもう駄目だ。……なよたけは本当に怒ってしまったんだ。………
文麻呂 何が駄目だ! おい、しっかりしろ! 勇気を出すんだ! そんなことでへなへな気が挫《くじ》けるようでどうする。……戦いはこれからだぞ。清原! 貴様の恋敵が分った! 貴様の恋敵だ! 誰だと思う?
清原 恋敵?
文麻呂 そうさ、清原。……貴様の手からなよたけを奪いとろうとしている憎むべき男がひとりいるのだ。
清原 (その言葉にきっとなり、………むしろ傲然《ごうぜん》と)それは誰だ!
文麻呂 大納言、大伴ノ御行だ。
清原 えッ!
文麻呂 (快心の微笑をもって)大伴の大納言様だよ。
清原 (全身の力、一時に消滅し、気絶するもののごとく、文麻呂の胸によろよろと倒れかかる。………)
文麻呂 (支えながら、狼狽《ろうばい》し)おい。清原! 清原! 清原!……衛門ッ!
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烈しい強風の中に………
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[#地から1字上げ]――幕――

  第二幕――一幕より数日後

     第一場

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幽麗《ゆうれい》なる孟宗《もうそう》竹林を象徴的に描いたる上下幕の前で演ぜられる。
石ノ上ノ文麻呂、清原ノ秀臣、右手より登場。
清原ノ秀臣は文麻呂の後に従って、何やらそわそわと、ひどく落着きがない。云わば、気もうつろである
[#ここで字下げ終わり]

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文麻呂 全く、こりゃすごい竹林だ。……これじゃ、方角も何も皆目《かいもく》分ったもんじゃないね。……大体、我々はこれで確かになよたけの家の方向へ進みつつあるのかい? 清原。……本当に確かなんだな?
清原 確かなんだ。
文麻呂 確かにこの竹林なんだろうな?
清原 これなんだ………
文麻呂 (頼りな気に)で、……なにかい? だいぶあるのかい、まだ?
清原 もうすぐなんだ。……あっちの方なんだ。
文麻呂 それなら、もういい加減にそろそろ見えて来てもいい頃じゃないか?
清原 ……ん、……でも、なよたけの家は竹林の真中にあって、竹で出来てるんだ。……だから、すぐ傍《そば》まで行かないと見えないんだ。
文麻呂 ふーん?……保護色なんだね?
清原 ん、……そうなんだ。
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文麻呂は清原の煮《に》え切らぬ態度を不愉快《ふゆかい》に感ずる。励ますように………
[#ここで字下げ終わり]
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文麻呂 どうだい、清原。それじゃこうしようじゃないか。つまり、なんだよ、……大納言がやって来るまでにはまだ少しばかり間がありそうだから、しばらく我々はここに腰を落着けて、待伏せしていようではないか? え?……時を見計って、決行するのだ。我々の方はすっかり覚悟は出来ているんだから、たとえ万一ここでばったりと大納言にぶつかったとしたって何等《なんら》狼狽《ろうばい》することはない。堂々と計画通りに我々の初志を貫徹するまでの話だ。なあ。清原。そうだろう!
清原 (自信なさそうに)うむ………
文麻呂 まったく煮え切らないね、君と云う奴は。……それだからみんなに云われるんだよ。当節の若い学生はなんだかんだって。……口先だけで屁理窟《へりくつ》をこねるのがいくら巧《うま》くたって、実行力のない人間はあるかなきかのかげろうだ。なあ。そうだろう?
清原 うむ………
文麻呂 僕は君に限ってそんな意気地のない男とは信じたくないんだ。君だけはそう云う軟弱な知識階級の若様連中と同列に置きたくないんだ。分るだろう?
清原 うむ………
文麻呂 (苛々《いらいら》して)さあ、清原。坐ろう、坐ろう! 坐って大納言を堂々と待伏せするんだ! (ぺったりと坐る)……坐れよ!
清原 (渋々《しぶしぶ》と彼の隣に坐る)

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長い、気まずい沈黙。
[#ここで字下げ終わり]

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文麻呂 (沈滞した空気を振払《ふりはら》うように)ああ、何と云う静けさだろう。………ねえ、清原。ほら。聞えないかい?……時々、あちこちから、かさかさ、かさかさって妙《みょう》な音が、まるで神秘な息づかいのように聞えて来るんだ。………
清原 (あまり感興もなさそうに聞く)
文麻呂 (慎重に、耳を澄まし)ねえ、おい。……あれは一体何だろう?
清原 (しごくあっさりと)竹の皮が落ちてるんだ。………
[#ここから2字下げ]
間――
[#ここで字下げ終わり]
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文麻呂 そうか……若竹がすくすくと成長して行く音だったんだな? ひそやかな生成の儀式のかすかな衣《きぬ》ずれの音だったんだな?
清原 (さり気なく)竹が囁《ささや》いてるんだ。……………
[#ここから2字下げ]
間――
[#ここで字下げ終わり]
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文麻呂 (情無さそうに清原を凝視《みつ》め、ややあって)清原。……君は変っちまったねえ。つくづく僕はそう思うよ。本当に変っちまった。……
清原 (文麻呂にあまりまじまじと見られるので、何だか恥しそうにする)………そうかな?
文麻呂 うん。変った。……第一、言うことに飛躍《ひやく》がなくなった。弾力がなくなった。知性の閃《ひらめ》きがなくなったよ。……「竹が囁いてるんだ……」。情無いことを云うじゃないか。……まるでもう君は萎《しな》えうらぶれている。……以前のあのうち羽振《はぶ》く鶏鳴《けいめい》の勢いは皆無だ。剣刀《つるぎたち》身に佩《は》き副《そ》うる丈夫《ますらお》の面影《おもかげ》は全くなくなってしまった。
清原 (急に心配そうに)石ノ上……。僕あね、心配なんだよ。僕達のこの計画がかえってなよたけを怒らしちまうんじゃないかと思って………
文麻呂 また!……僕はもう、そんな意気地のないことを云うんだったら、君に構わず自分だけで勝手にどんどん事を運んでしまうぜ。……何度も云ったけど、これは確かにこの上もない天の配剤なんだ。君の目的と僕の目的が全く一致する……これは単なる偶然じゃないんだ。僕はそう確信している。これは天が我々に味方したんだ。……そうは思わないかい?
清原 うむ………
文麻呂 (苛々《いらいら》して)さあ、元気を出そう、元気を! 天が与えてくれたこの機会を利用しなければ、君の恋も、僕の復讐《ふくしゅう》も、一生涯《いっしょうがい》実現出来ないようなことにならないとも限らないんだぜ。さあ! 肚《はら》を落着けて待とう、待とう! 大納言を恋と名声から失脚させるには我々の智慧《ちえ》の外に、最大の勇気と云うものを必要とするんだ。何よりもまず第一に肚だ。肚を落着けて、心静かに待とうじゃないか!……何でえ、しっかりしろよ! (いきなり両手で両膝《りょうひざ》を抱え込む)
清原 (……これも文麻呂の真似《まね》をして、両膝を抱え込む)

[#ここから2字下げ]
長い、気まずい沈黙。
[#ここで字下げ終わり]

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文麻呂 (再び沈滞した空気を振払うかのように)ああ、とにかくこれはすごい竹の木だな。……それにしても、この素晴らしく延びた幹はどうだ。……ねえ、清原。こいつは確か孟宗竹《もうそうちく》と云う奴だよ。話によるとこの竹の苗は奈良朝の初期に唐《から》の国から移植されたものらしいんだが、三百年足らずの間にどうだ、この東の国の一劃《いっかく》にも、このように幽麗な叢林《そうりん》を形成してしまった
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