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清原 ……しらないんだ。
文麻呂 何だい。訊《き》いてみないの?
清原 ……まだなんだ。
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間――
[#ここで字下げ終わり]
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文麻呂 いくつ位に見えるのさ?
清原 それが、……よくわからないんだ。
文麻呂 何だか少し頼りないね。……話したことはあるんだろ?
清原 (俯向《うつむ》いたまま、無言)
文麻呂 ね。毎晩逢って話ぐらいはするんだろ? え?
清原 (ごく低く[#「ごく低く」に傍点])まだなんだ。

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長い沈黙。
[#ここで字下げ終わり]

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文麻呂 (しばらくは呆《あき》れたような顔をしていたが)そうか、……まあ、いいさ。……つまり、まだほんの「恋知り初《そ》めぬ」と云ったばかりの所なんだな。だけどね、清原、恋をするにはもう少し勇気を持たなくちゃ駄目《だめ》だよ。もう少し思い切ってやらなくちゃ駄目さ。僕はそう思うな。この女《ひと》こそ自分の一生を賭《か》けた唯一《ゆいいつ》無二の女性だと云う確信がついたら、早速《さっそく》、自分の心情を率直《そっちょく》に打明けなけりゃ問題にならないよ。遠慮なんかしてたらいつまで経《た》ったってらち[#「らち」に傍点]があかない。もちろん、僕はあの当世流行のつけぶみと云う奴は大嫌いだ。こそこそまるで悪いことでもしてるように、巧《うま》くもない文章を紙に書き並べて、逃腰《にげごし》半分で打明けるなんてのは、第一、男らしくもないし、……それに卑怯《ひきょう》だ。もちろん、面と向って、堂々と口で打明けるんだ。……そりゃ、そうだぜ、君、いつまでもぐずぐずそんな態度を続けて行ったとしてごらん。せっかくの恋も水沫《みなわ》のごとく消え去ってしまうのだ。例えばね、先方でも君のことを慕《した》っているとする。……いいかい?……いつまでも君が愛を打明けてくれるのを待っている。……待っても待っても打明けてくれない。……そのうちに他の恋敵《こいがたき》があらわれて、先に結婚を申し込んでしまう。ね? 君はもう破滅だ。……君の「恋」は永久にそこで終ってしまうかもしれないのだ。
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話の途中から、空には星々が燦然《さんぜん》と輝き始めた。………
文麻呂はそっと清原ノ秀臣の反応を窺《うかが》ってみる。彼は黙ったまま、俯向《うつむ》いている。ふと、遠くの竹林の中から、まるでざわめく風の中からでも生れたかのように、わらべ達の合唱する童謡《わざうた》が、美妙な韻律《いんりつ》をひびかせながら、だんだんと聞えて来る。………

 〔わらべ達の唄《うた》〕
なよ竹やぶに 春風は
   さや さや
やよ春の微風《かぜ》 春の微風
   そよ そよ
なよ竹の葉は さあや
   さあや さや
[#ここで字下げ終わり]

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文麻呂 (怪訝《けげん》な顔で、唄の聞えて来る方向を不気味そうに見やり)……清原。………あれは何だい? 何だろう、あの唄は?
清原 (異様な悦《よろこ》びに既に眼は烱々《けいけい》と輝き始めている。熱情的な独白)わらべ達だ。……なよたけのわらべ達だ。……なよたけがわらべ達と一緒に散歩に出て来たんだ。(突然、駆《か》けて行こうとする)
文麻呂 清原!
清原 (立止る)
文麻呂 何だって云うんだい? わらべ達がどうしたって云うんだい?
清原 (もはや全く気もおろろに、譫言《うわごと》のごとく)わらべ達はなよたけの心の友達なのさ! なよたけが心を許しているのはわらべ達だけなのさ! わらべ達はひとりひとりなよたけの心を持ってるんだ! わらべ達の心はなよたけの心なんだ! 僕はなよたけと話が出来なくったって、わらべ達とは話が出来るんだ! なよたけは僕に話掛けてくれなくったって、わらべ達は僕に話掛けてくれるんだ! 僕がわらべ達と話をしてると、なよたけは傍《そば》で微笑《ほほえ》みながら、僕とわらべ達の話を聞いててくれるんだ! 僕はわらべ達と話をしてれば、まるでなよたけと話をしてるような気持なんだ! わらべ達の話の中にはなよたけの心が通《かよ》ってるんだ! なよたけの心の中にはわらべ達の話が通ってるんだ! 僕はわらべ達と話してるんじゃなくて、なよたけと話してるんだ! なよたけは僕に……
文麻呂 清原! 落着け!
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間――
[#ここで字下げ終わり]
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清原 (やや理性をとり戻す)……石ノ上。……僕は取乱しちまってる。恋のためにすっかり取乱しちまってる。許してくれ。……僕は行かなくちゃならない。すぐに行かなくちゃならない。なよたけに逢いに行かなくちゃならない。なよたけが僕を呼んでいる………
文麻呂 (きっぱりと)行きたまえ!
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清原、脱兎《だっと》のごとく、やや左手奥へ駆け下りて行く。
[#ここで字下げ終わり]
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文麻呂 (清原の後姿を見送りながら、独白)清原。……貴様は、完全に……「恋」の虜《とりこ》だ。………
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燦然《さんぜん》たる星空を背景に丘の中央に、影絵のごとく立っている文麻呂。
わらべ達の謡《うた》う童謡《わざうた》がだんだんと明瞭に聞えて来る。………

 〔わらべ達の唄〕
なよ竹やぶに 山鴿《やまばと》は
   るら るら
やよ春のとり 春のとり
   るろ るろ
なよ竹の葉に るうら
   るうら るら

春風にざわめく竹林の音と、わらべ達の謡う愛らしい童謡《わざうた》の旋律《せんりつ》と、時折|淋《さび》しげに鳴く山鴿の鳴声が、微妙に入り交り、織りなされ、不可思議な「夢幻」の諧調となって、舞台はしばらくは奇妙に美しい一幅の「絵図」になってくれればいい。文麻呂は何か吾《われ》を忘れたもののように、じっと遠く竹林の方を見ている。……
やがてわらべ達の唄声が次第に遠く消えて行く頃、瓜生《うりゅう》ノ衛門《えもん》、右手より現れる。丘の上の人影をそっと窺《うかが》うようにみている。
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瓜生ノ衛門 (文麻呂だと分ると、低い声で)文麻呂様。……文麻呂様。………
文麻呂 (その声にふと我に返り、あたりを見廻すが、暗くてよく分らない。空耳かな、とも思う)
瓜生ノ衛門 お坊ちゃま。………ここですよ。こちらでございますよ。
文麻呂 誰だ!
瓜生ノ衛門 私でございます! 瓜生ノ衛門でございます。
文麻呂 なんだ、衛門か。……お前だったのか? びっくりさせるじゃないか、こんな処《ところ》に……
瓜生ノ衛門 (笑いながら、近寄って行く)やっと見付けました。ずいぶん方々お探し申したんですよ。……お父上はもう?
文麻呂 (丘の上から下りて来る)む。行ってしまわれた。……元気に発《た》って行かれた。
瓜生ノ衛門 東路《あずまじ》はさぞ淋しゅうござりましょうな。……手前もお供致しとうございました。………でも、供奉《ぐぶ》のものはみな大伴《おおとも》様の御所存だったので、……残念ながら、……致し方ござりませぬ。
文麻呂 む。あの供奉の連中ね。……まあ、あれは大納言の決めた人達なんで、心配でないこともないんだが、……しかし、父上のあの高邁《こうまい》な「人格」はたとえどんな腹黒い奴等《やつら》でも、たちどころに腹心の家来にしてしまうよ。僕はそう信ずる。……ねえ、衛門、そうだろうが?
瓜生ノ衛門 そうでございますとも。……瓜生ノ衛門、今更《いまさら》ながら御父上から受けました四十年の御厚誼《ごこうぎ》、つくづくと身に沁《し》みまする。……(涙して)しがない瓜《うり》作りの山男を……これまでに……
文麻呂 まあ、いいさ、衛門。過ぎ去った過去のことを思い出してくよくよするのは、遠い先の未来のことを妄想《もうそう》して思い上るのと同じくらい愚劣な空事《そらごと》だからな。一番大切なのは現在だ。現在の中に存在する可能性だ。……ところで、衛門。お前、これから、どうする積り?
瓜生ノ衛門 手前、生れ故郷の瓜生の山里に帰って、また瓜作りでも始めようかと思います。
文麻呂 え?
瓜生ノ衛門 また瓜でも作ろうと思うのでございます。この上、お坊ちゃまに御厄介《ごやっかい》をお掛け申すのは、この衛門、とても忍びのうございますでな。それに、お坊ちゃま。(柄《がら》になく恥しそうに笑う)へ、へ、へ、へ、へ、………
文麻呂 何だい。気持が悪いね。……それに? どうしたって云うんだい?
瓜生ノ衛門 へえ、誠《まこと》に気恥しくて申し上げにくい話なんでございますが、……実は手前……瓜生の里には四十年前に云い交した許婚《いいなずけ》がひとり待って居るんでございます。
文麻呂 許婚?
瓜生ノ衛門 へえ、まあ、そのような……へ、へ、へ、へ、へ、……
文麻呂 おい、おい。衛門。お前もなかなか隅《すみ》には置けないね。六十八にもなって許婚とは……さすがの僕も恐れ入っちゃった。それじゃ、まあ、惚《のろ》け話の花でもひとつ咲かせてもらおうかい。
瓜生ノ衛門 いや、お坊ちゃまの方から先にそう開きなおられると、せっかくの花も蕾《つぼ》んでしまいます。………実を云えば、手前、若気《わかげ》のあやまち、とでも申しましょうか、……今から四十年前の昔でございます。手前がまだ瓜作りをやっておりました時分、ふとした浮気心から云い交した娘がございました。と云いましても、名前も顔もはっきりとはとても浮ぶ瀬もない冥途《めいど》の河原。……何分遠い昔の想《おも》い出《で》話でございますでな。手前は父上様にお仕《つか》え申す身になって四十年。……華《はな》やかな平安のみやびの中であのようにしあわせ過ぎる位の身の上でございましたもので、そんな娘のことなぞすっかり忘れてしまっておりましたのです。ところがつい最近のことですが、風の便りか山ほととぎす。……お坊ちゃま、実はその娘がまだ手前の帰って来る日をたった独《ひと》りで待っていると云う話をふと、耳に致しましたのです。それを聞きました時には、ちょうど、今度のお父上の御栄転騒ぎで、都のお勤めからは手前もいよいよ身を引潮の漁《いさ》り歌と云うわけで、……何となくすずろな憂身《うきみ》をやつしておりました最中だったもんで、何と申しますか、……人里離れた生れ故郷の瓜生の里が無性《むしょう》にこう……懐《なつか》しくなって参りましてな。
文麻呂 ふーん? そうだったのかい。……いや、そう云うことなら衛門、そりゃ僕もとてもいいと思うよ。僕も大賛成だ。……故郷の山の中で一生を契《ちぎ》り合ったひとと二人っきりで瓜を作る。……いいな。羨《うらやま》しい生活だ。幸福な余生だ。衛門、……こんな汚れ多い都会の生活はもうお前のように正直な男には用のないものだよ。大切なのは孤独と云うことだ。真剣に生きると云うことだ。お婆《ばあ》さんもさぞ悦《よろこ》ぶことだろう。
瓜生ノ衛門 お婆さん?
文麻呂 や、こりゃ失礼。……だって、衛門。そりゃあもうだいぶお婆さんだろうじゃないか? 四十年も前に………
瓜生ノ衛門 (そう云われて、ふと、今更のように四十年の経過を思い起し)ああ、……さようでございましたな。……む、そこんところを衛門もう少し考えてみなければなりませんでしたな。む。さようでございますとも。いくら手前に惚《ほ》れ込んだと申しましても、……四十年間、年もとらずに娘のまんまで手前を待ってるなんてわけは、どう考えたって、そんなことは有りゃしませんですからな。(何だか少々情無い気持になって来る)いや、そりゃもう大変婆さんになっとりましょう。……何せ、手前が二十六で、あれがそう、かれこれ……
文麻呂 衛門!………そんなことは問題じゃないよ。顔に皺《しわ》が何本出来ていようと、どんなに腰が曲っていようと、お前を待っているのは忠実なひとりの少女の心だ。ね? 衛門、
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