ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
竹取翁 (哀願するごとく)お若い方、お願い致しますぞ。儂の話を信じて下されますな?……儂はすっかり話してしもうたのじゃ。貴方にだけはすっかり話してしもうたのじゃ。儂の夢を伝えて下さるのは貴方じゃ。貴方をおいて他《ほか》にはないのじゃ。とこしえの後までもなよたけの夢を伝えて下され。……おう、何やら儂は身も心も軽々として来た。……儂はいよいよ無明の闇の中へ姿を消す時が来たらしいのじゃ。
文麻呂 お爺《じい》さん! 何をおっしゃるのです!……
竹取翁 信じて下さりますな? お若い方、なよたけは天女じゃ。信じて下さりますな?
文麻呂 お爺さん! なよたけは……
竹取翁 なよたけは天女じゃ! 本《もと》光る若竹の筒の中から生れた天女じゃ! お若い方、信じて下さりますな?
[#ここから2字下げ]
烈しい風の音。その中から幻聴《げんちょう》のようにわらべ達の声がする。
[#ここで字下げ終わり]
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わらべ達の声 信じるの! 文麻呂! そんなこと……
竹取翁 なよたけは月の都から送られて来た天女じゃ! 人の世の女として愛してはなりませぬぞ! なよたけは夢じゃ! 現《うつ》そ身《み》の女として愛してはなりませぬぞ! お若い方、信じて下さいましょうな?
わらべ達の声 信ずるの! 信ずるの! 文麻呂! 信ずるの! そんなこと……
竹取翁 信ずると一言云って下され! 儂は無明の闇の中に消えて行くのじゃ! 儂はなよたけの夢がとこしえに生きるのを確かめてから消えて行きたい。……お若い方、信ずると一言云って下され。
[#ここから2字下げ]
突然、竹林の間から雨彦の姿が幻影のごとく浮び上った。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
雨彦 文麻呂! なよたけはお前を騙《だま》した! あの子は大納言の手先だぞ! (消える)
[#ここから2字下げ]
続いて、今度は別の所から胡蝶《こちょう》の姿が浮び上った。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
胡蝶 文麻呂! なよたけは都にいるの! 綺麗《きれい》な着物を着て都にいるの! (消える)
[#ここから2字下げ]
続いて、けらおの姿が浮び上った。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
けらお 文麻呂! なよたけはあんなあな[#「あんなあな」に傍点]だ! 文麻呂はあんなあな[#「あんなあな」に傍点]に騙された! (消える)
竹取翁 (だんだんと声が弱まって行く)信じて下さらぬと云うのか? 貴方は儂の話を信じて下さらぬと云うのか?
[#ここから2字下げ]
こがねまる、みのり、蝗麻呂《いなごまろ》の姿が一時に浮び上った。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
三人 (一緒に)
[#ここから2字下げ]
だまされた だまされた
あんなあな[#「あんなあな」に傍点]にだまされた
なよ竹は大納言の手先だぞ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
竹取翁 (次第に力なえるごとく)信じて下さらぬと云うのじゃな? お若い方、貴方は儂《わし》の話を信じて下さらぬと云うのじゃな? ひとことでよいから信ずると云って下され。ひとこと、信ずると……
[#ここから2字下げ]
翁《おきな》の言葉がふと途切れる。すると、翁の姿は濃い蒼色《あおいろ》の光に照らされ始めた。白銀の斧《おの》がその手に異様に光っている。
[#ここで字下げ終わり]
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なよたけの声 (突然、左手より風の音に交って聞えた)文麻呂! 文麻呂!……信じては駄目よ! 誰の言葉も信じては駄目よ!
文麻呂 (はっと我に返ったように)なよたけ! どこにいるんだ! 教えておくれ!……なよたけ!……お前はどこにいるんだ!
竹取翁 なよたけは信ずるものを喪《うしの》うた。なよたけの夢は現《うつ》し世《よ》から消えて行くのじゃ。……竹取ノ翁もなよたけのかぐやも無明の中に消えて行くのじゃ。
文麻呂 お爺さん! 貴方には聞えないのですか? あのなよたけの声が貴方には聞えないのですか?
[#ここから2字下げ]
風の音烈しく……
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
なよたけの声 文麻呂!……竹の林を出て! 竹の林を出て! 果しもない夜空の下にあたしは立っている! お星様が残る隈《くま》なく見える所にあたしは立っている!……文麻呂! 早く竹の林を出て! 竹の林を出て!
文麻呂 お爺さん!……なよたけが僕を呼んでいる! 僕にはあの女《ひと》の声がはっきりと聞えるのです! なよたけは夢ではありません! なよたけはこの竹林の外で僕を待っている。……竹の里の伝説は滅《ほろ》んでも、なよたけの姿は決して亡びはしません! なよたけはこの竹の里を捨てて、今こそ僕のものになるのです! 今こそ僕の妻になるのです!
竹取翁 なよたけは月の都に呼び戻されるのじゃ。……人の世のなべてのものに望みを失った時、あれの魂は月の都に呼び戻されるのじゃ。……儂の夢はこのまま永久に消え去って行く。語り継ぐものとてないこの里の云い伝えはこのまま永久に消え去って行くのじゃ。
なよたけの声 文麻呂! 文麻呂!
文麻呂 お爺さん!……僕は行きます! 僕は行かなければならない!
[#ここから2字下げ]
文麻呂、左手の方へ去ろうとする。
烈しく乱れ飛ぶ竹の枯葉。不気味な風の音。蒼色に照らされていた翁の姿は次第に力なえるもののごとく夜の闇の中に消え失せて行く。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
竹取翁 (絶え入る如く)貴方は一体どなたなのじゃ? 儂の夢を奪い去ろうとしている貴方の名前は何というのじゃ? この竹の里からいわれ古き遠世の伝えを持ち去ろうとしている貴方は一体何とおっしゃる御方なのじゃ?
なよたけの声 文麻呂! 文麻呂!
文麻呂 (翁をふりかえって)僕の名はなよたけが呼んでいる! お爺さん! 僕の名はなよたけが呼んでいる!
[#ここから2字下げ]
文麻呂、左方へ消える。
翁の姿は蒼い残像をのこして、徐々に闇の中に消えて行った……風の音も、闇の中に吸い込まれるように消えて行った。……闇の静寂。どこからともなく、斧の音がひびき始めた。それは不気味なほど、はっきりしたひびきをもって、無明の時を刻み始めたのだ。
合唱(ごく低く)
無常の風に 春の陽の
常世《とこよ》の緑 吹き消えて
今ははや いずこの方《かた》か……
常世の緑 吹き消えて
翁が影は失せにけり
夜の深淵《ふかぶち》に 跡絶えて
翁が影は失せにけり
(斧の音)
あとにただ、……
ひびかうは 時の音《ね》の
ひびかうは 時の音の
無明に刻む 斧の音……
ただ、白銀《しろがね》の
無明に刻む 斧の音……
(斧の音)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
わらべ達の声 (遠き挽歌《ばんか》のごとく)……さようなら! 文麻呂!……
[#ここから2字下げ]
ひびかうは 時の音の
ひびかうは 時の音の
無明に刻む 斧の音……
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
わらべ達の声 (消え入るように、遠く微《かす》かに……)さようなら! 文麻呂! さようなら! 文麻呂!……
[#ここから2字下げ]
緑色の薄紗《ヴェール》が幾重《いくえ》にも垂《た》れ下って行く。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]〔溶暗〕
第二場
[#ここから2字下げ]
寺々の鐘の音
合唱
夕暮の 鐘の常無きひびき音《ね》に
鐘の常無きひびき音に
今ははや、……
いずこの方か 春の陽の
常世《とこよ》の緑 消え失せて
伝えの里は 滅べども
なよ竹のささめく里は
消ゆれども
天雲の下なる人は、汝《な》のみかも
天雲の下なる人は、汝のみかも
人はみな 君に恋うらむ
……恋路なれば。
われもまた 日に日《け》に益《まさ》る
行方《ゆくえ》問う心は同じ 恋路なれば。
契《ちぎ》り仮なる一つ世に
踏み分け行くは 恋のみち
踏み分け行くは 恋のみち
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
なよたけの声 (舞台奥より)文麻呂! 文麻呂!……
[#ここから2字下げ]
薄紗《ヴェール》の幕が再び次々に繰《く》り上って行く。場面は、竹林を出たばかりの所で、小高い丘陵《きゅうりょう》の一端の感じ。遠い丘陵が幾つか連なっているのが夜空に遥かに黒く浮んで見える。――
天空には燦然《さんぜん》と、星々がきらめいて、深遠なる宇宙の絵図が果しもなく拡がっている。
中央に、なよたけが前幕と同じ華麗《かれい》な衣裳を身にまとって、冴え渡った星空を背景にして、立っている。片手にはしっかりと竹の小枝を握ったまま、何か差し迫る眼に見えない大きな力に弱々しく抗している様子である。
その顔は「面」のように作られ、奇妙《きみょう》に清らかな「死相」を感じさせる。天空の彼方《かなた》から吹き来たる風が、衣裳の袂《たもと》や、手にした竹の枝葉をかすかに揺らしている。……
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
文麻呂の声 (右手より)なよたけ! なよたけ!……
なよたけ 文麻呂! ここ! あたしはここよ!
[#ここから2字下げ]
文麻呂舞台右手、竹林の外《はず》れの所に姿をあらわす。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
文麻呂 (信じられぬかのように、言葉もなくしばらく茫然となよたけの姿を打ち眺めて立っている……)
なよたけ 文麻呂! 文麻呂! あたしよ! なよたけよ!
文麻呂 なよたけ!……お前は本当にそこにいるの?……果しもない星の夜空に身をさらして、……信じられない。……お前は僕を騙《だま》そうとするんじゃないだろうね? 近づこうとするとすぐ消えてしまうあの忌々《いまいま》しい幻影《まぼろし》ではないんだろうね?
なよたけ 本当よ! 文麻呂! 本当にあたしはここにいるの!……あたしはこうして立っている。あんたの眼の前にいるの! いつまで見てたっていいわ! あたしはいつまでも消えやしない……
[#ここから2字下げ]
二人、しばらく互に遠くから相見る……
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
文麻呂 (限りない悦《よろこ》びが溢《あふ》れて来る)ああ、夢じゃないんだ。……僕は誰の言葉も信じなかった。ただ、お前だけを信じていた。お前の声だけを信じていた。
なよたけ 文麻呂、……どうしたの? 涙なんか……
文麻呂 なよたけ、お前はそんな処《ところ》から僕の涙が見えるの?……(彼女の傍に走り寄り)なよたけ!……僕はずいぶん苦しい目に遭《あ》った。お前を探して、竹の林の中をあてどもなくさまよい歩いていたんだ。……どこまで行ってもお前の家は見えて来なかった。どっちを向いても一面の竹の林だけなんだ!……僕は夢を見ていた。不吉な夢にうなされていた。いつかしらず、夜が来て、どこからともなくお前の声が聞えて来た。僕を呼んでいるお前の声が聞えて来た。……ああ、あれから一体どこをどう歩いて来たのだろう?……僕はただ、お前の声だけを信じていた。お前の呼び声だけを信じていた。だけど、もういいんだ。何もかも。……お前は僕の前にいる! 夢じゃないんだ!……(自分の旅姿を見せる)なよたけ! 御覧《ごらん》!……僕は都を棄《す》てた。僕はもう二度と再び都へは帰らないんだ。……
なよたけ 文麻呂!……あたしも! あたしも竹の林を棄てたの! お父さんを棄てたの! わらべ達も棄てたの! 竹とあたしの間には、もう何もない。……あたしはたったひとり。……あたしにはもう
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