実な従僕《しもべ》だ。ああ、忘れていた。これ。万葉集………
文麻呂 いえ、それはお父さんに差上げます。僕はもう一冊持っていますから。東国の任地などでしみじみとお読みになるにはこれほどよい書物はありません。
綾麻呂 そうか。それでは記念にひとつ貰《もら》っておこう。これはなかなかよさそうな本だから、お父さんもじっくり読んでみることにしよう。それから東国へ下る人があったら、必ず手紙をくれるんですよ。ああ、だいぶ遅くなってしまった。山科《やましな》の里では供奉《ぐぶ》の者達がさぞや待ちかねていることだろう。では、文麻呂。さらばじゃ!
文麻呂 さようなら! お父さん!
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石ノ上ノ綾麻呂、左方へ下りて行く。退場。
文麻呂。独り中央丘の上に残る。
あたりには夕闇が立ち籠《こ》めている。………
文麻呂は傍の木の切株に腰を下ろして、冥想《めいそう》に耽《ふけ》り始める。………
遠近《おちこち》の広大な竹林の竹の葉のざわめく音が無気味に響き渡りはじめる。………
文麻呂ぎょっとして後をふりみる。
風。………そして、時折、山鴿《やまばと》の物淋《ものさび》しげな鳴声がし始める。
[#こ
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