……大層|綺麗《きれい》な紙に書いて下さった、と云って、いやもう、とても喜びましてな。(大納言、嬉し気な表情)昨夜《ゆんべ》、あれの部屋に行って、ふと何気なく見ましたところが、お手紙《ふみ》は鶴《つる》に折られて、天井《てんじょう》からぶるさがっておりましたじゃ。
御行 (きわめて情無さそうな表情。しばし当惑《とうわく》)
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なよたけの弾く琴の音。
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御行 (琴の音に気付き)……あの琴は、……あれは、あのひとですね?
造麻呂 へえ………

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琴の音。長い間。
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御行 (もはや耐《た》えかねたような詠嘆調《えいたんちょう》にて)ああ、何と云う妙《たえ》なる楽の音だ。……これが、このあじけない現世《うつしよ》のことなのだろうか?………いいや、これはもう天上の調べだ。私にはあのひとの白魚《しらうお》のようにかぼそい美しい手が眼《ま》のあたりに見えるようだ。あのひとの月のように澄みきった心が隈《くま》なく読めるようだ。……あれこそは、あのひとの清らかな魂がこの汚れ多い現世に、天の調べを伝えてくれるのです。
造麻呂 それほどでもござりませぬ。
御行 (深い溜息《ためいき》と共に)なよたけ………
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琴の音。間――
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御行 (突然、つかつかと土間に入って来る。衝動的《しょうどうてき》に)お爺さん! 私はもうこれ以上我慢が出来ません! 私は私の思った通りのことをします! なよたけは私のものです! なよたけは私が貰《もら》います! なよたけを私に下さい! なよたけは私の妻です! なよたけは……
造麻呂 (きっぱりと)いけましねえ。
御行 いけない?………(調子を変えて、今度は妙《みょう》に哀《あわ》れっぽく)ねえ、お爺さん。………これはまあ、むかしむかしの笑い話だと思って聞いて下さい。………あるところに、心まずしい哀れな男がひとりいたのです。……身はやんごとない家柄に生れは致したものの、空しい孤独の男でした。……侘《わび》し過ぎました、あまりにも侘し過ぎました。………
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琴の音。
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下人《しもびと》の憧《あこが》れる、華かな詩歌管絃《しいかかんげん》の宴《うたげ》も、彼にとっては何でしたろう? 移ろい易《やす》い栄華《えいが》の世界が彼にとっては何でしたろう? 花をかざして練り歩く大宮人《おおみやびと》の中に、ただ彼のみは空しくもまことのこころを求め続けていたのです。美しい夢を追い続けていたのです。
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琴の音。
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(夢みるように)……遠い、遥かな夢の野に、あてどもなく、涯《はて》しもなく、ただ彷徨《さまよ》いあるく彼でした。………
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うつせみの世は
   花まごうみやびとに
まことのこころ
   いかでもとめむ……………
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苦しい旅路でした。耐え難くもすさぶ心を抑《おさ》えながら、昨日は西、今日は東とさすらい求めていたのです。本当に苦しい、それは忍従そのものでした。
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琴の音。
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(次第に激して行く)それが、どうでしょう。ねえ、お爺さん、とうとう報いられたのです。今こそ、まことのこころを持った女《ひと》にようやく廻《めぐ》り逢うことが出来たのです。本当に永い苦労の仕甲斐《しがい》があったと云うものです。その女《ひと》こそ、彼が永い間、探し求めて止まなかった理想の妻だったのです。……それは、まるで白菊《しらぎく》のように清らかな女《ひと》でした。輝やかしい姫君《ひめぎみ》でした。彼は夢中になりました。我と我が心を失ってしまいました。……ねえ、何の不思議がありましょうか? その女《ひと》を得られなかったら、それこそその男は生きて行くことすら出来なかったのですよ? その男は命を賭けて愛を求めたのですよ?
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琴の音。
造麻呂にはどうも話がぴんと来ぬらしい。
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御行 (極度に勿体《もったい》をつけて)ねえ、お爺さん、………その男が一体誰であったか御存知ですか?
造麻呂 いんえ。
御行 (きわめて厳然と)大納言、大伴《おおとも》ノ宿禰御行《すくねみゆき》。………
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琴の音一段と高らかに。
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造麻呂 は?
御行 大納言、大伴ノ宿禰御
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