綾麻呂 何だ?
衛門 と云いますのは、つまり、なんです。文麻呂様のような負けず嫌いのお方が、そのように夢中になられた造麻呂《みやつこまろ》の娘を、大納言様なぞのために、どうしてそう易々《やすやす》と諦《あきら》めてしまう気になったのだろうと云うことなのでございます。いや、手前の存じておりますところでは、その娘はまあそうしたしがない竹籠《たけかご》作りの娘ではございますが、旦那様が御覧《ごらん》になったとしても決して首を横にお振りになるような悪い娘でもございませんし、こう云ってはなんですが、文麻呂様の奥《おく》の方《かた》になられたとしてもちっとも恥しくない娘でございます。手前も、まあ、そのことをあまりずけずけとはっきりお伺いするのもどうかと思いましたので、こちらへ発《た》つ前に一度だけ、遠廻しにほのめかしてみたことがございました。東国へお発ちになる心がお決まりになったのならば、ひとつ思いきって、その娘さんを御一緒に連れていらっしゃってはいかがです。あの娘が大納言様の囲《かこ》い者にされてしまっても構わないのですか? 衛門、悪いことは申しませぬから是非そうなさいませ。何でしたら、手前からあの娘にようくそのことを云い聞かせて差上げます。お父上だってきっと喜んで許して下さいますでしょう、とこうお訊《たず》ね申してみたのです。
綾麻呂 うむ。
衛門 そうしますと、文麻呂様は淋《さび》しそうに微笑顔《わらいがお》をなさって、「衛門、……あのひとはもう遠い所に行ってしまったのだよ。」などと、妙に気のない御返事をなさいます。で、今度は家内までが膝《ひざ》をのり出しまして、「文麻呂様がお嫌と申すならば致し方がございませんが、どんなに遠い所に行ったっていいではありませんか。わたくしどもがお供を致しますから、御一緒に探しに参りましょう。」と、もう一度お誘い申してみたのですが、一向乗気の御様子もなく、かえって、「馬鹿だなあ、お前達は。……あのひとはもうこの見苦しい世の中から姿を消してしまったんだよ。それを今更探しに行ったって、何になる?」などとおっしゃって、もうすっかりお諦めになっている御様子です。とりつくしまがございません。
綾麻呂 うむ。……で、なにかね、その後、その娘はどうしているのか、お前も知らないのか?
衛門 さあ、手前、その後は、造麻呂にも逢う機会がございませんでしたが、……実はこちらに発《た》つ前にちょっと人伝てに聞いた話では、何でも、やはり坊《まち》の小路あたりで大納言様の囲い者になっているらしく、まあ、きらびやかな唐織《からおり》の着物でも着せられて、華やかな生活を致しているのでございましょう。とにかく、あの造麻呂と云う爺はみかけによらず、大変な胴慾者《どうよくもの》ですから、娘の幸福《しあわせ》などとても考えてやるような男ではないのです。
綾麻呂 む。
[#ここから2字下げ]
間――
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
衛門 (しみじみと)しかし、旦那様、恋と云うものは大変なものでございますな。……
綾麻呂 ………
衛門 手前、文麻呂様のお心中《こころうち》をお察ししますと、不憫《ふびん》で不憫でなりませぬ。
綾麻呂 ………
衛門 恋のためによほど苦しまれたものらしゅうございます。気も狂わんばかりの真剣な恋をなすったに違いございません。そう云う恋は得てして不幸な結果に終るものでございます。……手前、どうもこうも、あの大伴の大納言様が憎《にく》らしくてなりませぬ。全く、いい年をして、若い者にさっぱりと恋を譲ってやればよいものを、弱みにつけ込んであのように純真な文麻呂様を散々笑いものにしたのかもしれませぬ。文麻呂様はきっと都にはいたたまれなくなって、東国へ発《た》とうと思い立たれたのでございましょう。もうあれ以上、恥をしのんで都にとどまることが出来なくなったのでございましょう。
[#ここから2字下げ]
間――
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
綾麻呂 (静かに)む、そう云うことだったのか。……いやしかし、それは、その方が文麻呂にとってはかえってよかったのかもしれん。衛門、……恋に破れたものはな、時として思いも掛けぬ立派な、男らしいことをやるもんだよ。儂《わし》の息子は、そんなこと位でへなへなと参ってしまうような奴ではない。女子《おなご》ひとり位のために世の中から落伍《らくご》してしまうような意気地無しを儂は生んだ覚えはないのだ!
衛門 そうでございますとも、旦那様!
綾麻呂 ところで、衛門。……あいつは今日もまた朝っぱらからずっと部屋に引籠《ひきこも》りっきりなのかな?
衛門 そうらしゅうございます。
綾麻呂 しようのない奴だな。……まだあの下らぬ歌よみ根
前へ 次へ
全51ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
加藤 道夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング