い勢いで、「貴様にはまだ分らんのか!」って怒鳴りつけるんだ。そうかと思うと、やれおけらがどうの毛虫がどうのと、全くとんちんかん[#「とんちんかん」に傍点]な返答をする。しかも論旨は支離滅裂《しりめつれつ》なのさ。もうまるで意味が分らないんだ。……
小野 しかし、それだけのことであいつを狂人扱いにしてしまうのは早計だ。そいつは少し残酷《ざんこく》だよ。
清原 まだまだ思い当る節《ふし》はたくさんあるさ。第一にあの眼だ。あの眼の異様な輝き工合はどうだ! 雲斎先生もそう云ってらしたが、狂人になるとまず第一に眼が異様に輝いて来るんだそうだ。精神を集中することが出来なくなるから、眼光は焦点を失って、いずこともつかぬ方向へ、不気味な輝きを発散するのだそうだ。小野、あいつに逢ったら、まず第一に眼をみてごらん! 僕はあいつの眼をみてると、気味が悪くなって来るんだ。じっと一点を凝視するってことがないんだ。行方《ゆくえ》も分かぬ、虚空《こくう》の彼方《かなた》にぎらぎらと放散しているんだ。定かならぬ浮雲のごとく天《あま》の原《はら》に浮游《ふゆう》しているんだ。天雲《あまぐも》の行きのまにまに、ただ飄々《ひょうひょう》とただよっている……
小野 (深刻に)……うーむ。
清原 その次に確実な症状は幻覚《げんかく》と云う奴なんだよ。雲斎先生もそう云ってらしたが、この症状が現れて来るようになったら、もう救い道はないんだそうだ。つまり、普通人には見えないものが見え、聞えないものが聞えて来ると云うのだ。……幻影《げんえい》とか幻聴《げんちょう》とか云う奴さ、……小野! 僕はもう全く疑う余地はないと思うんだ! 石ノ上ノ文麻呂は時々このあやしげな幻覚に悩まされているんだぜ! 昨日も昨日で、やにわに僕をつかまえて、こんなことを云うんだ! 「清原! 見ろ! 貴様にはこの鮮《あざや》かな宇宙の変革[#「宇宙の変革」に傍点]が分らんのか! 俺達を取巻いている七色の光彩の中から、無限に投射する白色光《びゃくしょくこう》の世界が浮び上って来るのだ! 日輪が俺達に語っているあの言葉が貴様には聞えないのか!……ああ、貴様は凡人だ! 世の中の人間はみんな馬鹿だ!」こうなのさ。それも例の調子でやるんなら話は分るが、こんなことを君、血走った眼をして、大真面目《おおまじめ》に云うんだぜ。そうかと思うと今度は急に温和《おとな》しくなって、まるで眼の前になよたけが現れたかのように、話し出すんだ。「ああ、なよたけ! お前だけなんだ! 真実の魂を持っているのはお前だけなんだ! 僕はお前のお蔭で、初めて生れ変ったような気がする! お前はまるで天の使だ!」僕はそれを見ていて、何だか全身がぞっとして、総毛《そうけ》立《だ》って来たよ。あれは恋などと云う生《なま》やさしいものではない。あれはもはや狂気だ! 恐るべき精神の錯乱《さくらん》なんだ! そうかと思うと今度は、また行方《ゆくえ》も分かぬ虚空の彼方《かなた》に眼をやって……
小野 (突然、右手を見)あ、やって来た!……しーッ。
清原 (右手を見、急に狼狽《ろうばい》し始める)……小野、僕は失敬する! 頼む! あいつにそう云ってくれ! あいつは何をしでかすか分りゃしない! あんな奴と行動を共にするのはまっぴら御断りだ! 僕あもう今日限りこんな大それたことは本当に止めた! 僕はあいつとは、もう手を切った!
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左方へ逃込み、退場。
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小野 おい! 待て! 待て! 清原! 待てと云うのに!……行ってしまやがった。……
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石ノ上ノ文麻呂が右手に現れた。
先ほどの粗末《そまつ》な下人の装束《しょうぞく》で、何やら抑《おさ》え難《がた》い血気が身内にみなぎっている様子《ようす》である。舞台の右方に立ち、遠くから小野《おの》ノ連《むらじ》をきっと凝視《みつ》める。
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文麻呂 おう。小野ノ連ではないか!
小野 俺だ!
文麻呂 何だ。君も来ていてくれたのか?……小野! いよいよ待ちに待った今日のこの日だ!
小野 おめでとう!
文麻呂 用意|万端《ばんたん》は既《すで》にととのった!
小野 成功を祈るよ!
文麻呂 とうとう、ここまで漕《こ》ぎつけたよ! 後は清原がやって来るのを待つだけだ……
小野 それはよかった!……まあ、そんな所に立っていないで、こっちへ来いよ。
文麻呂 うむ。
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文麻呂、中央にやって来る。
小野ノ連、詮索《せんさく》するように文麻呂の眼付、挙動をじろじろ眺めている。文麻呂は得体《えたい》の知れぬ興奮に、その眼は異様に輝き、なるほど、天空に向っ
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