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下人《しもびと》の憧《あこが》れる、華かな詩歌管絃《しいかかんげん》の宴《うたげ》も、彼にとっては何でしたろう? 移ろい易《やす》い栄華《えいが》の世界が彼にとっては何でしたろう? 花をかざして練り歩く大宮人《おおみやびと》の中に、ただ彼のみは空しくもまことのこころを求め続けていたのです。美しい夢を追い続けていたのです。
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琴の音。
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(夢みるように)……遠い、遥かな夢の野に、あてどもなく、涯《はて》しもなく、ただ彷徨《さまよ》いあるく彼でした。………
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うつせみの世は
   花まごうみやびとに
まことのこころ
   いかでもとめむ……………
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苦しい旅路でした。耐え難くもすさぶ心を抑《おさ》えながら、昨日は西、今日は東とさすらい求めていたのです。本当に苦しい、それは忍従そのものでした。
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琴の音。
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(次第に激して行く)それが、どうでしょう。ねえ、お爺さん、とうとう報いられたのです。今こそ、まことのこころを持った女《ひと》にようやく廻《めぐ》り逢うことが出来たのです。本当に永い苦労の仕甲斐《しがい》があったと云うものです。その女《ひと》こそ、彼が永い間、探し求めて止まなかった理想の妻だったのです。……それは、まるで白菊《しらぎく》のように清らかな女《ひと》でした。輝やかしい姫君《ひめぎみ》でした。彼は夢中になりました。我と我が心を失ってしまいました。……ねえ、何の不思議がありましょうか? その女《ひと》を得られなかったら、それこそその男は生きて行くことすら出来なかったのですよ? その男は命を賭けて愛を求めたのですよ?
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琴の音。
造麻呂にはどうも話がぴんと来ぬらしい。
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御行 (極度に勿体《もったい》をつけて)ねえ、お爺さん、………その男が一体誰であったか御存知ですか?
造麻呂 いんえ。
御行 (きわめて厳然と)大納言、大伴《おおとも》ノ宿禰御行《すくねみゆき》。………
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琴の音一段と高らかに。
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造麻呂 は?
御行 大納言、大伴ノ宿禰御
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