のだ。……まるで、もうここはあの国の幽邃境《ゆうすいきょう》だ。……深遠な唐国《からくに》の空気がそのままに漂っているではないか。……何と云う神秘な静寂だろう。僕は今、このような竹林の中で想を練ったと云うあの七人の賢者達のことを想い浮べている。………(沈黙)
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(ひとりで恍惚《こうこつ》として)
独[#(リ)]坐[#(ス)]幽篁[#(ノ)]裏 弾琴復[#(タ)]長嘯
深林人不[#レ]知[#(ラ)] 明月来[#(リテ)]相照[#(ス)]
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(独り言のように)……竹里ノ館か、……知ってるだろう? 王維《おうい》の詩だ。
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清原 (一向に聞いていない。頭の中は心配だけ)
文麻呂 こんな素晴しい神秘の境で、燦《きら》めく恋の桂冠《けいかん》を獲得しようと云う君は全く幸福だ。また、同時に同じ場所で父の仇敵を思いのままに辱《はずか》しめてやれると云うこの僕も幸運だ。……云わばここは我々が幸運の星にめぐり逢うと云う秘《ひ》められたる場所だ。天が我々に与えたもうた恵《めぐ》みの扉《とびら》だ。……扉は今や開け放たれねばならない。
清原 (突然すっく[#「すっく」に傍点]と立上り)そうだ! 僕、いいこと考えた!
文麻呂 (呆《あき》れて彼を見上げ)何だい、また? どうしたんだい、清原?
清原 ね、石ノ上。いいことがあるんだよ。なよたけの家のすぐ傍にね、竹籠《たけかご》の納屋《なや》があるんだ。僕達はこれからそっとそこへ行って、気付かれないようにその納屋ん中へ隠れるんだ。そうして内から様子《ようす》を伺《うかが》ってて、大納言様を待伏せするんだ。大納言様がいらっしゃってなよたけに何かいけないことをなさろうとしたら、そしたら、僕達はすぐに飛出して行って……やっちまうんだ。やっつけちまうんだ。それがいいよ。ね。それがいいよ。さあ、石ノ上! (先に立って、左の方へどんどん行く)
文麻呂 (呆気《あっけ》にとられたように聞いていたが、渋々と立上り)……そりゃ、君がその方がいいと云うんなら、それでもいいさ。この辺の地理的な状況はそりゃ君の方がずっと詳《くわ》しいんだし………
清原 (どんどん早足で行きながら)さあ、早く、早く! 早くしたまえ! 石ノ上! 早くしないともう大納言様が来て
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