。手前ども老人は、得てして自分達の過去の過ちを棚に上げて、すぐむきになって若い人達を非難する悪い癖がございます。……あれは悪い癖でございます。
綾麻呂 どんな女子なのだ? え? 衛門。……それはどんな女子なのだ?
衛門 ………
綾麻呂 言ってくれ。……儂《わし》は決してあれを非難しようなどと思っておらん。……ただ、父親としてそれを知っておいた方がいいと思うのだ。
[#ここから2字下げ]
間――
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
衛門 それでは、旦那様。手前、存じているだけのことは申し上げてしまいますが、文麻呂様は御自身でもかたく口をつぐんでおられますので、詳《くわ》しいことは手前とても皆目《かいもく》存じませぬ。……とにかく、これは旦那様の胸の内にだけそっと[#「そっと」に傍点]たたんでおいて下さりますようにお願い致しますぞ。……(声を低めて、静かに語り出す)実は、文麻呂様の心を惑《まど》わしたのは、年若な賤《いや》しい田舎娘《いなかむすめ》なのでございます。讃岐《さぬき》ノ造麻呂《みやつこまろ》と言う竹籠《たけかご》作りの爺《じい》の娘で、これが大変な器量よしで評判でございました。手前、その造麻呂という爺とは、ちょっと知り合っておりました関係上、その娘にも幾度か逢ったことがございますが、文麻呂様が夢中になるのももっともなほど、身分に似合わず、素直で、仲々見所のある娘でございます。ところが、その娘に、旦那様、人もあろうにあの大伴《おおとも》の大納言様が眼をつけましてな、例の手管《てくだ》で物にしようとなさっているのが分ったのでございます。さあ、文麻呂様がそれを聞いて、黙ってはおられません。大納言様の道ならぬ色恋沙汰を世間に振りまいて、これを機会に思い切り懲《こ》らしめてやろうと、そう決心なさったものでございます。手前は実はちょうど、家内と一緒になる積りでおりましたもので、それから間もなく瓜生《うりゅう》の山へ帰ってしまいました。そう云うわけで、その後のことは少しも存じませんでしたが、そうこうする内に、今度は文麻呂様御自身がすっかりその娘の恋の虜《とりこ》になってしまわれたらしいのです。烈《はげ》しい「恋」に気も狂わんばかりになられたとか、これは人から聞いた噂《うわさ》でございました。手前、そう云う噂をさるところから、ふと、耳にし
前へ 次へ
全101ページ中91ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
加藤 道夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング