早く見とうござります。
綾麻呂 いや何も別にお前には見せないと云うわけではない。ただあの不甲斐《ふがい》ない息子が一時も早く迷いの夢から覚めてくれれば、と思っているのだ。あの崇厳な不尽《ふじ》ヶ|嶺《ね》の姿をみれば、少しは気持が落着いてくれるだろう。……全く、あいつは不甲斐のない男になってしまったものだ。
衛門 まあ、旦那様。そっとしておいておやりなさいまし。……お若い方の気持はもう私どもには分りませぬ。
綾麻呂 衛門。……お前は文麻呂のことになると何だか妙に偉そうに肩を持つようだが、あれのことについて何かもっと他《ほか》に儂にかくしているようなことはないのかい? ただ、親しい友達と仲違《なかたが》いをした位であんなになってしまうとは儂にはとても考えられんのだよ。あれは以前はもっと陽気な奴じゃった。口泡を飛ばして儂などとも盛んに議論をしたりしたものだ。……それが、どうしたわけか、あんな無口の偏屈者になって儂の所にやって来よった。お前は、なに神経衰弱です、などと簡単に片附けるが、儂はそんな生やさしいものではないように思う。儂はどうも心配でならんのだよ。あのままでは、到底、この東の国の厳しい生活には耐えて行けん、……先が思いやられる。あれでは本当に困るのだ。
衛門 旦那様。御心配なさいますな。まあ、しばらくの間、あのままそっとしておいておやりなさいまし。あの方の過去については決して御詮索《ごせんさく》なさいますな。……たとえ何か過《あやま》ちがございましたにしても、若い時代の過ちは許して上げなければいけませぬ。若い頃には人間は誰にも必ずひとつやふたつの過ちはあるもんではございませんかな?……手前にもございました。旦那様にもそう云う過ちがなかったとはおっしゃいますまい?
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間――
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綾麻呂 (はたと思い当り)女子《おなご》か?
衛門 ………
綾麻呂 衛門!……女子のことを云うとるのだな?
衛門 ………
綾麻呂 そうなのだな? え? 衛門!
衛門 言い当てられました。
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間――
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綾麻呂 む。……そうだったのか。
衛門 旦那様。しかし、さようなことで文麻呂様を決して非難なされてはいけませぬぞ
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