お分りかな? なよたけを夢と云うなれば、この儂も夢なのじゃ。今ではこうしてこの竹の里で、儂自身が夢になってしもうたような気がする……現《おつつ》の影はみな遠い昔の夢のように儂の心から薄れて行ったのじゃ。……物皆が儂の心から次第に喪《うしな》われて行く。……儂があれほど愛しておったなよたけのかぐやまでが、儂の心からだんだんと離れて行くのじゃ。……儂はあれを無明《むみょう》の中に喪うてしまいたくはない。お若い方、現そ身の人なれば、儂に代ってかぐやを信じて下され。後の世々までも儂の夢を伝えて下され。あれはもはや儂には遠く過ぎ去った前世の夢なのじゃ。儂に代ってあの美しい夢を夢みて下され。……あれは儂等には分らぬ天の声まで耳ざとく聴き分ける娘じゃ。あれが雨が降る、と云えば立ちどころに雨が降って来る。風が吹くと云えば、立ちどころに風が吹いて来る。あれは天女なのじゃ。月の都からこの世に送られてきた天女なのじゃ。なよたけを愛するとなればこの儂の話を信じて下さらねばなりませぬぞ。あれを人の世の女として愛してはなりませぬぞ。あれはいつの日にか月の都へ帰らねばなりませぬのじゃ。人の世のなべてのものに望みを失った時、天人達はあれを月の都に呼び戻すのじゃ。……それは、もち月のかがやく美しい夜じゃ。天人達は、空を飛ぶ月の車に乗ってこの現し世に舞い下りて来るのじゃ。天の羽衣《はごろも》を持ってこの現し世に舞い下りて来るのじゃ。
文麻呂 お爺さん!

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 合唱

げにうつし世は 夢ならむ
げにうつし世は 夢ならむ
何事もみな 思い出の
伝えは遠き 竹の里の
いつの名残りをとどめてや
いつの名残りをとどめてや
これやこの 遥けくも古りにし伝え
跡や残るらむ 跡や残るらむ
聞えは朽ちぬ世語りの
なよ竹山に翁《おきな》ありけり
なよ竹取の翁ありけり
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竹取翁 (合唱にかぶせて)おう、今日もまた夕日が西の方《かた》に沈んで行く。……(静かに西の方を仰ぎ)御覧《ごらん》なされ。今日もまた夕日が西の方に沈んで行くのじゃ。……いつものように暗い夜がやって来る。……儂はいつかしらず深い眠りの中にいる。……そして、いつかしらず儂はまたさやかな陽の光のもとに目覚めているのじゃ。……この夢とも現《おつつ》とも知れぬ限りない時の
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