でおみ》、同じように横笛を片手に、丘の向側からつと[#「つと」に傍点]文麻呂の背後に現れた。
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清原 石ノ上ノ文麻呂ではないか?
文麻呂 (びくんとして振向き)なんだ、清原。………君だったのか?
清原 大学寮学生、清原ノ秀臣。………僕だ。
文麻呂 一ヶ月前だったらこの僕も同じ「名乗り」を堂々と名乗り返せたのになあ。……残念ながら、今では、別曹《べっそう》、修学院学生、石ノ上ノ文麻呂……か。
清原 おい、石ノ上。そのことだけはいつまでもそうくよくよ気に掛けるのは止めてもらおうじゃないか。学校がどうのこうのと云ったって、正しい文《ふみ》の道はただ一つさ。小野ノ連《むらじ》にしろ、この僕にしろ、君とは一生を誓い合った同志じゃないか。その繰言《くりごと》だけはもういい加減に止めたまえ。………ところで石ノ上。お父様は? もう発《た》たれたの?
文麻呂 ああ、いまさっき。………ここで別れたところなんだ。何だか、今夜中に三井寺《みいでら》を過ぎて、滋賀《しが》の里までは是《ぜ》が非《ひ》でも辿《たど》り着くんだなんて、とても張り切ってたよ。
清原 そりゃ大変だな。殊《こと》に夜道になると逢坂山《おうさかやま》を越えるのは一苦労だぜ。……でも、何だってよりによって夕方なぞにお発ちになろうなんてお考えになったのかな。
文麻呂 人目を忍ぶ旅衣《たびごろも》と云う奴さ。でも、親父《おやじ》、あれで内心東国にはとても抱負があるらしいんだ。まあ、別れる時は割合に二人共さっぱりしてて、気が楽だったよ。山科《やましな》の里まで行けば、供奉《ぐぶ》の者がたくさん待っているそうだから……
清原 そうか。それなら安心だ。……いや、実は、妙《みょう》な所で君に逢ったんで、びっくりしちゃってね。
文麻呂 僕もびっくりした。こんな処《ところ》にまさか君が来ようとは思わなかったからな。僕は君をこだまと間違えてしまった。………
清原 え?
文麻呂 こだまさ。例えば、そら、向うの竹山から春風に乗って反響して来るこだまと間違えたのだよ。竹の精と間違えてしまったのさ。
清原 竹の精?
文麻呂 うん。ま、竹の精とでも云うんだろうな。何だか、そんなものがこの辺なら現れそうな気持がしたんだ。この丘へ登ってみたのは、実は僕は今日が初めてなんだがね。とにかく
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