さあ みなさん! 今のうちに早くこの火星《くわせい》からお逃《に》げなさい


またガラスの病院《びやうゐん》をかぶせられてしまふのはいやだい
すぐ天|文台《もんだい》に行くのです 早く 早く! そしてロケットでお逃げなさい


看護婦《かんごふ》さん ありがたう
さあみんな続《つゞ》け!
早く! 早くしないと追《おつ》手がきます


なにをしてゐるのさ ピチクン トマトなんかむしつたりして のんきだわね
いや ロケットに食糧《しよくれう》を積《つ》みこまなければ!
抜《ぬ》けめがないな


走れ 走れ
地|球《きう》行きのロケットは 格納庫《かくなふこ》の一ばん右はじです
ありがたう!


さうだ! わたし看護婦さんにリボンもらつたんだけれど お別《わか》れの記念《きねん》にあげるものないわ
ぢや これをあげりやいい


ほんとにいいことを思ひついてくれたわ
これあげるわ 服《ふく》のボタンだけれど
まあ! きれいだことありがたう ではさやうなら


さあ 天|文台《もんだい》がすぐだよ
走れ 走れ!


さあ 着《つ》いたぞ!
これが格納庫《かくなふこ》だ
どこから入りませう


格納庫の天|窓《まど》から入らう

よしつ!
それがいいわ


みんな 風に吹き飛《と》ばされないやうに気をつけるんだよ


みんな 気をつけるんだぞ
危《あぶな》い 危い
あッ! ここから入れるぞ


やあ ずゐぶんロケットがならべてあるな
うわあ! 驚《おど》ろいた 地|球《きう》行きはどれだらう
あんまり沢山《たくさん》あるからわからないわ


格納庫《かくなふこ》の右|端《はし》だと教《をし》へてくれたよ
これは金|星《せい》行きのロケットだわ
あつたあつた! これだこれだ!


さあ、早くのりこまう
だつて広場《ひろば》にロケットを引き出さなければね
かまふものか このまゝ発射《はつしや》して屋根《やね》を突抜《つきぬ》いてしまふんだ


テン太郎さん あんたロケット操縦《さうじう》できて
僕《ぼく》 知らないや
ぢや 駄目《だめ》だ


大|丈夫《ぢやうぶ》だよ そこらへんのボタンをみんな押《お》してみるんだよ
僕 ハンドルをみんな動かしてみる
それがいい それがいい


なんだらう ここに革帯《かはおび》がついてゐる
わかつた それで体《からだ》をしばるんだわ


しめた! 動きだした!
(ブルンブルン シュシュシュ)


(ヅドン)
すごいぞ!
わッ! ロケットが屋根《やね》を突《つ》きぬけた!
すごいぞ!


そこの丸窓《まるまど》からのぞいてごらん
あら! 看護婦《かんごふ》さんが見|送《おく》つてゐるわ
看護婦さーん


さらば火星《くわせい》よ!


もうどの位《くらゐ》飛《と》んだかしら
出発《しゆつぱつ》してから一|分《ぷん》五|秒《べう》!
早さはどの位?
おゝ ものすごい! 一|時間《じかん》七|千《せん》キロメートルの早さだ※[#感嘆符二つ、1−8−75]


どうしたの?
あれえ? 変《へん》だぞ 早く舵《かぢ》をさがしてくれ
舵はどれかしら


どうも見当《けんたう》がちがつた 地|球《きう》ぢやない 月に向つて走つてゐるらしいんだ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
えッ! 月に向つて?
大|変《へん》だわ どうしやう


やあ月だ※[#感嘆符二つ、1−8−75]


これは大|変《へん》※[#感嘆符二つ、1−8−75]
月なんかに着《つ》いたら困《こま》つてしまふぞ


あッ これが舵《かぢ》らしいよ
早くロケットを 地|球《きう》に向けなければ※[#感嘆符二つ、1−8−75]


やあ どうやらこんどは地球に向つてゐるらしい


やれやれ やつと安心《あんしん》した
ほんとに心|配《ぱい》してしまつた


おや? なんだか見たやうな街《まち》に着《つ》きさうだなあ……


あれあれ? 大変だ! 火星《くわせい》に舞《ま》ひもどつてきたわ


さあ困つた! どうしたんだらう
あゝ 汗《あせ》びつしよりだ


あれ? わかつた! ピチクン あんた変《へん》なボタンを踏《ふ》みつけてゐるわ
あッ! これはいけない
やあ 成功《せいこう》! 成功※[#感嘆符二つ、1−8−75]


まつすぐに地|球《きう》へ向つたらしい


ニャンちやん 右のハンドルをまはしてくれ
ピチクン そこのボタンをおしてみてくれ
やれ いそがしい


(ピピ ピピ ゲロンゲロン)
(ダダダダ)
(しゆしゆ)
ゲロン ゲロンだつてさ おかしい音だわね ホホ


おお 地|球《きう》が近づいてきたぞ


あの光つたところは 太|平洋《へいやう》らしいね
テン太郎さん 海の中へ落さないやうにたのみますよ


テン太郎さん トマト一つたべません
トマトどころぢやないよ ロケットが故障《こしやう》かもしれないんだ
(ピピ ピピ)


あれ ニャンちやん トマトをまた種《たね》ごと喰《た》べちやつた
いいわよ トマトが生へたら地球のお医者《ゐしや》さんに治《なほ》してもらふから
のん気な連中《れんぢゆう》だな どうもロケットがおかしいぞ
(ゲロン ゲロン)


(ゲロンゲロンゲロンゲロ)
またゲロンゲロンが始《はじ》まつたわ
やッ※[#感嘆符二つ、1−8−75] 大|変《へん》だ! ロケットが故障《こしやう》だ!
早く早く パラシュートの用|意《い》だ!
(ピピィピィピィ)


どうするのよ
パラシュートを体《からだ》につけるんだ
扉《とびら》を開《あ》けたら外《そと》に飛《と》び出す用意!


(ゲロン ゲロン ダダ プップッ)
やあ大変※[#感嘆符二つ、1−8−75] 横《よこ》ふりだ※[#感嘆符二つ、1−8−75]


(ババン)
うわーい 破裂《はれつ》したい


ニャンちやん ニャンちやん
おや気|絶《ぜつ》してゐる


よし 一つ活《くわつ》を入れてやれ
(ポン)
ウーム……


あ! わたし達《たち》助かつたわ


(ブツン)
あッ!


墜落《つゐらく》だ


痛《いた》いッ


あれッ? ここはどこだ?


あれッ 君達はどうしてたの?……
テン太郎さん 寝台《しんだい》から落つこちたりして
きつとねぼけたんだよ


あゝ助かつた 夢《ゆめ》でよかつた
夢をみたんだよ
わたし達びつくりしたわ


僕《ぼく》 君|達《たち》と火星《くわせい》へ行つた夢《ゆめ》をみたんだよ
だつて僕はなんにもみない
わたしだつて 何にもみやしないわ つまらないわね
[#改ページ]

テン太郎《たらう》の報告《はうこく》


お父《とう》さん 僕ゆふべ火星へ行つた夢をみました
それはよかつた わしも見たかつたな


ピチクンも ニャンちやんも いつしよでした
わたし そんな夢 みないわ
僕ゆふべの夢はつまらなかつたの
ははゝゝ 大|勢《ぜい》で同《おな》じ夢をみるわけにはいかないよ


火星《くわせい》には天|文台《もんだい》もありました そこの所長《しよちやう》さんがお父《とう》さんを知つてゐました
エッ? わしを火星で知つてゐたか?


エヘン! オホン
さうぢやらう そこでわしの研究《けんきう》を火星で知つてゐたかね
ええ 何にもかもみな知つてゐました


月|野《の》博士《はかせ》とお父さんと髯《ひげ》の引《ひ》つぱり合ひをしたのも
えッ? それはまたどうして? ……
(フフ)
(クスクス)


火星では 高い大きなビルデングのやうな望遠鏡《ばうゑんきやう》で 地|球《きう》の出来ごとをみてゐるのです
ナニ?
そんなばかげたことがあつてたまるものか


だつてお父さん ほんとにあつたんです
そんな馬鹿《ばか》なことはない!
まあ貴方《あなた》 それはテン太郎の夢《ゆめ》の話ぢやありませんか


僕《ぼく》 夢でほんとにみたんですよ
ほい 失敗《しま》つた! 本気に腹《はら》をたてたか ははゝゝ


さあさあ 朝ご飯《はん》の仕度《したく》ができました
しかしね テン太郎
地|球《きう》から火星《くわせい》を見るのに大|望遠鏡《ばうゑんきやう》がいるとはかぎらん
小さな望遠鏡でもいいんですか


さうぢや 鏡径《さしわたし》八インチか十インチもあれば沢山《たくさん》ぢや
望遠鏡の大きさより大|切《せつ》なことがある
それはなんです


それを天|文学者《もんがくしや》は『グット・シーイング』といつてゐるんだ
これは専門語《せんもんご》[#「専門語」は底本では「専問語」]だよ
グット シーイング
グット シーイング


グット シーイング 僕《ぼく》は天文学の専門語[#「専門語」は底本では「専問語」]を覚《おぼ》えてしまつたぞ エヘン!
おやムヅカシイことを言つてテン太郎 それは一|体《たい》なんのことですか
あれ まだ聞いてゐなかつた


ははゝゝそれはね 天|体《たい》を見るには機械《きかい》にばかり頼《たよ》らないで『見るのに具《ぐ》合ひのいい調子《てうし》』にしておくことだよ
あゝ わかつた 高い山のてつぺんに天文台をつくるとか


さうだ、しかしいくら高い山へ建《た》てても雲が多《おほ》いとこぢや駄《だ》目だ
さうですね 高くて雲がなくて


さうだ 地球の上の雲はぢやまになる しかし火星の雲を見るのは これは仕事《しごと》だよ
むづかしいんですねえ…


テン太郎 火星《くわせい》に人|間《げん》がゐたか
ゐましたよ 頭《あたま》の大きいのと小さいのと
あらー いつてみたいわねえ
ホヽヽ 面《おも》白いところねえ


気に喰《く》わん 生物《いきもの》が居《ゐ》るはづがない 空《くう》気が薄《うす》くて住めんはづぢや
あれ、またお父《とう》さんが テン太郎の夢《ゆめ》の話で憤慨《ふんがい》してゐますよ


あ また失敗《しつぱい》した


それから僕《ぼく》は 体《からだ》がとても軽《かる》くなつて 空を自|由《いう》にとびまはりました
あらー あたし いつてみたいわ
だめだい テン太郎さんの夢の中へ行けるかい


火星の表面《へうめん》は地|球《きう》の引力《いんりよく》の五|分《ぶん》ノ二しかない だから人は地球にゐるときより二|倍《ばい》半は高く飛《と》べるが しかし、それ以上《いじやう》高くは飛べるはずがないのぢや
なあーんだ それつぽつち[#「それつぽつち」は底本では「それつぱつち」]ぢやつまらない
お父さん 僕それから市長《しちやう》にあひました 街《まち》の名まへはミルチス・マヂョル市といひました


(えつ! ミルチス・マヂョル?)
あつ! 危《あぶな》い! お父さん
博士《はかせ》が目をまはした
どうなさいました 貴方《あなた》!


お父《とう》さん しつかりして下さい
まあ お行儀《ぎやうぎ》が悪《わる》い
いや 驚《おど》ろいたよ
あゝ びつくりした


テン太郎 お前の行つた街《まち》がミルチス・マヂョルといつたかね
ほんとうですよ
なんですか そのミルチス・マヂョルといふのは貴方《あなた》


わしは驚ろいたよ お前の夢《ゆめ》の話の中でそれだけは真当《ほんたう》のことだよ
エ? お父さん ほんとにあるんですか
まあ 火星《くわせい》にさういふところがあるのですか


火星の街の名前ではないが 別《べつ》に地|球《きう》の学者《がくしや》がつけた運河《うんが》の名前にたしかにあるよ
どうしてテン太郎がそれを夢にみたでせう


たしか ミルチス・マジョルといふのもあれば 運河にはネクタル・アガトドエモンとか ハデスとか みんな名前が[#「名前が」は底本では「名前か」]つけてある
それぢや 火星の地図《ちづ》がちやんとできてゐるんだなあ


それにしてもお前が夢でミルチス・マジョルをみるとは どうも不思議《ふしぎ》だ
ほんとにふしぎだわ

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