作品に誰かが加筆したものとしたら、日本犯罪史に新しい一頁を加へるところの新犯罪人の出現です、芸術犯とも呼びませうか、それともそれは私の直感の誤りであり、単なる白昼夢であつたとしたらむしろ日本の芸術家のために喜びとします、しかし事実であつた場合には、文展は既に芸術の聖殿ではなく、欺瞞的な手品師の小屋と何等変りがないでせう、問題は『三人の女』の内一人の寝てゐる女の股の線が消えてなくなつてゐるといふことです、単なる一本の線ではありますが、問題は単純ではないでせう、公衆の面前でこの詐術的方法がゆるされるものでせうか、誰がその責任を負ふべきでせう、一切の問題を白紙にかへしても、橋本明治氏よ――貴方は私一人をこのやうな公開状を書かせるほどに、錯誤を与へたことだけは、確かです、数万の観衆、それから文部当局、審査諸君、画家諸君、新聞、美術雑誌記者、美術批評家諸君、それから作者である橋本氏その人、これらの多数の人々が、描かれてあつた線が、いつの間にか、何者かによつて胡粉で塗りこくられ、ぼかされてあつても知らず、たつた一人私がそれを知つてゐたとしたら、こんな快事はまたとありますまい、然しこれは問題の性質上私の所有とすべき快業でもないでせう、私は或はこの公開状のうちで言ひすぎた部分があるかもしれません、しかし私としてはこれ以上穏やかな貴方に対しての言ひ方は知らないのです、最初で言明してをりますやうに、私は私信的な形式で貴方に対して公開状の形でこれを書くことの穏当さと、同時にこの公開状には、貴方から返答を貰はうなどといふ強制的な意味を少しも含ませてゐないといふことを誤解しないでいただきたい、同時にこの文章は単なる社会に対する問題の最初の提出といふ、最小の目的が果せればこれを書いた目的が完了するのです、橋本氏よ、幸ひに君にして私の公開状を誤解なく、君の芸術家として高邁な精神と、あくまで真実と公平との立場から読まれんことを希望したい。(十一月四日)
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大観とユトリロ


 横山大観氏の「海と山に因んだ」二十点の個人展を見た。見た――といふよりも、正しくは見る機会を得た、といふべきだらう。都会生活者は、機会でもなければ、絵の展覧会を見るといふことは至つて少ない。誰それの展覧会を、今開催してゐるから行つて見ようなどといふ場合は、まつたくの有閑人か、招待状を貰つて出かけなければ義理が悪いか、批評家とか、職業的に美術に関係してゐる人とか、展覧会を見るといふ自発性は多忙な都会生活者にとつては全くないといつてもよい。百貨店で展覧会を開くようになつてから、買物の序でに見るといふ大衆が多くなつた。それは非常に良いことに違ひない。私は大観氏の個展をデパートで買物の序でに見て、それから帰宅してから、友人三人に速達を書いて出した。君は出不精だから個展などを見るやうなことも少ないだらうが、いま開いてゐる大観の個展は是非見てをくことをお奨めするといふ文面の葉書を出した。
 大観の「海と山に因んだ個展」は、これを知らずに見遁した人は格別として、開いてゐることを知つてゐて特別の事情もないのに見遁した人があつたとしたら、ちよつと悔恨ものだらうと思ふ。私はここでこの文章を書きたい心といふのは、大観に対する特別な蔑視感をもつてゐる人が少なくないといふことを思つて、一つの正統さをこの人々に求めたい気持なのである。「ああ、大観か」さうした鼻の先で笑ふ人々が少なくない。君はいつたい大観の作品を何枚見てゐるか――、出来の悪いのを選んでみてはゐないかといつてやりたい。案外に見てゐないのである。怖ろしいのは大観そのものの人間的な動きであり、画壇といふ政治的集団の、人為を超えた、力学的な働きが、大観の政治的人物である面だけを社会に訴へて、芸術家としての大観を直接に伝へてゐないといふことだ。私は大観の「海に因んだ作品」をみてゐて、ふつと仏蘭西の画家ユトリロを想ひ起した。大観とユトリロとどんな連絡があるだらう。今から数年ももつと前であつたらう、福島コレクションでみた展覧会で見たユトリロは、その作品の制作方法の精神的段階が、あまりに日本的であつたので、私は吃驚《びっく》りしたことがある。しつとりとしたやり方なのである。日本の洋画家が、投げつけるやうに油絵をぬつたくる方法とは、まるでちがつてゐた。大観の「海」はユトリロの風景とその方法の上に共通点がたしかにある。ユトリロのその絵といふのは河を隔てて見える三階建程の建物で、コンミニストの本部を描いたものだといふ。大観は一枚二万五千円、二十枚合計五十万円を陸海軍へ献金するための制作であつたが、かうした大観の政治性と、芸術家としての大観の芸術性とを一応分離して考へてみたい。大観を単なる海山の風景画家としてだけ見て行きたい。ユトリロはコンミニストの本部を描いたことを、大観が海山の風景を描き、その売上げを聖戦の資に献じたといふこととをいまここに論じようといふのではない。不思議なことには、ユトリロの油絵の方法と、大観の日本画の方法とがまことに良く似てゐたといふことを、問題として採りあげてみたいと思ふのである。
 この二人の作家は国籍が異なるが、精神的な綿密な、また心理の段階を、手段化、方法化してゐるやり方は二人ともよく似てゐる。日本の洋画家の粗雑な油絵の具の扱ひ方の乱暴極まるものを許り見馴れてゐる私にとつては、ユトリロがおツユたつぷりで、それを根気よく重ねてゐる、柔らかい作品をみて、これこそ真個《ほんと》うの油絵で、日本の洋画家は油絵を描くどころか、油絵といふ材料を満足に使ひこなせてゐないのだと痛感したものであつた。
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時局と日本画
    ――横山大観の場合


 事変は芸術各部門にそれ/″\の衝撃を与へた、日本画壇においても、そのショックを免れるわけにはいかなかつた、先づ明瞭な現れとして戦時インフレイションのお蔭で、近来珍しく日本画が売れ、その価格も突拍子もない高価な取引が行はれた、然しすべての日本画家がその作品が売れるわけではない、矢張り少数の「選ばれた者」だけで、依然として物質的不遇な作家は多いわけだ、ただ事変下において、日本画もまた完全に商品化の路を辿つたといふことである、従つて制作を刺戟されて、作品が大量に描かれ展覧会も頻りに行はれ、有名無名に拘らず、この制作刺戟の恩恵にだけは浴したわけである、その機会を唯一のものとして、まるで株の売買のやうに、自分の作品を売りに出す一方の作家もある、この種の作家は乱作してゐる、制作刺戟を唯一の勉強時とばかり、良心的な研究作品を発表してゐる作家もある、斯ういふ時期には、また画壇でも政治的工作の多い時であるから、絵もろくに描かずにその方面に心を使つてゐる作家もある。
 最近の日本画壇の一問題としては、横山大観の個展であらう、海と山とに因む二十点の作品は一枚二万五千円宛に、計五十万円に売れ、陸海軍に分割して、寄附した、まことに彩管報国を実践したわけである、この作品展は事変下の制作刺戟をもつとも有効に、芸術的情熱と、政治的意義とを捉へることに、ふりむけて成功したものといふことができるだらう、芸術ヂャーナリズムはこゝへ来て大観号を出して、大観礼讃をするらしい、しかしこれらの美術ヂャーナリズムは多分に追従的であるから大観の正統さを礼讃をするよりも、その五十万円の赤誠を礼讃することに尽きるであらう、二十枚五十万円に売れたといふことは価格的には少しも驚ろくには当らない、画家の作品の金額への換算が、せいぜい一枚二万五千円か三万円だとすれば情けない話である、殊に芸術作品の価値が、金銭価格に換へられない純粋な存在であることを思へば尚更二万五千円は安い売り方だといへる、この金額に驚ろいていゝのは、一文にもならない売れない絵を描いてゐる画家を標準とした場合だけである。
 大観は価格として五十万円の赤誠を示した、美術、文学の世界を通じて、これはまた最高の価格的赤誠の現れである、しかしそのことを軽忽には採りあげられない、美術ヂャーナリズムが軽忽に大観礼讃を行つたらおかしなものである。
 美術家の中でも従軍して上海で死んでゐる人までゐる、この人の赤誠はいつたい金額にして何程に換算していゝだらうか、文学者の中でも不健康をひきずつて戦蹟慰問や第一線慰問をしてゐる人もある、畳の上に坐つて大観が描いた絵が一枚二万円に売れ、戦地の泥土の中にしやがんで描いた従軍画家の絵が十円に売れたといふことに就いて、これは価格の差を論じてはいゝが、赤誠の差はうかつに論じられない、大観もまたその無名従軍画家も、赤誠において純粋であつたといふことは均しいからである。一枚二万五千円で買ふ人が存在するのである、この人はそれを買つたために破産するわけはないのである。
 世の中には芸術の値打を、そのまゝに理解できない人がゐる、それを金銭に換へて始めてわかる人がゐる、「良い絵がないか」と画家のところへやつてこないで「高価な絵がないか――」といつてやつて来る購買者がゐる、百貨店のお客の中でも、一本の帯を買ふにも、値段の最低のところから、漸次高い値段のものに選びすゝめてゆく客と、もう一種類の客は、まづその店の最高の価格のものへ目標をたててそこで選んでゆく客がある、資本主義の世の中では、価格の高いものほど優良なものといふことになつてゐる、夏蜜柑は酸つぱいものをクーといつて嫌ふ人があるとすれば、それは夏蜜柑を一個、五銭か十銭のものより買つたことがないからである、一個十五銭も、十六銭ものいちばん高いものを買へば、夏蜜柑もなかなか甘いものである、ただ芸術哲学などといふ精神的分野に於いてだけ、価格とそのものゝ質とが必ずしも同一ではない、いまこゝに千万円の金額を積んでも、一哲学学生の考へ方を訂正させることが不可能な場合があるのである。
 横山大観の赤誠礼讃はいゝが美術ヂャーナリズムが大観の芸術の正統な理解を同時にしなければ無意味であらうと思ふ、大観の何処が偉いのだらうといふ、大観再認識を行ふ必要がある、五十万円の情熱は容易に理解できよう、しかし大観の芸術の理解はそれほど容易ではあるまい、大観の偉さといふのは、筆者に言はせれば、彼が日本画の伝統と運命を共にしてゆくといふ態度の偉大さだと思ふ、そのことを彼のために理解してやらないのは可哀さうだ、政治的大観、画策的大観、主将的大観さういふ印象を一般人にふかく印象づけられてゐて、作品的大観はこれらの通俗的なものに掩はれてゐる、今度とにかく二十点といふまとまつた作品の展観に接することが出来たといふことは、大観の作品論をするに絶好の機会なわけだ、大観の今回の個展は最初美術ヂャーナリズムはまことに冷淡であつたのである、ところが大観個展をみた一般大衆が、その作品の佳さの正統な騒ぎ方をした。私の知つてゐるかぎりでも一家族揃つて見に行つて感心してきた人もこそあるが、大衆が騒ぎだして美術ヂャーナリズムが慌てゝ追従始[#「従始」に「ママ」の注記]めたと見ても過言ではない。
 日本画と運命を共にしてゆくといふ作家は横山大観であるが、彼の場合はその伝統的諸形式に対する精神的圧力の加へかた、その形式の新しい手段への換置など、なみなみならぬ苦心が払はれてゐる点を見落すことができないだらう。
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問題の日本画家


    堅山南風小論

○…日本画家のことごとくが、不勉強だといふわけではない、しかし日本画壇のうちで、誰が勉強家だといつて、堅山南風の右に出づるものはあるまい、従つて彼の作品に、多少優等生的なところがある、相当に思ひきつた描き方をやつてのけるが、結局カチンと全体をまとめてしまつて、自ら動きのとれないものにしてゐるのは残念だ
○…彼こそ徹底した技術主義者だらう、だから、細かい部分になど特別な工夫が凝らされてゐて、画学生が南風の絵の前で、うんうんうなりながら彼のテクニックに感心して見入つてゐる会場風景などをよく見かける
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