日本風物人情を描く画家を言ふ』その画家を何と呼んでゐるか『洋画家』と叫んでゐるのである。
 読者諸君はこゝで何かしら、変な気持に捉はれないであらうか、それは日本人であつて、日本の風物人情を描いてゐるに拘はらず、その描写の方法、絵具材料が西洋から移入されたものであるといふ理由だけで、いつたい何時まで「洋画家」などといふに[#「に」に「ママ」の注記]日本的な呼び方をつづけるのであらうかといふ疑問が起る。
 油絵画家ならまだ使用の材料の分類から抽き出された呼び名であるから肯定できるが、西洋からの材料を使つてゐるといふだけでいつまでも「洋画家」と呼ぶのはそれは一種の差別待遇であらう。
 然もその呼び方の矛盾やおかしさは、将来益々拡大するであらう、院展を見ても、洋画的な材料、一口で言つて近代的な材料を扱つたものはどちらも出来が悪い、青龍展でも銀座舗道的なモダニスト画家は、日本画材料を扱ひかねてゐる、日本画材料をこなすことができないのである、もつと突込んだ言ひ方をすれば、さうした題材を描くのに日本画材料を使ふ場合には、材料そのものが画家の言ふことをきいてくれないとも言へる日本画の伝来的な絵具材料は、日本の風俗人情に、幾代もの画家が永い間接触して、日本の自然を描くにはこれが適当だと、割り出された材料なのである。

 その答は結論的で固定的ではあるが、その固定的なことが決して封建的な非道学的不理由にはならない、日本の洋画家からやうやく洋画材料で「竹」を描いた作家島崎鶏二氏がたつた一人出たばかりである、しかし竹は昔から日本にあつたし現在もある。
 しかも日本画家の日本画材料を使ふときは、島崎氏が苦心を払ふことよりも幾多の合理的な立場から日本絵具を使つた場合、もつと手軽に竹の本質に接近できるのである、そこに問題が隠されてゐるのである、私はその意味から現在の日本画家の制作上の悩みを、頭から否定的に考へるわけにはいかないのである。[#底本では「。」が欠如]
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橋本明治氏に与へる公開状
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問題の『三人の女』が会期中に加筆されてゐることに就て
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 橋本明治氏よ――私は公開状といふかういふ形式で文章を書いたのが、こんどが始めてなのです、意志表現の形式としてはあまり完全なものでもないやうです、また貴方としても、突然何の前触れもなしで、私から公開状の形式で呼びかけられるといふことは決して良い気持のものではありますまい、しかし私はいろいろと熟考した結果貴方個人に宛てゝ、この形式で書くことが、もつとも穏当のやうにも、また現在のところこれがさまざまな表現の形式のうちで、最良のもののやうに考へましたので、この公開状を書いてゐるのです、これを公開状形式にしたことに就いては、問題を貴方対私といふ対個人関係から、出発させようとしてゐるからです、公開状といふ公衆性をもたせましたのは、この問題が、決して私信に停まるべき性質のものであつていけないと考へたからです、一つの社会問題として批判を仰ぎたいといふ目的からです、
 この公開状は場合に依つては、問題が思ひがけなく拡大する性質を帯びてゐると思ひます、またその反対に、小熊秀雄と称する詩人で評論家である一私人の単なる妄想として、一笑に附されてしまふかもしれません、私はむしろ後者として、私の一妄想として、問題が縮小され、雲散してしまふことを望みます――但しそれは全くさうした事実がなく、真個《ほんと》うに私が精神病患者であつた場合の帰結であり解決であります、もし私の見解が正当であり、私が妄想患者でなかつた場合には、問題は社会正義の問題として保留されるでせう、
 一つの事実が、正しいか、不正であるかといふことに就いてその事実の性質が、個人性を帯びたものと、社会性を帯びたものと二種類あるでせう、後者の社会性を帯びたものは、あらゆる場合に於いて、正邪を明瞭にしてをくといふ、人間的義務を生ずるでせう、私はこの公開状発表によつて、まづ人間的義務を果さうとしてゐるのです、つまり『問題の提出』といふ最小限度の義務を果してゐるのです。貴方が私のこの公開状を読んでも、何等人間的な義務を感じにならない場合には、この公開状を黙殺なさることもまた貴方の自由です。
 さて私がこの公開状を書くようになつた事情を語りませう、橋本明治氏よ――貴方は小熊といふ人物を御存知の筈です、それはたつた一度ですが、私は貴方のお宅をお訪ねして、貴方と色々とお話ししましたから、私は貴方の人柄風格も知り、また作品も系統的に調べてもみました、そして貴方の作品の支持者でもあるのです、また将来もさうでせう、さういふ意味からも、こゝでこの公開状を書かないでは気が済まないといふショックも、今回うけたわけです、昭和十四年十月十四日の『日刊美術通信』の記事を見ますと、西山主任との「一問一答」といふ題で、同社の記者と文展日本画主任の西山翠嶂氏との一問一答記事が掲載されてをります。

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 発表のため美術記者連盟の控室に姿を見せた西山主任に対して記者達は突込んだ質問を試みたが一問一答は次の通りであつた
 記者――昨年の特選橋本明治、奥田元栄が落選に瀕したといふことだがそれに就いて聞きたい
 西山――橋本君の作品は出来栄え問題でなく研究的態度につき審査員会に是非の論があつたが結局入選した、奥田君のは種々の意見が出て最後まで残つたが採決の結果、票数が足らず落選することになつた――(以上美術通信記事より)
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 この記事を読んだとき、貴方の本年度文展作品に就いて、まだ見ない間から私は非常な興味を覚えました、それは美術記者と西山主任との短かい一問一答記事の中に、既に文展審査の二つの暗流を感じますしさうした発表前に問題を惹起した貴方の作品がどんな性質の作品であるか見たかつたからです、それにもう一つの問題は、貴方の作品『三人の女』はその出来栄えは問題にならなかつたが、橋本明治といふ作者の研究的態度が審査員間に是非の問題になつたといふことです、研究的態度を[#「を」に「ママ」の注記]審査席上で問題になるといふことは、よくよくのことに違ひない、殊に審査の本質は、その作品出来栄え本位で行くべきで、最悪でないかぎりは作者の研究的態度などを問題にすべきではないからです、貴方の制作上の態度にまで審査員が口を入れるといふことは、個人の自由に対する、審査員の一つの越権行為と見るべきです、しかし私は今にして見る場合には、あなたの研究態度で、審査員が別れて論じたといふことは、最悪の場合であつたことが想像されます。
 私は招待をうけて、文展招待日第一日に出掛けました、そして貴方の作品も拝見しました、そして貴方の作品の前にじつと立つて、この作品『三人の女』の何処に作者の研究態度の論難点があつたのであらうかと、ながいこと調べ始めました、洋画家の私の知人は貴方の『三人の女』はピカソの日本的解釈だと言ひました、それはピカソの作品に子供を差上げた作品もありましたからです、私の見解では『三人の女』は題材的に深い計画のあつたものではなく、日本画界に於ける純然たる新形式の裸婦群像であると見てをります、従つて女の肉体的描写といふテクニックがこの作品の出来栄えを決定する性質の作品でせう、審査当日審査員間で論争のあつたのは、その個所であつたでせう、私は貴方の作品の支持者です、しかし今回の『三人の女』は発表されたものをみて、残念ながら支持できませんでした、何故なら、美術批評家といふ民間審査員として、あの作品は涙をのんで落選させてゐたでせうから、文部当局や、頭の硬い審査員の審査標準としての論点が、もし社会風教上とか、安寧秩序とか、道義的立場からとかいふことで、貴方の作品の入選反対者であるのであつたら、私はそれに与みしません、しかしもし芸術作品の審査といふデモクラシーに立つて見た場合に正統な理由の下に、入選反対をした審査員があつたとしたら、(それが誰であつたか知りませんが)この人に与みするでせう。
 貴方の『三人の女』は入選しました、私はその作品をみて、内心驚ろいたのです、よくこの絵が入選したと――、洋画家は裸婦といふものに対して、それを性慾的にではなく、物質的解釈をするといふ訓練があるのです、日本画家の『三人の女』はそうした訓練を欠いた、過失作の一つと見るべきでせう、ワイセツ感を与へないやうに裸婦を描くといふことは、駈け出しの美術学生でも洋画家の場合には描く精神的技術的訓練があります、それに拘はらず、日本画壇に於いては、すでに相当の画壇的位置を占めてゐる貴方が、それが出来なかつたのです、洋画の裸婦をみつけてゐる私の眼には、貴方の作品は、画面の全体的雰囲気に於いて、春画的、性慾的、ワイセツ感をそこからうけとつたのです、然し私は批評家的立場から、どうして貴方の作品がワイセツ感を与へるかといふ吟味を会場で始めました、そしてそこに最もワイセツ感を強めてゐる『一本の線』を発見しました、それは『三人の女』は子供を差し上げて立つてゐる女と、髪に手をふれてゐる坐つてゐる女とがゐます、この二人は腰を布で掩つてゐます、顔を前に向けて横に寝そべつてゐる女が、全く腰部を何物でも掩つてをりません、この女だけは全くの洋画でいふ裸婦形式なのです、しかしこの寝てゐる婦人の曲げた両足を区分し、接続してゐるともいふべき、右上の股の一本の線の描き方は、婦人の内部的機構を想像するともいふべきあまり匂ばしい線とはいへなかつたのです、審査員の問題点『研究態度』の重点はこゝにあつたのでせうか、
 あの『三人の女』の画面からワイセツ感を得たのは、私たつた一人でせうか、何万といふ観衆が、あの絵から心よい芸術的法悦を受けとつてゐるのに、私一人があの絵からワイセツ感を受けとつてゐるとすれば私が心が奥[#「奥」に「ママ」の注記]しいからでせう、しかしお可笑なことになつてきたのです。
 私は文展日本画をいつも二度に分けて観にゆくので、今度も第二回目に十一月三日に観に行きました、そして貴方の問題作『三人の女』の前に立つたとき、私は思はずギクリとしました、私は第一回目にみたとき、漠然と画面の全体的雰囲気としてワイセツ感をうけとつて帰つたのではなく、念入りにみて、一本の線が強すぎた――この線の橋本明治的解釈の誤りが、この絵を害ねてゐるのだと具体的な部分に触れ、充分納得して帰つたのです、ところで二度目の(十一月三日)に行つてみると、そこの部分が胡粉で塗りまくられて消されてあるではありませんか、私でなくても唖然としないではをれないでせう、これ以上長々と書く必要もないでせう、詩人といふものは直感を信じきつてゐるものなのです、詩人とは直感とともに生き、またそれとともに滅びていゝものなのです、文展開会第一日に描かれてゐた股の線が、十一月三日には消されてあるといふ、それに対して、文部当局の答弁も、また貴方自身の答弁がもし『そんなことは知らない、会期中に加筆して消した、そんなことは絶対にない――』といはれても、私にとつてはそれを覆す証拠といふものをもちません、私は最初見たときあつたといふ、私自身の直感を信じて、『いや確かに加筆してゐる――』と自己の確信を述べる以外に手段がありません、
 しかし私には満更味方がないとはいへないのです、それはこの公開状の掲載した原稿はをそらく文展開催期間中に発行できるでせう、一本の線があつたか、なかつたか、後から消したかどうかといふことがわかるのは、技術者としての日本画家の諸君あるのみです、第一日招待日に行つた画家で貴方の作品を注意してみた画家があつたら、再度会場に足を運んでみればどつちが正しいか明瞭になる筈です、貴方の作品に手を加へたのは誰でせう、然も会期中に勝手に手を加へていゝものでせうか、審査員の権威といふものはどこにあるのでせう、もし貴方自身が手を加へたとしたら、貴方も長いものに巻かれることを知つてゐますねといひたい、或は貴方も知らないのに、
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