が、茎を支へてゐる竹を、茎と同じ質感で描くといふことはない筈。
△竹内栖鳳――『若き家鴨』ユーモラスな家鴨がよく出てゐた、たくまない野放図な投げ出したやうな構図は度胸人である、たゞ金を散らしたのは最大の不調和である、ゴモク飯を思はせる絵である。
△蓮尾辰雄――『罌粟』もう一息といふところ、衣服の質感はよく出てゐたし、背景の花も良い。
△望月春江――桜の実にそゝぐ雨、雨の白さが汚れのやうにみえる、降つてゐるのは雨であらうがそのために実や樹の葉に何の変化のあることも感じられないのが変である。
△吉村忠夫――『麻須良平』日本画的題材を感覚的新しさで塗りつぶしてゐるといふ域を出てゐない。
△木谷千種――『義太夫芸妓』掴み方、色彩の落ちつきは良い、何かぬけぬけとした年増女が感じられて面白い、言ひわけのやうに蝋燭を点したのはおかしい。
△村山三千男――『閑日』不安定な女の腰掛け方、落つこちて来さうな椅子の上の小鳥籠。
△望月定夫――『ふるさとの駅』日本画材料をある程度の新しい方法に処理して成功してゐた、細密描写の場合絵の具を盛り上げてゆくとすれば洋画に敗けることを考へたらいゝ。
△中村岳陵――『砂浜』砂浜の凸凹を線でゆかずに、窪み(面)でかきすぎた恨みがある。空はよいとして水はにぶい、小鳥は古いが、色の小砂の散らしは抒情的で美しい。
△森守明――『青潭』難ない、たゞ鳥ををいたことは意味なし、静寂感の出方が乏しい。
△森本修古――『奥春日』藤の絢爛たる美は良い、春の日の妖しさは出てゐた、たゞ仏ををくことはその理由は別として考へ過ぎである。
△曲子光男――『鵜城』鵜と樹木の形の面白さ、あまりに形の面白さに惚れこみすぎた感あり。
△中塚一杉――『菜園初秋』いりくんだ菜園を混沌もなく描き得てゐる日本画の本領の優れた点はかういふ時に良く現はれるといふべきだらう。
△三原清宏――『南紀の浜』南紀地方色がよく出てゐる、熱つぽい南国の触感がある、植物の厚みや葉の飜転がよく出てゐない恨みがある。
△森戸国次――『猿』猿は必ず虱をとり、木に登るものらしい、さうした平凡な取材に陥つてゐる。
△岩田正己――『富士の聖僧日蓮』この絵を生かしたものは背景の雲である。衝突して舞ひあがる自然現象の美は描かれて、なまじつか日蓮が立つてゐるのが俗物的に見える位である。
△川上拙以――『粧ひ』衣服がよく描けてゐたが、眼は何処を見てゐるとも思はれぬ虚洞の愚。
△野田九浦――『一休禅師』顔より手にかけて動物的な人間味がある手は思索家の爪の長いだれた感じの手である。
△杉山寧――『秋意』馬はねつとりした皮膚の感じがでゝ、背後に適当なムラをつけたのもさすがである。鮮女を描いたのは俗気にすぎる。
△石渡風古――『おしばな』少女の表情、デッサン、主題いづれも良い、髪の上の色のあせた淡さはさらにいゝ、髪の生え際は美しいが、眉と眼の関係は拙い。
△尾竹国観――『常闇』火の消えるのを防ぐ神々は出てゐたが、火の消えるのを恐怖する表情は出てゐなかつた。
△有元一雄――『錦鯉』よく描けてゐたが、光沢がない。
△下川千秋――『いでゆ』湯殿からあがる湯気で画面の描写を節約した感じ、素朴な甘みはある。
△西垣寿一――『新妓』線の堅さもよい、肩幅の広いきよとんとした田舎女も観察的である。
△小早川清――『春琴』日本の室内の気分がよく出てゐる、ぽつとした中の女の感傷、薄鼠と白襟の妖性色、顔への疲労の現はれなどいゝ。
△下村正一――『雪構』うまいんだが材料に偏してゐる、繩木、枝の交錯に酔ひすぎてゐる。
△稲田翠光――『架鷹』かういふ材料は日本の伝統的なものだけ、新味と新解釈が加はらねば意味がない。
△勝田哲――『茶室』女の指の先に朱をさしてゐるが、その割に顔に若さが現はれてゐない。
△遠山唯一――『木馬ひき』谷の上で木を曳く労働婦人を描いた良いテーマ、たゞ危険な仕事に擁る女の悲惨を感じさせる、絵の実感の効果であらう。
△三宅凰白――『雪合戦』洒脱な線で子供の生活をよく出してゐる、デッサンも確かであり、詩情も豊かである。
△寺島紫明――『朝』すぐれた意図がある、一人の女はレースの腰巻を露出して指を組んでゐる、一人は股に手をいれ一人は履物に指をやつてゐる、額に頭痛膏をはつてゐる、愚鈍な救ひ難い女の生活の三態でその個性が各自よく出てゐた。
△田岡春径――『南総宮谷の秋二題』色感及び線の動きの特長も日本画としての優れた点がこの辺にあらう、たゞ淡彩から極彩へ移るときに失敗がある。
△谷角日娑春――『一日一話』母は良く描けてゐたがモダン娘は足の割に顔が小さきに過ぎる、表現化が深慮に過ぎた。
△菊地契月――『麦ふるひ』左に農具の一端を描いたのは味噌である、伸びきつた姿の農婦もよく、落ちてくる麦の色彩の掴へ方も優れ袖のきれめにも肉感的なものがあり、髪の僅かなほつれもさすがに巧い。
△西岡聖鵑――『渦』波の動きをよく捉へてゐる、自然観察の絵はやはり面白い。
△横内大明――『山静』茶と青とに南画家に珍らしい、いゝ感能がある写実に執着してゐる点、墨の色に近代的な理解を加へてゐる点等佳作を産んだものだらう。
△太田天洋――『国防の覚め』余りに説明的すぎて、作者の調査の努力を見せつけられる感あり、題材の計画としては良いが。
△小早川秋声――『軍国の秋』日本画の仕事といふものは斯ういふ処にあるものではない、その通俗性と世俗性は余りに底が知れてゐる。
△藤森青芸――作者が力んでゐる割に出来が良いとも思はれない、色にリアリティがあるが形が一様である。
△保間素堂――『閑隠寮の秋』一人の女が化粧してゐるが、その手の形の小さゝ、お白粉のつきの悪さ、色の剥げた肩など過去の女を思はせる、古い東洋性の没落を代表してゐるやうな女性を描き得てゐる。
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日本画壇 新鋭作家集
度胸の良さ 加藤栄三氏
加藤栄三氏のやうな画家に対して、一体この画家は今後作画上でどういふ動きをするかとか、どの程度に伸びるかとか、予言的なことをいふことは殆んど不可能だ、またさういふ批評態度はむづかしい、その理由はかうだが、加藤氏に逢つた感じの人柄と、その書かれた絵とが殆んど反対の立場にあるといふ印象を受けとる、殊に彼のしやべつてゐる話をきいてゐると全く懐疑主義のやうで、絵に対しては良心の塊りといふ感じがする、どこにものんびりした感じがなく、神経質である上に、変な形容だが、神経や心理の「場面変換」がなかなか激しく細かい。彼は言ふ「風景などの動かないものを描いてゐて、近頃は小鳥が好きになつてそれを勉強してゐますが、ちよつと勝手が違ひますね、小鳥はチョコチョコと動いてちつともじつとしてゐない、しまひには、あんまり動きまはるのが憎らしくなつて、こ奴殺してやらうかと思ふことがありますよ――」いふことがすこぶる気が短かい、だから彼の言ひ草だけを丸呑みにすると、今後は神経質な画風にすすみさうである、しかし一昨年の文部大臣賞を獲得の、新潟の海で描いたといふ「薄暮」が示すやうに、作中の牛の悠久たるさま、彼の作品の図太い神経の丸味は、彼の性格のどこから来てゐるかちよつと疑問に思はれるほどだ、日常生活では極度に神経質だが、作画上ではその片鱗さへ示してゐない自然人的素朴さである、そこに彼の作品の特長もあり、今後に対する期待もかゝるといふべきだらう。
加藤氏は自然観察が如何に難かしいものであるかといふことを、今にも泣き出したいやうな表情をしていふ、小鳥の性格の分類や、小鳥が野に居たときどういふ生活環境をもつてゐたかといふことまでも、知らうとする、彼の慾望はなみなみならず高いものがある、三越の新進作家日本画展に「山桜と瑠璃鳥」の絵を出品したが、その絵は雅味を帯びた瑠璃鳥の柔らかな平和そのものの姿であつた、彼は後から知人の小鳥通が来て「瑠璃鳥には非常に精悍な気性のものがある」と話がでた途端に、彼はシマッタと思ふのである、瑠璃鳥の性格を柔順なものとばかり考へてゐて、もつと突込んだ鳥の性格の観察に見落しのあつたことを、彼はたつた一人で自分の頭を抱いて天地に恥ぢるのである、さうした良心的な態度の良さが彼にはある、また一種の摂取型の作家で、画に対してどんな門外漢の言葉でも、それを充分耳傾けてをつて自分のものに摂取するといつた謙遜さもあるのは良い処だ、大臣賞の作品「薄暮」のやうなふてぶてしいスケールの大きさを、更に質的にも高めて制作発達してゆくところに、他人の真似の出来ない境地がある筈である、好漢惜しむらくは、少しく病弱らしい、体が弱くて仕事が停滞するのは実に辛いと述懐する。
フロイド好み 橋本明治氏
橋本氏に対しての一般的な批評をみると「才人才に負けるなかれ――」といふやうである、だが才人は才に負けるといふことはないものである。あれば才に溺れる――といふところだ、小さな才であれば負け、溺れるだらう、然し若し橋本氏にして大才を心掛けてゐる人であるとすればさういふ心配はないやうだ。新時代の日本画の路は、まづ日本画家を多少に拘はらず時代的な心理主義者にしてゐるやうだ、またこの危険を怖れてゐては、勉強の路もひらかれないだらう、橋本氏はさういふ意味で、決して平垣な[#「平垣な」はママ]路を行かうといふ人ではない、彼がフロイドの精神分析的なものに興味がある――といつてゐるのも、その間の事情を語るものがある、昭和四年の帝展初入選「花野」は彼がまだ美校の四年のときの作だ、この頃の作に現はれてゐる、妖しい感覚の独自性に、三つ子の魂百までの諺どほり今に至るも、橋本氏の作風の底を流れてゐる、妖しい画風の面白さである、彼が洋服を着用に及んで銀ブラをするところをみて、他人は彼を当世流のモダニストのやうにみてゐるらしいが、さう速断することもできない、彼は銀座は私の勉強に行くところですといつてゐる、風俗への観察のために出掛けるといふ彼の弁明をこの際正しいとしてをかう。ともあれ彼は野趣を追ふ作家ではなくて、「撞球図」などといふ近代的テーマを描く作家である、しかし公平なところ、橋本氏には昭和十一年文展の「蓮を聴く」とか、「花野」とかいふ、橋本氏の好みとする、心理分析の工夫のかゝつた作品の方がはるかに、絵に独特の香気と、気品とを盛りあげてゐる、他人の真似の出来ない工夫の仕方といふものを橋本氏の作風の中から発見することができる、近代的余韻のある作品と言つた方が、あるひはあたつてゐるだらう、橋本氏がふつと何気なく「小市民的な画材はあまり好きではないのですよ、もつと迫力のある作品を書きたい――」と口を吐いてでた言葉は、をそらく橋本氏の本音であらう、今までの処橋本氏は小市民的なテーマへ逸脱しさうな危険もずいぶんある、さうした危険性を本人がちやんと心得てゐるのだから第三者は安心をしてゐていゝだらう、橋本氏にかぎらない、何か新しい画題を求めようとするとき、日本画家の陥るのはこの「小市民的な画題」である、美しい娘を描くのはいゝが、たゞ彼女が消費階級らしい美しさを表現してゐて、それ以外に何等の美をもつてゐない、さりとて畑の糞尿臭い野趣が画題の最大の健康性でもない、そこで新の気鋭魄をもつ橋本氏のやうな作家の作家良心は先づ画題の選択の上で苦しまざるを得まい、橋本氏は自然の美しさも、また人間の美しさと同等に、特別の妙味ある描写力をもつてゐる人である、そしてその自然描写と近代的人物との調和の仕事が面白いやうに思ふ。
粘りと感能 奥田元宋氏
児玉希望塾は七十人からの大世帯の画塾で、尚毎日のやうに塾入りを望む画家の玉子があるといふ、これらの沢山の希望者を断つたり、選択したりするのが大変だといふ話である、奥田元宋氏は言はゞ児玉塾が始めて出来たときの第一番に駈けこんだ一人である、なにぶん弟子はとらないといふ原則をたてゝゐた児玉希望氏の処へ、郷里を飛び出してきた当時十九歳の奥田元宋氏が児玉氏の教へを乞ひ師事九年、奥田元宋氏は当時二十八歳、日本画壇の年齢番附から言へば、奥田氏は
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