である、児玉氏の画壇的動きを指して智略無比などとは言へない、また希望氏はたださうした風に見える開放性な性格をもつてゐる、そのやることはむしろ無邪気な結末をもたらしてゐる、心から画壇が好き、画が好きだといふ印象をうけとる、したがつてそこで動く希望氏の政略性は陰気な形をとるよりも、他人の噂に乗るやうな、あけつぴろげた方法なのである、希望的性格づけを数へあげると、気魂、豪放、熱、などであらう、いかにも彼の作品や、動きは、これらの要素の上に形成されてゐるが、しかしこれらの大まかな方法は、希望の絵の出来を成功させてはゐないので、彼もまた体の巨大な人が、思ひのほかの「細心」な神経をもつてゐるやうに案外神経の細かさをもつてゐる。この細心さは希望の所謂大まかな放逸的な仕事の中で作用してゐるために、彼の作品は鵜の毛をついたほどの油断もないといふ状態をもたらすのである。
 希望は現在、一つの慌ただしさの中にゐるやうである、それはたしかに年齢的な転換期ともいふべきものであらうし、絵画的な転換期ともいふべきものであらう。「飛泉淙々」とか「暮春」とか「雨後」とかは、希望の風景画家の出発としてこれらの作品は堂々たる存在として優れたものであるが、「飛泉淙々」に於ける、調子の美しさ、「雨後」のデリケートな細密描き、「暮春」に於ける空間の巧みな描写、その風景の歩みかたは、粗に見えて密、また密に見えて粗といふ甚だ味のある全体的効果をあげてゐて、その意味では風景画に於いては独自な境地を開拓してゐるといへるであらう、しかし世間では、児玉希望氏の仕事の移り変りに気をうばはれて彼の風景画の佳さには、案外に心をとめてゐないやうである。風景、それから花鳥、そして人物、それから美人画といふ風に最近では新しい方向のものに手をつけてゐて、その動きの躍進的な転変極りない行き方は、観賞者をして希望は一体何作家なのか、何を専攻する作家なのかといふ感想も抱かせる、今更、児玉希望は美人画でもあるまいといふ風評も立つのである。
 然しながら私は希望のこれらの浮気な仕事を決して悪意的にとることができない何故なら、その仕事ぶりをみても、かなりに実験的な作者の態度がうかがはれるからで、作者はきつと後日これらの実験的なものを他の型のものに生かすときがあるだらうと信じるからである。第二に希望氏の年齢が幾歳だかといふことを考へてみたらいゝ、希望や深水の年齢を数へて、その若いことに気づいたならば現在希望や深水がどのやうな実験的な仕事をしようが、風景画家といふレッテルをかなぐりすてゝ美人画を突然に描き始めたところで少しも驚ろくにはあたらない、そこの関係は希望と深水とは反対の現象が現はれてゐる、深水に於いては、その美人画家であることを保留して、現在花鳥、風景の研究に精を出してゐるに対して、希望は風景、花鳥画家であることを保留して人物画美人画の世界を探究してゐるのである。
 しかしこの二人に対しては余分な心配はいらないやうだ、美人画家希望――風景画家深水――とは決して生れかはることはあるまい、結局に於いて従来の仕事を基礎において、そこに綜合的な製作を行ふだけだらう、さうした計画は、画家として正しいやうである。風景画家が、急に美人画を描きだしたら、たしかにお可笑い、しかし風景の中の美人を描くには、美人を描く機会も、画家としてつくらなければならない、我々はさうした観点から、長い眼でさうした計画をみてゐたい、せつかちな画商的評価を、画家の製作態度の変化に与へることは大いに避くべきだと思ふ。
 希望の風景の色感を、或る人は評して汚ないといつたがそれはたしかに一理ある、現在の画壇の色感が奇麗すぎるから、その意味でも汚ない色を希望は使つてゐるかもしれない、しかしさういふ言ひ方をするのであれば、玉堂の色彩はもつと汚ないといはれるべきだらう、希望の風景はむしろ汚ないどころか、色彩は相当に派手な方なのである、ただ色が奇麗だと言はれ、或は汚ないと言はれることに就いて、評者の批評的位置といふことを考へて見る必要がある。全くの美術鑑賞眼をもたない人に、美しい(即ち奇麗な)絵を選ましたらいつぺんに判るだらう。赤や青を美しいとし、茶や灰を汚ないと単純に考へてゐる人もまたすくなくない、画家の現実の色彩的拠点といふものの設定の仕方は、最後に出来上つたその絵の効果の種々雑多な種別を生むのである。
 現実再現の仲介物である絵の具の色感といふものに頼らない、場合によつては、絵の具否定に出る、絵の具の在来の色感にこゝでは、現実にいつでも捻ぢ伏せられて、概念上の美感はむしろ失はれる、玉堂の作品や、希望の風景には、さうした行き方があり、それは一見汚ないやうに見て然らず、現実を語る色彩的手段のより現実的な理由を証明するものが多いのである。
 希望はその風景、花鳥に一応の技術的段階を示してゐるから、本人もそれを自覚してゐるらしい、人物画にすゝむことは良いことである。「荊軻」の試みは、既に試みといふよりも完璧的なものがある、この突然の人物画への方向転換は人々を少なからず驚ろかした、それは希望も人物を描くといふ驚ろきではない、今はやりの言葉で形容すれば実によく「企画」のたてられた絵なのである。構成のよさ、この絵を描くための希望氏の心理的準備期間に、希望氏自身の心理的発展、画境の開拓を思はしめるものがあつた。私はこの「荊軻」をみて、はからずもこゝに児玉希望氏の芸術観、言ひ換へれば人生の見方、ともいふべきものを、その図柄の上で発見し、私を少なからず動かすものがあつた、この絵のテーマとして、暗殺者と被暗殺者との対照は難かしい仕事であるにちがひない。常識的に解すれば殺しに行く方を、顔、表情、其他をするどく描かるべきである、私はふと暗殺者の武器を握つた手に触れたとき、その手がふつくらと肉付きがよく、豊かに描かれてゐるのを発見して、これなるかなと嘆賞した。
 ここに希望氏の対象に対する愛情があるので、殺しに行く人間の手をゆたかに表現したといふことは、単純なこととは見のがすことは出来ない、それは希望氏の心の奥底にひそまれた愛情といふ風に解したい、世俗的な評価の中に、とやかく言はれ、とにかく人気を背負つてゐる希望氏とは別のところに、希望氏の人間的本質が発見されるのである。
 殺しにゆく人間も、殺される側にまはる人間も、希望氏に於ては、その人間的豊かさに於て表現されたことは、如何にも正統な表現といはざるを得ない、吾人は、希望氏のかゝる対象に対する深き愛情が今後の仕事のスケールの大きさと豊饒さと未来性とをもたらすであらうことを信じて疑はない。
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大森桃太郎氏の芸術
   旭ビル半折洋画展を観る

 大森桃太郎氏の作には一昨年の秋いまはすつかり昇天してしまつて影も見せない、旭川美術教会[#「教会」はママ]の特別出品の一人として拝見した、当時の『南の街』の大作から今度の旭ビル楼上の数点に遭遇してあまりに彼が彼のそつと蔵つて置くべき行李の底のボロ切れをひつぱり出してゐたのに吃驚《びつくり》した、早い話が三十番の『風景』こんな処に彷徨してゐるとは思はなかつたのだ、殊にこの『風景』は言語道断であり『お堀端』には僕のもつとも好感のもつことの出来る大森風の色感を殆ど発見されないのは実に悲しい極みである。
 そこでこれらの芸術に似て非なる『風景』『お堀端』『市街』それからその作意には充分同情はもてるが『カネーション』他三点の草花も思ひきつて捨て以上の数点『原宿風景』をのぞく以外のものを氏の口から『あれはみな旧作を画室の埃の中から引張り出して送つて寄こしたのだよ』と言つて欲しいのである。
 一昨年の旭ビルで見た『南の街』は実に素晴らしかつた南国の狂へる外光が異常に相錯綜した線条にこんぜん多彩な万華鏡を現出し観る者をして音楽的恍惚境に遊歩せしめたものであつた。
 今度の『原宿風景』も傑出してゐる『南の街』に遜色はないしかし今度のは一歩退いてゐても一歩踏みだしてはゐないのが残念だ、それに形態『この場合単なる形』が『南の街』よりぐつと写実への復帰を見てゐる歪んだ屋根は正しくなつたしタッチも歩調を揃へてきてゐるがこの事はどうでも良いのだ、僕に言はせれば現在の三十一番『カネーション』などの大家らしい絵は虫が好かぬ、大森氏の若さの為めにまた若い仲間の一人の助言としてどんなに歩調がしどろでも屋根がひんまがつてゐてもお構ひなしに以前のやうな日射病とテンカン病で一生を終つて下さいと涯かな北国の君の恋人達を代表して僕が躍気でメガホンを鳴らすゆえん[#「ゆえん」に傍点]である。
 二十八番の『花』や『アネモネ』『カネーション』などに大分共鳴者があるやうだ『市街』なども同様嬉しがられてゐるらしいが真実に大森氏に友愛を感じてゐる者の言ふことではないこの誤れる讃辞こそ岐路に立つ大森氏の首くゝりの足を引張る者である、一昨年の『南の街』及び今度の『原宿風景』の自然に対する純情な感覚の躍如とした境地に精進してゐたなら必ずやモヌメンタールな仕事に到達完成されることを疑はないのである。
 大森氏の『南の街』の画風をして未来派だらうと評した男があるがそれは嘘だ、氏は真正真銘[#「真正真銘」に「ママ」の注記]の写実家である、歪んだものをさへ見れば未来派だ表現派だといふ愚な言である、氏の筆觴の生動しちよつと粗豪な行き方を見ての誤つた観察であり、近代精神文化の独立した一部門としての未来主義思想は別なものであることを知らないのだ。大森氏の芸術はかゝる「顔を歪めた芸術」とは別個な思慮深い写実主義に立脚してゐるものと断言できるのである。
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秋田義氏の芸術を評す
   旭ビル楼上合同五氏展を観る

 大森氏の作が憑かれた神聖な痙攣であるとすれば秋田氏の従来の態度はあまりに酔ふことを欲しない実に厄介千万な画家であつたのだ『秋田氏の絵は冷た過る』といふ一般の評はまんざらでもなかつたもつと神霊に憑かれた画風に接したい希望は僕一人ではなかつたらうと思ふ、酔ふこと位かんたんな事がない筈だ。最近ザラにある画家連は未完成な前にすつかり酔つてゐる輩が多く周期的な局部痲痺や色慾亢奮に画布は絶えず冷やされたり暖められたり多忙な中にひとり秋田氏がかうした躁狂団隊とは別個な道路をてくてくと歩いてゐた。
 樹木、空、花、屋《いへ》、崖、等々あらゆる取材はこの死者を取扱ふ医師のやうなあまりに切れすぎる執刀に泣いてゐたらう、だが最近の進展はどうか一番『南京風景』の豊な詩情に到達し十三番の『蘇洲風景』に進展し更に『南京奏准の妓館』の新しい計画『少女戯曲』の看過出来難い企てに遭遇して奇異の感にうたれるのである。
 これらの作風は冷たいものから実に抒情的感情への飛躍であり進撃であり自らに酔ふことを極端に嫌悪した従来の秋田氏としては破天荒な変りやうと言はれるだらう、氏の視覚の歓喜と波動せる心の影は自然に対して従来のメスの鋭さから現在同情にあふれた瞳に化してゐるのは僕の祝福にたへない傾向だ。ところが尚以上の数点の『変つた絵』を氏の最後を飾るものではないと断言できる。それは画家精進のたんなる序曲であるが終曲ではないからだ『南京奏准の妓館』や、『蘇洲風景』などはある意味の悪趣味に違ひないし『金瓶梅※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]画』あたりも骨休みである。矢張りこれらの先走りのものより何程秋田氏の過去の仕事から脱しきれないものであり稀薄な位置にあるものとしても『万里の長城』『西湖』の作風こそその底に永久動かすことのできないものが一派として残つてゐるのではないか。
 この浄化されこれら詩趣に立脚して次の仕事美学上の公理やまた方式などを全く忘れた秋田義を期待するそして『万里長城』などのともすれば黙殺され勝ちなものから現在プログラム外出品の『蘇洲城裏』『長江夕映』『長江遠望』などの仕事を産んだことは実に素晴らしいではないか。
 僕は秋田氏の作品
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