、しかし「燦雨」にせよ、「雪」にせよ、決して執着が去つてはゐない。むしろ「熱国妍春」の主題の変つてゐることゝいふ助け船なしに、別な意味の執着が加へられてゐる作品と見るべきだらう。
「雪」ではいまにも※[#「口+堂」、85−上−11]と音してずり落ちさうな雪質を巧みに描き出されてゐる。余寒の中に、羽虫をとつてゐる雉の、この鳥類の精神的位置といふものも、よく捉へられてゐる。作品はそのまとまりに於いて完全であるが、技法の上からみれば、雪の散らし方などは、大胆を極めたものがある。其他の作品に於いても、その技術や制作精神は、情趣は使駆するが情趣に溺れないといふ態度が、石崎氏には多分に見受けられたのである。いまにも崩れ落ちさうな雪を、描いてゐて、その雪が崩れ落ちるといふ瀬戸際まで描いてゆくといふ、その追求的な態度が「雪」には良く現はれてゐるのである。「熱国妍春」では南国植物の葉脈の徹底的細密描写があり、それは見るものをして驚嘆させるほど、根をつめた仕事ぶりなのである。しかし「雪」に於いて、雪がズリ落ちる瀬戸際まで描くといふ根のつめやうは、一般はとかく見落し勝なのである。私が前に述べた作品に漂ふ不安感や、焦燥感は、さうした創作的態度から滲み出たものであり、或は作者自身は、それを目的として描いてゐないだけに、本人が気づかないこと柄であるかも知れないのである。「奔湍」に於いては泡立つ浪の面白さや、水にのり出した木の枝の面白さ、などにはほんとうの面白さがなく、むしろこゝでは散らした紅葉に、細かい人生的な運命的な作者の考察を発見することができるのである。
この奔湍に押しながされる、無数の葉の在り場所が、まことに面白く自然の運命を語つてゐる。一枚の葉は岩の上に、押しあげられてゐる。ある葉は飛沫の中に飜弄されてゐる。ある葉はたゞ押し流される許りだ、これらの葉の描き個所によつて、これらの葉がそれぞれの宿命を語つてゐる面白さは人生の奔湍に押しながされる人間の運命と照り合せて興味が湧く、そしてそこには二羽の雉が飛んでゐる。光瑤の描く雉に就いても、かういふ特殊の状態がある。古来雉は幾多の画家によつて描かれてきた。その羽毛の美麗で、羽毛の線の整然とした配列はその鳥でなければ、得られないものである。しかしその華麗さに於いて描いた人は多いが、光瑤氏はその華麗さに加ふるに動態美と、緊張感に於いて独特な雉を描いてゐるのである。「奔湍」の中に描かれた雉は、その羽を極点的に拡げてゐる。これ以上羽に力をいれることが不可能だと思はれるほどに、充分な羽の拡がりに描ききつてゐる。もしこれ以上に、この雉が羽に力をいれたなら、その肉体がばら/\に分解飛散してしまふであらうと思はれるほどに、作者の緊張はこの対象物にうちこまれてゐる。「春律」の雉に於いては、その緊張感を、画面全体の韻律に解消してゐるが、「奔湍」では全く、力学的な構成の頂点に達した雉を描いてゐるのである。そしてそこにはさうした技術的計画が、新しい感覚美を、画面にもたらしてゐるのである。「野鶴」に於いても「装飾風のやり方では止むを得ないが――」といふその「止むを得ない」部分は実は作者の意図があると見ていゝだらう。鶴の群の背景をなす部分にこそ、作者光瑤氏の強烈なロマンチストな部分を窺ひ知ることができるのである。春の野花の数々はその美しさを競ひ、星空を地上に引きをろしたやうな極度の美しさが展開されてゐる。そこには装飾的だといはれる何物をも感ずることができない。たゞそれをみる人が、この美しさを現実とみるか、それを一口に「非現実」といひきつてしまふか、それ/″\見方によつて、鶴を認めて、背景を否定し、またその反対の背景にこそ光瑤の精神的な理想境が語られてゐるもので、鶴は単に絵画的形態としての借り物にすぎないといふ論も出てくるのである。人々は光瑤の作品のなかの「非現実」を認めない。しかし非現実の部分に感動してゐながら、それを認めないといつた風な、否定の仕方なのである。そしてもし光瑤が全くの写実主義者になりきつたと仮定したら、その人々は眼もふりむけないだらう。そしていふだらう「昔はもつと美しい色であつたがと」光瑤は勿論、これらの人々のいふことをきいて軽忽に写実主義者になることはあるまい。抽象的方法、象徴的方法は高度の写実的方法であることははつきりしてゐる。その方法が適確である場合には、その形態がどんなに突飛であつても、写実的実感を見る者に与へるし、ねらひがはずれたときは、装飾的な嫌悪を感じさせるのである。「春律」はその意味の後者に属し、私にとつては興味が薄い。「春律」は何等光瑤の画風転換作でもなんでもない。近来の作品は写意が強く、不安感や、焦燥感も全く拭ひ払はれた、静謐なものが多く見受けられる。しかし光瑤の脂肪はまだこのやうにして、脱けてはいけないやうに思はれる。
もつと強烈な光瑤の理想的美の境地を、作品で顕現してほしいのである。
美しいものは何時もまつさきに感動した者が、まつさきに嫉妬するのである。光瑤はこゝで驚ろくべき美しさを表現して、多くの人々に最大の嫉妬をされなければならないであらうし、また人間の為し得る美しさの究極点を示し得る人は光瑤氏のやうな人ををいてあるまいと思ふ。また我々はさうした極点の美を示されることを待望してゐるのである。
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山口華楊論
この作家の人気は、或る特殊な雰囲気を、この作家がもつてゐるといふ理由に基づいてゐるやうだ。言はゞ、人気の二種類陽気な人気と、陰気な人気とがあるとすれば、山口華楊はその後者に属するといふことができよう。それが芸術の仕事であればこそこの陰気な人気などといふことも認容されるのであらう。それが映画女優などであれば、人気は陽気なものといふ一方的なものに止まるであらう。山口華楊にせよ、徳岡神泉にせよ、奥村土牛にせよ、金島桂華にせよ、この人々はみな陰気な人気をもつた人といふことができよう。これに対して陽気な人気をもつた作家といふのを選んでみれば、川端龍子を筆頭にあげることができ、次々と何人でもある。世評も何となく派手で解放性があるのである。しかし陰気な方の人気者たちは、何時の場合も、観賞者を全部的に納得させないでをいて、その人気をひきずつてゆくといふ力がある。だから何時まで経つても、なかなか人気を喪失しない作家といふものが居たとしたら、観賞家や、批評家はそのことに疑問をもち懐疑し、そしてその作家の本質を再吟味する必要があらう。
山口華楊はその人気の陰性であると共に、何時まで経つても人気を喪失しないといふ、その事実に対して、人々は山口華楊といふ作家の、再認識をするべきであらう。またその再認識に良き時期がきてゐるともいへるのである。これまで華楊はどういふ世間的扱ひをうけてきたであらうか、それに就いて、最も適当な華楊評の一断片があるので、それをとりあげてみよう。春虹会第四回展に華楊は「日向」と題して猫を描いて出品した。それに対しての某氏の批評に「流石此作は又一歩華楊らしいよさを進められてゐるのが目立つ(猫の形の強ひて言へば、稍やわざとらしい誇張が気になる様な気もするが、強ひて言はねば気の利いた掴み方であるとも見え)云々」と言つてゐる。このやうな華楊の作品批評は華楊に対する世間的見方の、最も露骨に出たものとして、特長的である。しかも特長的であると同時に、これ以上、通俗的な常識的な批評はこれまた珍らしい。しかしこの華楊批評には、一応の真実があるのである。一人の批評家が、一人の作家の作品の批評に、直面し立ち向つて、「強ひて言へば」とか「強ひて言はねば」とかいふ、前置つきで批評するといふことが、どういふことであらうか。批評をされる作家の側から言つても変な気がするであらう。何故なら、強ひて言へば作品が悪く、強ひて言はねば作品が気が利いてゐて良い――などといふ批評はどうしても奥歯に物の挾まつた、蛇の生殺しのやうな批評だからである。
そしてこの「強ひて言へば――」とか「強ひて言はねば――」とかいふ、批評の仕方は、華楊の「猫」の批評だけに止まらない。その方法を当てはめてみれば、すべての華楊の作品に当てはめられるやうである。然し、この「強ひて言ふ、言はぬ――」の批評方法を、他の作家にふり向けてみたとすれば、それでも通用をしないわけではない、しかしさういふ、批評をされた場合人に依つて憤慨する人もずいぶんあらうと思ふ。どうやらこの強ひて言ふ、言はぬの批評は、山口華楊にもつとも適当したもののやうに思はれるのである。某氏のこの評に真実があるといつたのは、さういふ意味なのである。この強ひて批評するといふ、批評家側から言つたところの御招待批評は、ひとつには華楊の人気の顕はれとみていゝ、是非、強ひて悪くも強ひて良くも言はして貰ひたいといふ、人気がこゝにあるとみていゝのである。この言ひ方は黙殺主義でも、また世間的なお座成り主義の批評とはまた違ふ、華楊の「一般的人気」は、強ひて言へば悪く言はれ、強ひて言はねば良く言はれるのである。私はこれに対して「一般的人気」といふところにカッコを附けたことに注意があつてほしい。華楊の一般的人気はこの強ひての両端をもつてゐる。しかし華楊の「本質的人気」は、実はこの二つの両端の間を埋めたところに存在するのである。通俗的人気は強ひての両端で結構なのである。しかし華楊自身の実力発揮の精神的仕事は、かゝる両端の通俗性を認めることはなくて、この両端を軽くあしらひながら、その本質的仕事を押しすゝめてゆくことであらう。
華楊といへば、一口に動物画家といふ観念がとびこんでくる。そしてその佳作「猿」とか「鹿」とかを想ひ出してくる。それと同時にこの動物画の描き手にふさはしい、素朴な、朴訥な、田舎めいた、野趣に富んだ、動きのにぶい、社交下手な、土壌臭い、内省的な華楊といふ作家の人柄といふものを、あの作品の限りで想ひ出されて来るであらう。今挙げた性格の形容の中で、当つてゐるものもあればまた当つてゐないものもあらう。しかし「猿」「鹿」的華楊へ、一つの別な観察を加へてみたらどんなものであらう。いま挙げた性格の殆んど反対のものを考へるわけにはいかないであらうか、華楊といふ人物は、猿、鹿的な動物画家の自然味とは、およそ反対な、むしろ都会的な作家であるといつたらどうであらうか、華楊といふ作家の朴訥味には実は興味が少ないのである。むしろ私は才気煥発な華楊といふ作家の、その精神的動きの方に遙かに興味をもつてゐるのである。華楊は、猿や鹿を描いたことは確かである。
しかし同時に「洋犬図」のやうな作品もあるといふことを忘れてはならない、彼がその犬の図に於いて、材料を秋田犬のやうな日本犬を選ばないで、グレイファンドのやうなハイカラな犬を描いたといふことも、なかなか興味があるのである。
華楊の作とは、斯うした田舎臭いものと、都会臭いものとの他に、もう一つ問題にしていゝ立場のものがある。
それは既に過去の仕事に属してゐるかしれない。しかしこの第三の種類のものによつて、華楊の第三の立場を知る必要があるから、それを見遁すわけにはいかない。それは「畑」のやうな種類のものであり、「葉桜」のやうな種類のものである。この種の作品は全く、「猿」や「鹿」とは違つた、画面に少しも空間を残しておくことを避けたところの徹底的な綿密描写である。華楊の精神の打ちこみ加減を知るには前述の「葉桜」や「畑」などは最も早わかりなのである。「鹿」や「猿」のやうな簡略描写の佳さとはちがつた迫力をこれらの作品に発見できる。この二作だけをとりあげても、華楊には過去に於いて充分に描きこんだ時代があつたといふことを観賞者は忘れてはならない。小品物に現はれた、或は動物画に現はれた華楊は、決して華楊の本質ではない。昭和三年の「猿」は評判作であつた。猿を描いて成功したものには、関雪とこの華楊のものがあるといはれたほどであつた。この猿の親子は如何にも野趣に富んだものであつて、すぐに尻に手をやつて掻いたり、叫び出したり
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