を逆に彩色の場合には、『色の運しては墨色具はる』といふ絵が少くない。彩色ものでも何となく墨の味がでてゐる。墨で叩きあげてきた人の色彩の持ち味である。墨でもなく色でもない持ち味といふものがあるとすれば、その感覚的世界は、有韻、無韻の境地をゆくものであらう。大智氏の色彩は、その意味から独特な境地であり、それこそ却つて『色気』のたつぷりとした彩色的作品といふことができるだらう。その色気たつぷりな水々しさ、色の世界にあらはれた気の若さに於いて甘味な持ち味に於いては、日本画壇稀に見るところである。明治十五年生れ当年五十八歳とは思へない若さをもつてゐる。然も大智勝観氏は、仕事の上に年毎に若々しさを加へてきてゐることは、注目すべきである。日本画の老大家のうちには、老いて益々旺んな作家も少くない。しかし私のいふ大智勝観氏の若さの性質は、少しくその性質を異にしてゐる。それは純粋化の過程を年毎に示してゐるといふ意味で、大智氏はいよいよ今後に於いて『甘美』な持味を顕はしてゆくだらうと思はれる。
 整理と、簡略化の方法は年来のこの作家の精進の姿であつた。現象的な表現力をのみ窺つて、画面上の効果のみを目的として、制作をすゝめてゐる作家は少くない。さうした意味では時々刻々に出来のよい作品も描いてゐる。しかしその方法は創作方法の瞬間的解決ができてゐても、全体的な一貫した、絵画の本質問題は解かれてはゐない。大智氏の画風の滋味な行き方の中には、一貫した系統的な仕事のすゝめ方がある。前述のやうに、その画面の『整理の方法』『簡略化の方法』は、年とともに完璧に近づいてゐるやうだ。世間ではそのことを問題にしない。作者の激しい方法上の意図のあるところを見遁してしまふのである。嘗て『島四国の一日』に於いて得意な連作物で、線描の持ち味の多角的な面を見せてゐる。この作品の中には、大智勝観氏のあらゆる性格的なものから制作上の方法から、一切のものが含まれてゐる。この作品は大智氏自身にとつても全く研究的な態度で制作をすすめられたものに違ひないが、作家研究の立場からみても、この『島四国の一日』は大智氏のこれまでの作の中では、多くの問題をもつた作である。対象の把握の方法の種々層を、六種の画面に於いて、六通りに描いてゐるといふ意味からも、其後の大智勝観氏の画風のすすみ方の研究の上からも、この作は興味がふかい。現在の画風は、そこから抽き出された何等かの形式なのである。大智氏の作品には表面的には何等その激しさは認められず、温和そのものの表現ではあるが、追求の方法の激しいこと、一例を挙げれば、大智勝観氏は直線と曲線との相剋に永い間悩んできた人である。したがつてその両者の独立、溶合、更に直線でも曲線でもない或る物、さうしたものの発見の方法は、かなりに激しいやり方をしてゐるのである。
 第十六回美術院試作展に大智氏の出品した『春秋』といふ作に、或る批評家は『春秋』の松が余りに弱々しい、優美と云へばさうも思へるが力が欲しい――と評してゐたが、この種の批評はこれまで大智氏はずゐぶんされてきた。作者の立場からすればこれらの批評は全く作者とは見当外れの立場に立つものであらう。何故なら私の見るところで、その松の木の弱々しさ、優美さこそ、この作家のねらひどころであらうと思はれるからである。作者が計画企図するところが画面にうまく表現されると、批評家がその点が悪いとか、不満だとかいふ。それほど奇怪なことはない。我国の美術批評界には実にさうした批評が多い。一言でいへば、さうしたことを指して『無理解』といふのである。しかも大智氏の松の描方は単純な弱さではないのである。殊に大智氏の線の種類のうちで『縱直線』は一種特別な解釈が加へられてゐて、この松のやうに、上にのびた直線を使つた対象物は、微細な震動的な直線としての持味がある。『力が欲しい』といつた大智氏に対する注文こそ滑稽である。大智氏は南画のことをかう語つてゐる『南画といふのは柔らかい自然主義です』と、この言葉こそ正確な南画理論と一致する言葉であらう。問題点は『柔らかい』といふことにある。何という柔らかくない硬化した南画形式の自然主義的な作品が、世上に多いことであらう。
 大智氏は稀に見る柔らかい作家なのである。だから一部の人々にとつては、その柔軟さが何か作品の欠点であるかのやうに見させてゐる。そしてもつと『力が欲しい』といふ。我国の日本画壇では『迫力』をもつて、芸術的な力量だといふ風に思ひ違ひをしてゐる。近頃どうやら、龍を描く作家が少くなつた許りの日本画壇では、それでも手を替へ、品を替へて、仁王さまとか、鷹とか、精々出来が悪くても構へがいゝといふだけで、得をするモデルを選んで描かうとする気分がまだ絶えてゐない。雛鳥を描くよりは、二羽の鶏に喧嘩をさせて『闘鶏』とでも題して展観に出した方が得らしい。よしこの二羽の鶏がおそろしく下手に描かれてゐても、画面に現はれた限りで、どつちの鶏かが、どつちの鶏よりいくぶん強くは描かれてゐるに違ひない。この二羽の鶏が丁度毛変りの季節にぶつかつてゐて、闘つたのではなく、身ぶるひしただけで、羽毛があたりに飛散つただけでも、脱羽を散らしてあるだけで、観者に闘ふ鶏だと思ひこましてしまふのである、画材上の迫力とは『雪隠の構へ』のことをいふのであらう。大智氏の作品は、さうした硬さや迫力を窺つたものではない。殆んど横線と思はれる線の使用が少く、作品に依つては殆んど斜線ばかりで仕上げてあるほどに肩のとれた、撫で肩の作品が多い。踏ん張りだけを迫力だと考へてゐる現画壇にとつては、大智氏の作品はヒューマニズムの濃い行き方として、当然形態上の柔らかさ、弱さが一つの方法であり、武器であるといふことにまで考へが及ばないらしい。
 南画形式は人間が出来なければ、形式を使ひこなすといふことが殆んど不可能である。南画の形式のさまざまの変革は対象の真を描かうとしての必然的な形式として生れたものであるが、他にはこの南画形式の種類の多さは『画工の習気を避けようとして』いろいろと変革を生みだしたのだと言はれてゐる。大体に日本画のやうに、技術を尊重しなければ大成しがたい芸術は、従つて形式勉強の長さが、その独創性を育くむ場合よりも習気に溺れてしまふといふ危険性の場合が多い、そして画家の惰性、習慣性を救ふために、新しい形式を持ちだした。しかしそのことで現在の南画の状態をみてもわかるやうに、南画は救済されたであらうか、南画はその形式主義の故に、没落の道筋をたどり、その救ひの方法としてもつてきたものがこれまた形式主義的方法以外のものではなかつたために時代性を喪ひ、下降線を示してゐるのである。大智氏のいふごとく、南画はその人間ができなければ、この形式の自由な馳駆といふものは不可能であらう。
 習気に堕した南画形式の作家は多いが、この南画形式を、完璧な形式として、自由に扱ふ作家はまことに少い。
 大智氏の見解では、形式はそのまゝであつても構はない、ただその使ひ方一つにある。新しい形式を編み出す必要があるかどうかわからない――といつてゐる。この大智氏の言葉を単純に丸呑みにはできない。もしこれを丸呑みにして、古い形式がうんざりするほど画壇に復活してきたら、たまらないからである。古い形式の復活よりも、下手でも新しい形式の発見は有益である。ただ大智氏のやうな言ひ方は、極めて少数の人だけがその真実を理解し得る言葉であり、これは大智氏の創作態度に現はれた『捨身』の態度として解すべきであらう。
 しかも大智氏は新しい形式をさへ事実編み出してゐるのである。読者諸君は大智勝観氏の作品の構図に注意していただきたい、とともにその画中の山岳或は家屋に殆んど三角形にちかい、或は全く三角形に描かれたもののあることを発見されるであらう。この三角形の表現は、非常に独創的なもので、五十八歳の作家のものとは思へない、新しい方法の獲得なのである。その意味から若い画家も顔色なしのものがある。私が大智氏が日本画に於ける直線と曲線との対立に悩んでゐて、一つの解決点にすゝんでゐると指摘したが、その現はし方はさまざまあるが、なかでも具体的には、三角形の形態への到達を問題にすることができる。直線といひ曲線といひこの二つのものの、一元的な結合、この二つのものの親和状態といふものが、どういふ方法によつて出来るであらうか、それは二つのものに共通な第三のもの、第三の方法を選ぶより方法がない、直線と曲線とを作画の上で一致させるには曲線を、或は直線を、どつちか、どつちかへ漸近的に接近させるより方法がない。三角形はさうした両者の漸近的な方法として一つの到達点なのである。大智氏がそれを意図してやつてゐるか、やつてゐないかは此の場合問題ではない。問題なのは、さうした究極点に進んでゐる氏の仕事が一切を証明してゐるだけである。いまこゝに若しフランスの最も正しい意味での進歩的な美術団体が『貴国に於ける、現代の最も日本的意味で進歩的な日本画家の作品を紹介されたし』といつてきたと仮定した場合には、私は何のためらひもなく、大智勝観氏の作品を推すであらう、意外なことにこゝに五十八歳のモダニズム作家を発見して、外国人は日本画の近代的要素の存在することを、強く肯定するであらう。

 大智氏の絵を、世間ではその仕事を『老人仕事』といふ風に、投げやりにみてゐるらしい。でなければ敬意を表して黙殺してゐるだけである。第六回院展の『秦准の夕』では、ある批評家にこの作は漫然たる浪漫的気分の胚胎したものだといふ風にも評された。当時鏑木清方氏は『異常か平明か』といふ題で、当時の院展の評判の悪さに関して、院同人の多数は趣味に淫し、色彩に戯むれ、形式に堕したと指摘してゐる。そして創作方法を異常に求めるか、平明に求めるかと出題してゐる。時は流れ、現在に到り、異常派の作家はまことに多いが、何と平明派の作家で寿命のつづいてゐる作家が少いことであらう。大智勝観氏は、その昔からその浪漫的要素を非難され、迫力のとぼしさを残念がられ、その作風の平明なる故に、とかくに見遁され勝である。若し隠然たる勢力といふものが、画家の政治的工作にあるのでなくて、作品の本質にあるものだとすれば、大智氏の画壇的生命力は、その作品の顕れざるところの力量にあると思ふ。
『手に筆硯を親しむの余、時有りて遊戯三昧し、歳月遙永にして頗る幽微を探る、妙悟は多言に在らず善学は還り規矩に従ふ』と王維が述べたが、大智氏の仕事ぶりは歳月遙永であり、四十にしてではなく六十にして不惑であらう。然し沈黙勝の人柄は、却つて妙悟を得、しかも案外の勉強家である点、規矩に従ふといふ方法は、益々その作品の新鮮度を増す理由であらう。
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小倉遊亀論


 画壇でも、文壇でもさうであるが、女流作家は、男の作家に較べて、いくつかの特点[#「点」に「ママ」の注記]をもつといはれてゐる。『女なるが故に?』といふ点のつけられ方の甘さなどもその特点の一つであらうか、この特点は必ずしもその女流作家のための都合のよい特点とはかぎらないこともある。逆に女なるが故に、男子に劣らぬ努力を払つてゐても、その評価に於いて黙殺的な場合も、また少なからずある、考へても見よ、女性作家に甘い点をつけるものは、男達であつて、決して同じ女同志ではないといふことに注意をする必要があらう。
 女同志の批判は決して甘くないばかりか、場合によつては嫉視的なトゲをさへ加へてゐることがあるので、結局女なるが故にといふ甘い点をつけるものは、男許りであるといふことに到達する。わが小倉遊亀氏は幸なことには、さうした女流作家の特点といふものに決して恵まれてゐる作家だとはいへないやうだ。彼女は特に男達から甘い点をつけられることもなく、彼女自身も、またその女の特点を、善用も悪用もしなかつたやうである。
 それを証拠だてるものとしては、作家に雌伏時代といふものがあるとすれば、彼女の雌伏時代は決して短かい期間ではなかつたことを想つてみたらいゝ、小倉氏がそれでは優れ
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