た作品を描かなかつたのであらうか、否、決してさうではない。それは氏の仕事のすべての状態が、氏の作品を理解する条件に恵まれてゐなかつただけのことである。
 この辺で筆者が小倉遊亀論をやるといふことは、甚だもつて興味の深い時期にぶつかつたといふことができよう。しかも現在小倉論をやるといふことは非常に困難な状態に際会してゐる。それは頭で[#「で」に「ママ」の注記]なしに批評したり、賞めてをくことに間違なくていふ批評をするのであつたら、さうした困難さが伴はないのである。さうした場合ではなく、小倉氏の現在を一つの転換期としてみるといふ場合には、勢ひその批評もデリケートにならざるを得ないではないか――、小倉遊亀氏が何故に評判の作家であるかといふことに就いては、各人各様の見方があるであらう、しかしその各種の批評を貫ぬいて、小倉氏自身の実力的なものが如何なるものであるかといふ吟味は案外に行はれてゐない。
 しかし最近に於いては、これまで女なるが故にも甘やかされてゐなかつた小倉氏が、こゝへ来て、女なるが故に――甘やかされるといふ現象がボツボツと見えてきたといふことは、注目すべき珍現象であらう。『遊亀氏の作品には何ともいへない品のよいデリカシーがある。そしてそれは到底男の作家では及び得ないやうなものだ――』といつた批評も見えてゐる。小倉氏の作品には全くデリカシーがありそれが気品を伴つてゐる。しかしこの批評家のやうに、男の作家では及び得ないやうなものだ――などといふ批評は、矢張り『女なるが故に――』甘やかされた批評の一種と見るべきであらう。芸術的な創作物は、あくまでその評価を具体的な状態で解明していかなければならないものであつて、男であるからとか、女であるからとかいふ『性別』の問題を表面にとりあげるといふ法はないのである。女性作家にとつては、その種の女なるが故にといふ批評の内容的なものを想ひ、抗議的であつていゝ位である。また批評家としても、男の作家では出来ないやうな仕事を小倉女史が為し遂げたといふ批評の仕方は、女の作家を軽蔑したことにも、男の作家を卑屈にみたことにもなるのである。芸術作品に対するお世辞の使ひ方も、性別を加へたお世辞であれば、鼻もちのならない卑しいものに堕することも少くないであらう。
 小倉遊亀氏の人気の基本的な線は、決して最近の現象ばかりをもつてそれを論じられない。しかもその最近の仕事をもつて小倉氏の評価を決定的なものに考へることは、小倉氏、またそれを評する者、何れにとつても危険この上ないことである。
『浴女』『浴後』が彼女を画壇上に浮彫りにしたといふことは事実である。
『溝上遊亀といふ画家がゐましたね、いま評判の『浴女』といふ画を描いた小倉遊亀といふ人とは、どういふ関係があるのですか――』と訊ねられるといふことも考へられる。それをもつ筆[#「つ筆」に「ママ」の注記]者が画壇事情に通じない人に訊ねられたとしたら、何とか答へないわけにはいかない。溝上を、小倉に名前を変へたといふ画の話以外の人事関係などを語らなければならないなどといふことは、全くもつて世話が焼けるし、面倒臭い話でもある。
 小倉氏の作品に就いて、語ることは好ましいことではあるが、人事を論ずることは避けたいのである。しかし改名の件に就いて他人が理由を質ねたとき、それに対してその理由を芸術論的に答へる方法がないかどうかといふことを工夫してみると、その方法があるのである。それには『溝上遊亀といふ人と、小倉遊亀といふ人とは同一人です、溝上時代には草花の類を描いてゐましたが、今度小倉と改名してから人物画を主として描いてゐるやうです――』と答へよう。溝上時代にも人物画を描かなかつたといふことではなく描いてもゐるし、その画中の人物たちは大味ではないが、それぞれ何かしら特長的な味を出したものを発表してゐる。
 こゝで溝上時代を草花時代といふ風に、劃然と分けたことは、溝上時代から小倉時代に到達した遊亀女史の画壇的な系列の中で是非共、溝上時代の草花時代に批評的留意が行はれなければ、小倉遊亀論は成立しないといふことを、特に筆者が強調したいばかりに、さうしたのである。
 小倉遊亀氏の草花を描いた作に対する批評は、とかく『つゝましやかな小品である――』といつた批評が多いやうだが、その批評は常識論といふことができる。最近の人物も悪くはない。この最近の人物画は、とにかく『観る者の心をそそる』種類の絵が多い。しかし小倉遊亀氏の作風殊に絵画上の技術問題を解く鍵は、小品でつつましやかで、さりげなく描いた、草花果実の類に、多くの問題が隠れてゐるといふことができよう。
 殊に草花の場合に、簇生的な花を描くことに特異な手腕を示してゐる。構図的には、花束のやうに中心をまとめ、色彩上の陰影を加へることには特殊な技術をもつてゐるのである。氏の作品を明朗主義に批評した人があつたがそれは確かにその感を与へる、然しその明朗主義は、最近の人物画に於いて殊にさうした状態をみせてゐるのであつて、草花、果実の類には、さういつた種類の明朗主義は認められない。そこでは小倉氏の写実家であるといふ全貌を、発見することができるのである。二十一回の院展の『花』二題も好評のやうであつた。しかしその作品を小品扱ひにして、決して女史の本質的技術の点に作品を通じて論ずる者はまた少ないのである。『浴女』や『浴後』は一言でいへば一般観衆にとつて取つ付き易い絵なのである。殊に『浴女』の場合は、批評をする人間が、小倉氏の絵の批評ではなく、あの絵がつくりだす温泉的な雰囲気にひたるのには、全くもつて都合がいゝその批評家は、ゆらゆらと立ち昇る湯気の中で、ほんとうに温泉にでもひたつたやうな気持になることができる。そのことは小倉氏の絵がうまかつたからである。しかし小倉氏の絵がうまいといふことと、批評家がその絵をみて、ほんとうの温泉に入つたやうな気分になるといふことは別なのであらう。批評家は絵の実感に溶けこんでわるいといふのではないが、描かれた湯の絵と、真個《ほんと》うの湯との現実性を区分する力を全く失つてしまふといふことは小倉遊亀ファンとしてはいゝが、批評家としては匂ばしくないことなのである。一番関心をもつことができるのは、小倉氏の絵画上の技術問題なのであらう。この技術の様態を解かなければならないのである。然も小倉氏の技術の状態を解くもつとも本質的な画題のものは、むしろ人物よりも、草花果実にありと見る意見と、草花よりも、人物にありとするといふ意見は一応対立しても構はない。
 それでは草花を配した人物、さうした氏の作品は完璧であるかどうか、しかし草花と人物との技術的一致といふものはまだ現はれてゐないやうだ。立派に草花を描くテクニックをもちながら、それを人物に添へてはゐないのである。
 由来画壇にせよ、他の芸術壇にせよ。ジャアナリズムに乗ずるといふことに就いては、単純な理由でこれを見ることはできない。
 小倉遊亀氏が『浴女』を描いて発表したことに就いて、何か世間では得たりかしこしとそれを名作として賞讃したやうな傾きもある。作家の敏感がそれを招くやうにつとめて得られたのか、或はさうした計画が全くないのに世間で突然騒ぎ出したのか、その間の事情も解いてみる必要があらう。小倉氏の浴女に対して、当時色々の批評が下されたが、そのうちで横川毅一郎氏の『浴女』評が最も当つてゐたやうである。氏は曰く『会場主義と芸術主義との全き調和の中に作家の芸術的意図が豊かに遂げられてゐた――』といふことは、図星しを指したものであらう。更に氏は『浴女』と同様に前田青邨氏の『大同石仏』が共に、同じやうな効果を挙げてゐるといつてゐる前田氏の作品に触れることは次に譲らう。
 小倉氏の『浴女』は横川氏の評の如く、全くあれ以上に会場主義と芸術主義との全く調和を遂げることが不可能だと思はれるほどに、その意味での完璧性を見せた作品であらう。ジャアナリズムがそれを見落す筈がないのである。小倉氏は『静思』などといふ作品もあつて、婦人が端然と坐つて、右の手を机の上におき、左り手を袖の下にをいた作品があるが、かういふ形態のもつ計画的な良さは、一般に理解されることがなくして通りすぎたのである。いま端然と坐つてゐる女が、衣服を脱いで湯船にひたるとき、横川氏の批評ではその作品は『観者の感覚や情緒を揺り動かし、多くの人々にはこの作品の前で甘美な優れた音楽を聴いた時に、経験する高度な感情の喚起を経験したに違ひない――』といはせ小倉氏を指して『近代的な明朗主義』であると断じてゐるのである。
 こゝに小倉遊亀氏の古くからの観賞者がゐたとして、彼は女史の草花の写実的な描き方の中に、『高度な感情の喚起』を感じてゐたとせよ。またさうした草花ものを、小倉遊亀氏の実際的な真個うの仕事と観察し、そこにまた彼女の実力も潜伏してゐたと感じてゐたところが、突然、草花が『浴女』の上では裸となり、『浴後』ではちよつと許りつゝましく肌ぬぎになるといふ、テーマの作品を見せられたとしたら、その観賞者は『浴女』『浴後』から『高度な感情の喚起』を呼び起すどころか、冷水を浴びせられたやうに、驚ろくに違ひない。
 然も作風的にも、かなりに正統的なリアリストの描く『花』類を見せてくれて、しかも日本画家があまり手がけたがらない、西洋草花類をも、美しく描ききつてゐる。花の抒情詩人としての小倉氏は、姓名もかはつた許りか画題上の相貌を変へて立ち窺はれたといふことは、相当に驚異的な変り方であらう。『浴女』に於ける浴槽の中の湯のゆたりゆたりと揺曳する状態の描写は、たしかに彼女の写実家として神経をうちこんだ描き方であつた。そのために観賞者は、絵をみてゐるよりも、湯に入つた気分にさへ捉はれたのである。
 湯槽の中の湯の揺曳を線をもつて現はすには、不正な線、つまり歪めた線を有効に配列しなければならないのであるが、湯や水の揺曳、或は湖水の面や河水の面の揺曳といふものは、これまで日本画家はかなりの数色々の形式で取扱つてきてゐるのである。その効果の出し方は、特にその作家が高い意図計画をもつて描かない限り、水の底や、水面をゆらゆらさせるといふやり方は、甚だ通俗的なやり方でさへあり、通俗的な割りに効果を挙げることに成功する方法なのである。
 しかし小倉遊亀氏は何といふ賢こい作家であらう。その後の『浴後』に於いては、前の『浴女』と全くちがつた作画態度をみせてゐる。しかし世間は正直なのである。『浴後』は『浴女』との連作であらうといつた簡単な批評で押しつけようとしたのであるが連作故に批評を避けることはあるまい。また少くとも温泉気分の嫌ひな批評家があると仮定すれば、『浴後』の方の人物達は、着物をもう着てしまつてゐるし、作者である遊亀氏自身その作品で、湯船の上気を拭ひ去つた、冷静さで描いてゐるために、むしろ『浴後』の方に多くの問題を保留してゐると言ふ意味合から、『浴後』により好感をもつであらうと思ふ。
 小倉女史を賢こいといつた意味は、極端に言へば彼女の技術は『詐術的状態』といつてもいゝほどに隠れたテクニックをもつてゐる画家なのである。こゝに批評家がゐて、小倉氏の草花の描写に非常にこの作家の本質と美をみいだして、それを支持しても既に小倉氏は草花画家として今度の画生活を進めようなどとは思つてはゐないだらう。人物をあれほどに効果的に描き得れば、本人もまたそれにも増して世間も、彼女を人物画家として祭り上げようとするにちがひない。
『浴後』のタイル張りの正確な図式的な配列、それによつて、曾つて『浴女』の湯の中の揺曳で効果をあげたと等しい効果を、そつと誰にも知らさぬやうに効果づけてゐる手腕は末怖ろしいものがある。ただ一言小倉女史に苦言を呈し得ることは芸術的効果は、なるべくその通俗的意図から離れて、それでゐて高い一般性を与へる効果を選ぶべきであるといふ一言だけである。
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菊池契月論


 作家的な人気といふものを、確固とした、不動なものとするといふことは、非
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