、過去の日本の生々しい雰囲気なのである。これらの作品は、今では単なる歴史画としてみても価値あるものなのである。「人形つかひ」では、現代の娘とは似ても似つかぬ内気な娘が、そつと覗きこんでゐるし「花ざかり」では婚期の円熟した娘であらうが、尚母親の後にしがみついて、美しい羞恥を示してゐる、さういふ情景や、情趣は現代では全く見ることが不可能である。
街頭の靴磨きに、足を差出して靴を磨かせる現代娘気質とはおよそ遠い世界の娘達の出来事を、松園氏の画をみることに依つて、我々はそれを再現して感ずることができる。然も松園氏の狂ひのない描法は、当時の雰囲気を、現在に於ても、狂ひなく伝達する、芸術の妙味とか、芸術の価値とか、芸術の永遠性とか言はれるのは、そのことを指して言はれるのである。作品が、出来た時と、それを第三者が見た時と、その時、時間、空間を超越して、その描かれた当時の現実の生きた証明がその作品で為されたときに、その作品の芸術品として優れたものであることを示すのである。
上村松園氏の作品は、現代作品から過去に逆行すればするほど、その作品の主題は明瞭であるし、優秀作が多い。そして浮世絵的方法なども比較的新しいことに気づくであらうし、またそれが単に一口に浮世絵的方法などゝいへないものがあることに気づくであらう。良い例証としては、「待月」などゝいふ作品がそれであるこの作品は、後向立姿の婦人が月の出を待つてゐる図であるが、この作画の方法は大胆極まるもので画面の上から下まで、建物の柱を通じ人物の体を縱に両分してゐる構図なのである。この方法だけからみても、この作品は、浮世絵的情趣などを覗つたものでは決してなく、全く絵画芸術の、洋画家がよく言葉として用ひたがる、「造形的」な意図から行はれた方法であることがわかる。人物を柱で縱に両断してしまつてから、更にそれをまとめるといふ方法などは、完全に情緒主義者のやる方法ではない。造形的な、絵画の方法上の苦心を盛らうとする計画に他ならない。浮世絵は、婦人の裾をチラ/\とみせるといふ意味で「あぶな絵」と呼ばれた時代から、松園氏の作品の人物の裾が拡がつてゐたからといつて、それを「あぶな絵」の翻訳されたものだなどゝはいふことはできない。松園氏はその浮世絵の形式に執着する以上に、あまりに「画家気質の人」であつたといふべきであらう、松園氏の仕事を二大別して、初期の写実的な方法のものには、テーマが明瞭で、そのテーマも然も社会的な意味をふかく含ましたものが多く、次の期間には、その画風が、美人画であるといふ理由だけで、松園氏は浮世絵的な方法と接近していつた。しかもテーマを作画方法に加へずに絵をまとめあげようとするときには必然的にその方法だけが、作者の考へ方の大部分を占める。柱をもつて人物を切るといつた絵画上の苦心の傾向に漸次移動していつた。何を描かう、どういふものを描かうといふ組み立てなしでも、形態上の美は組み立てられる。
完全に造形的立場に立つたとき、松園氏の作品は社会的テーマからは孤立してしまつたそこにはたゞ線の運びの苦心、画面の空白の効果、小雨をサラッと降らすとか、桜の花びらを三片ほど地面にちらばすとか、襟足を極度に美しく描くとか、主題の上では凝ることをしないで、作画方法の上で凝るといふ方法に変つてきたのである。したがつて過去の絵は、その作品は絵画的であるとゝもに、歴史画、風俗画としても存在するが最近の松園氏の作品は、全く絵画的意図から出発して、絵画的方法に帰した仕事といふべきであらう。松園氏の作品の線の動き、連絡、切断等に注意してみるときは、殆んど不可能と思はれる場所で、甲と乙の線が結びつけられてゐるものもある、しかもそれは少しも不自然ではなく、造形的な完璧さをもつて結びつけられてゐる。しかしその方法が写実的方法でなく、超写実、錯覚的な方法での調和が行はれてゐることに気附くであらう。松園氏自身の絵画方法の発達がその点にまで到達してゐるのである。
つまり普通の画家ではとても行へないやうな方法、線の錯覚的調和といふべきものも、こゝでは完成されてゐるのである。
吾人は、松園氏自身もさうであらうが、松園氏の過去の作品の良さの魅力にひきずられるものがまことに多い。
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大智勝観論
大智勝観氏の画業に対して、いまこゝに殊更に声を大にして叫ばなければならない理由といふものはない――、然しながら、その半面に『声を小さく落として』語るといふ理由は一層ないのである。更にもう一つの理由が残つてゐる。それは大智勝観といふ作家を『全く黙殺する――』といふ理由である。この三つ目の理由をもつて、大智氏の従来の仕事が看過されてきたといふことが少くないのである。私は批評家的見地からも、世間の第三の理由とは闘ふ必要があるやうに思ふ。最も冷静な意味で、大智勝観氏の画業の正統な立場を擁護したいといふ本能に馳られるのである。世間的には大智勝観氏を院展に於ける最大の人格者であり、解脱者であると評されてゐるが、こゝでも絵の評価の規準がみつからなければ『人柄の良さ』に押しつけてしまふ日本の美術批評家のヅルサと無能力とがある。作画上の『人格的方法』とか『解脱的手法』などといふものは無いので、これらの人格、解脱などといふ形容は、作家の生活態度の上にだけ適用できるもので、それ以外には適用ができない。さういふ人柄の方法だけで、大智勝観氏はこれまで祭りあげられ、体の良い黙殺をうけてきたといつても誤りではあるまい。大智勝観氏の作家的実力を証明されるものといつては、氏の作品そのものと、日本美術院の同人に推薦されたといふこと、この二つだけであらう。
さういふ意味で、この作家くらゐ実力で『押してきた』作家は珍らしい。いや『押してきた』といふ形容が、まだ強烈にすぎるやうで、もつと穏やかな存在としての『押してきた』といふ形容にかはる言葉をみつける必要がある。しかし大智氏の場合、みつかるまいと思ふ、何故なら画壇的位地がながく続くといふことの中には、現在の日本の画壇の現状では、画の出来不出来を度外視した、政治的工作といふものが、相当に有効な場合が多いからである。大智氏の場合の押し方の性質は、かゝる世俗的意味のものではない。従つて『押してきた』といふ言葉にとつて代るべき世俗的言葉はみつからないのである。またかゝる言葉はこの作者には適用できない。
世間で大智勝観氏の『解脱者』だと評してゐることには、たしかに一面の当つた批評ではある。しかしこゝで日本画の解脱性といふものを考へてみれば何も不思議ではないのである。『解脱』といふ言葉を人柄に押しつけずに、ちよつと許り批評家が、頭を使ふことを億劫がらずに作品にふりあててみるときは、大智氏の作品の本質問題にふれることができよう。いまこゝに三人の作家を取り合してみよう。酒井三良氏と、磯部草丘氏と、大智勝観氏と、そして私がこの三人を列べたといふことは、出鱈目に選んだのでも、悪戯心から組み合したのでもない。それは大智氏が他の二人に較べて『解脱』といふ古めかしい形容にふさはしい作家であるかどうかを調べてみたいので、さうしたのである。
酒井三良氏の作品の問題点は、彼の画にはあの形式には、珍らしい強い物質性が出てゐるといふ点である。形をもつて空間を攻めるといふやり方は、その描き残された空白の部分に、強い物質性が顕れる。酒井三良氏の持ち味は従つて解脱しない佳さにある。磯部草丘氏もまた線描をもつて画面を圧倒してしまふといふ逞ましさがあつて、これまた解脱しない佳さである。そして大智勝観氏はどうか、この作家も他の二人と同様に、解脱しない佳さがある――芸術家が解脱などをしたら大変なことになるだらう。何故なら解脱は死だからである。そして非解脱は俗物化なのである。大智氏の作品は、酒井氏、磯部氏のもつ近代的要素にも、優れてゐても、決して劣るとも思へない。大智勝観氏の作品は一言にして言へば『新しい』のである。解脱的死の作家でもなければ非解脱的俗物作家でもない、むしろこの両端の中間を辿る作家である、その意味でも酒井氏、磯部氏も同様であると言へる。
ただ大智氏が他の二人に較べて違ふところは、色に対する執着が、ずつと少いといふこと、水墨を最上のものとするといふ精神的立場がある。酒井、磯部氏の絵には色気がある。大智氏の場合は、墨一色の世界に境地がある、しかし大智氏がそのために彩色画を軽蔑してゐるといふのではない、事実彩色もしてゐるのである。青や紫を使つてゐても、大智氏の場合には、その色彩を墨色と同様の扱ひをする、墨以外の色を、墨の扱ひのできる作家といふのは、日本の画壇にはさう沢山はゐないのである。だがこゝで誤解を避けなければならない、それでは大智勝観氏は『黒』の作家であるが、私はこれまでの文章で、ただの一度も大智氏の[#「の」に「ママ」の注記]『黒』の作家などとは言つてはゐないので、その点を曲解されては困るのである、『墨』の作家だとは言つてゐるが『黒』の作家だとは言つた覚えがない、それでは『墨』は『黒』ではないのか――さういふ疑問も起るであらう。
そこで私はさうした疑問をもつ人に斯う答へよう『まさに墨は黒にちがひない、しかし墨は色ではない――』と、私のいふことは何と屁理窟に聞えないだらうか。しかし大智勝観氏は私と同じ意見をもつてゐるといふことを此処で伝へたいのである。
大智氏は黒は色の部分に編入されるが、墨は色の世界から除外して欲しいといふ意見をもつてゐる。こゝで通俗的な例をあげると、小学生の八色とか十二色とかの水彩絵具の中には『黒』はあるが『墨』とはなつてゐない。こゝまで述べてくると、どうやら墨と黒とが別なものだといふことを薄々理解してもらへるだらう、しかしその事は格別に私の発見でもなんでもない。そのことを理解してゐる人にとつては私の意見などは平凡な説にちがひない。しかし私はこゝで墨の論を説くのが目的ではなく、一人の作家が全く『墨』の精神を拠点として仕事をしてゐるといふこと、その作家とは大智勝観氏であるといふこと、この兎角に黙殺的な待遇をうけてゐる作家の作品の本質が墨にあるといふことを、ここで強調する機会を得たといふこと、つまり私は一つの墨の理論の発見をしたのではなく、墨の精神の保持者の発見といふ点で、それは一つの発見に違ひないと信じてゐる。この墨の精神とは目下ずるずるべつたりに前進してゐる日本画壇の方向に対して、一つの、『日本的本質』の問題の提出といふことになると思はれる。
墨が色でないといふ考へ方に、もう一つを加へて、大智氏は『金』を取りあげてゐる。墨と金は、色彩の分布の範囲を超えて存在する。精神的なそれであり、その強烈で物質的なことは、他の色と名附けられてゐるものと、全く異つた作用をするといふのである。墨や金泥は全く孤立した効果をもつてゐる。赤とか紫とか其他の原色、中間色は他の色彩との関係でどのやうにも、自分をゆづる、一つの可変性をもつてゐる。それなのに墨や金泥はこれらの色彩のやうに他の色との関係での普遍的な連帯責任をもつことをしない、この二色はさながら人間なら自我の強い、それのやうに、時には排他的な特質をさへ示す。なかなか他と妥協をしたがらない、しかしそれだけに墨や金泥を巧みに使ふときは、『効果を超越した効果』を獲ることができる。
大智氏は曰く『墨と色とは結局同一なものですがそこへ到る境地は難かしい。色ばかりやつてゐる人が墨絵をやつても駄目でせう。その反対に墨さへ技術的に叩きこんでおけば、色彩画は楽です――』といつてゐる。大智勝観氏は墨の以外に近来彩色画も描く。興味のふかいのはこれらの彩色ものの、色の本質である。私は氏の彩色ものから驚ろくほどの、『紅』にはまだぶつからない。しかし清麗そのものの『青緑』には、殊に小品ものでは接してゐる。大智勝観氏は精神的拠所を『墨』において、色彩的には『青の作家』といふことができるだらう。
大智氏は『墨を運しては五色具はる』といふ境地をもつてゐると共に、それ
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